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釜山映画祭常連の是枝監督 日韓関係に左右されない(「どこにいても、私は私らしく」#48)

是枝裕和監督の映画ベイビー・ブローカーは釜山から出発するロードムービーだ。助監督の藤本信介さんによれば、ソウルまでのルートはロケハンをしながら決めたが、出発地が釜山というのは最初から決まっていたという。是枝監督は釜山国際映画祭に15回ほど訪れており、釜山に対する愛着が
あるようだ。

2019年は、万引き家族でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した翌年だったのもあり、是枝監督の来韓は注目を集めた。釜山映画祭は10月で、この年7月に日本政府が輸出規制を発表して以降、日韓関係が険悪な時期でもあった。
私は2016年に釜山映画祭の会場で是枝監督にインタビューする機会があり、釜山映画祭の魅力を尋ねると「カンジャンケジャン(カニの醤油漬け)が食べたくて」と笑って答えた。もちろん他にもいくつかの理由を挙げたが、釜山を訪れるたびにカンジャンケジャンを食べているそうだ。

2019年は、是枝監督の当時最新作だった真実の上映と、「今年のアジア映画人賞」受賞が主な訪韓目的だった。私もその2つに関して取材するつもりだったが、偶然、是枝監督が釜山日本人学校を訪問するということを知った。釜山日本人学校は日本人駐在員の子どもや日韓夫婦の子どもらが通い、当時、小学校1年生から中学3年生まで全校33人だった。
学校訪問についてはメディアには公表せず、個人的なスケジュールだった。私はたまたま知ったおかげで単独取材ができてしまった。是枝監督は授業を見学した後、生徒と保護者の前で講演した。監督の表情は映画祭などで記者たちに見せる表情とは違い、完全にリラックスした優しい表情だった。子どもの演出がうまいわけだ。
釜山映画祭については、こんなふうに話した。「今年で24年目になる素敵な映画祭で、一番大好きな映画祭です。お友達もたくさんいるし、ご飯もおいしい。映画祭はご飯がおいしいのもすごく大事」
「映画監督になって良かったことは?」という生徒からの質問には、「僕は日本語しかできないし、今回は初めてフランスで撮ったけど、日本の中で映画を撮ることが多い。でもその撮った映画が、外国の映画館や映画祭で上映され、映画が僕を連れて世界のいろんな場所に連れていってくれる。それがとても楽しいし、勉強になる。ここも映画を撮っていたから来られた」と答えた。
日韓関係に左右されないどころか、むしろ関係が悪いから来たようにも感じた。多忙なスケジュールを調整して、釜山の小さな学校を訪れたのは、日韓関係が険悪な中で韓国で暮らす日本出身の子どもたちや保護者たちを励ます気持ちもあったのではなかろうか。釜山の学校はもともと規模が小さいので大きな影響はなかったようだが、ソウル日本人学校は生徒数が激減していた。多くの日本人駐在員が帰国したということだ。日本製品不買運動は、韓国で働く日本人にとって深刻な問題だった。

是枝監督をまねたわけではないが、釜山から戻って、ソウル郊外の高校で講演をする機会があった。日韓の文化交流がテーマだった。高校に講演に行くと言うと、周りからは「こんな状況でも呼んでくれる学校があるんだ」と、驚かれた。講演は放課後、選択制だったので参加者がいないことも覚悟していた。ところが20人以上の生徒が集まり、熱心に聴いてくれた。そこでこんな質問を投げかけてみた。「2019年8月に日本を訪れた韓国人は前年同期比48%減少しました。では逆に韓国を訪れた日本人はどうだったでしょうか?」。選択肢は「①50%減少、②30%減少、③同水準だった、④増加した」の4つを提示した。多くの生徒は②に手を挙げたが、正解は④だ。2019年8月に韓国を訪れた日本人は前年同期比4.6%増加した。
この頃、飛行機に乗ると若い日本人女性が多かった。当時は第3次韓流ブームと言われていて、K-POPの取材に行けば、関係者は「日韓関係の影響はまったく感じない」と話していた。コンサートもファンミーティングも変わりなく開かれていたが、韓国の所属事務所は日本での活動に関して韓国で報道されないように注意していると話していた。

2019年10月24~27日には、大阪で「ツーリズムEXPOジャパン」というアジア最大規模の国際観光博覧会が開かれた。週末に行ってみると、韓国のブースが他国のブースに比べて圧倒的ににぎわっていた。その中で仁川市を紹介する対談には、仁川観光広報大使のよすみまりさんと、仁川在住の浜平恭子さんが登壇した。よすみさんは神奈川県在住だが、コロナ前はほぼ毎月仁川を訪れて取材し、ブログやSNSで仁川の魅力を日本向けに発信していた。対談は「美」がテーマで、ストレス解消になる遊園地「ウォルミテーマパーク」や皮膚科で治療を受けた体験を写真を見せながら紹介した。

仁川の魅力を紹介する浜平恭子さん(左)とよすみまりさん(著者撮影。2019年10月)

よすみさんが仁川を訪れるようになったのは、よもぎがきっかけだった。よもぎ蒸しで冷え性の体質が改善した経験から、よもぎに関心を持ったのだ。特に仁川の江華島のよもぎが効果が高いと知り、江華島に通うようになった。よすみさんは2016年に仁川観光広報大使に任命された後、日本で韓国関連の行事が開かれるたびに積極的に登壇し、仁川の魅力を広報していた。
ところが、この年の7月以降、地方自治体が主催する日韓の行事が相次いでキャンセルになった。よすみさんは「韓国の道端で『NO JAPAN』の横断幕を見ると、正直悲しい。だけどもこういう時だからこそがんばろうとも思う。『こんな時によく来てくれた』と歓迎してくれる韓国の人も少なくない」と話していた。

浜平さんは現在は仁川に移住しているが、当時は神戸のラジオ「Kiss FM KOBE」のパーソナリティーで、2018年に韓国の男性と結婚し、コロナ前まで毎週日韓を行き来していた。K-POPファンでもあり、K-POP関連のイベントの司会もよく担当していた。浜平さんは「日韓関係が悪化しても日本からたくさんの人が韓国へ行っているのは分かる気がする」と話していた。日韓関係悪化をたびたび経験し、もう慣れてしまったのだという。「メディアが嫌韓報道をすればするほど『それでも私は韓国が好き!』という気持ちで韓国へ行く人もいると思う」。以前は目立たないようにこっそり韓国へ行く人もいたが、もはや堂々と「好きなものは好き。邪魔されたくない」という人が増えてきたようだ。

対談を聞いていた40代女性にも話を聞いてみた。2000年代前半のいわゆる第1次韓流ブームの頃から韓国の俳優やK-POPのファンだったが、「李明博大統領(当時)が竹島を訪問した時に韓国の俳優が竹島に泳いでいったのにショックを受けた。応援していたのに裏切られたような気分だった」と振り返った。それからしばらくは韓国への関心は封印していた。ところが、日本語学校の教師となり、韓国の留学生と出会って再び関心が膨らんだ。学校を卒業して韓国へ帰国しても、日本で地震など災害があるたびに心配して連絡してくれる卒業生もいた。「外交関係が悪くなったからって、個人と個人の関係まで変わるわけではないと思えるようになった。こんな状況でも日本に来てくれるK-POPのアーティストを応援したい気持ちでコンサートに通っている」と話していた。「劇的に日韓関係が良くなることはないと思うけど、少しずつ、民間レベルで良くなるんでは」という期待の声に、私もそうであってほしいと切実に願っていた。

あれから約3年。コロナを経て、日本では第4次韓流ブームと言われ、韓国でも最近は「早く日本に行きたい」という声をよく聞く。以前のようにビザが免除されて自由に行き来できるようになれば、一気に往来が増えそうな雰囲気だ。

ヘッダー写真:釜山日本人学校で講演する是枝裕和監督(著者撮影。2019年10月)

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。

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