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「釜山映画祭の父」キム・ドンホさん/(「どこにいても、私は私らしく」#39)

日本に一時帰国中、キム・ドンホさんから電話をいただいた。キム・ドンホさんは釜山国際映画祭創設の中心人物で、長年にわたって釜山映画祭の執行委員長を務めた。「釜山映画祭の父」とも呼ばれ、世界的にも映画関係者にはよく知られている。私は2013年の釜山映画祭でインタビューしたことがあったが、その後は見かけてもいつも周りを監督や俳優が取り囲んでいて、あいさつするのも難しいくらいだった。

電話をいただいたのは、私がコラムを連載している中央日報でキム・ドンホさんが回顧録を書くことになり、エディターから私の話を聞いたそうだ。韓国に戻って、回顧録のミーティングのためにエディターがキム・ドンホさんと会う時に私も同席した。

京畿道・広州市のご自宅にうかがい、夕食を共にしながらお話をうかがった。ガラス越しに湖が広がるステキな建物で、映画人もたくさん訪れているようだ。

キム・ドンホさんが監督の時に使ったディレクターズチェア。
ガラス越しに広がる湖は凍っていた。

これからご本人が書く回顧録なので、私が勝手にここに書けない部分もあるが、いくつか忘れないうちに書き留めたいと思う。

キム・ドンホさんが本格的に映画関連の仕事を始めたのは、1988年、映画振興公社(現・映画振興委員会)の社長に就任してからだ。「もともと映画に興味があったんですか?」と尋ねると、「なかった。ほとんど映画を見ていなかった(笑)」という意外な答え。それまで長らく文化公報部という政府機関に在籍し、一貫して文化関連の仕事には携わってきた。自宅の書架には映画だけでなく美術や建築など様々な文化関連の本が、それも世界各国の本が並んでいた。

キム・ドンホさんの話を聞いて驚くことはたくさんあったが、一つはフットワークの軽さ。とにかく国内外のたくさんの映画祭に行き、たくさんの映画人に会っている。映画に疎かったからこそ、足で稼いだのかもしれない。日本で出版されている著書『世界のレッドカーペット 「釜山国際映画祭の父」が見た40の映画祭』で読んでいたので、旺盛な映画祭巡りについては知っていたが、冠婚葬祭も大切にし、結婚式やお葬式だけでなく、入院のお見舞いにも海外に飛んで行ったという。1980年代後半から韓国映画が海外の映画祭で次々に受賞し始めたのは偶然ではなさそうだ。もちろん作品や演技が良かったから受賞したのだが、キム・ドンホさんが築いた人的ネットワークも少なからず貢献したように思う。

キム・ドンホ著『世界のレッドカーペット 「釜山国際映画祭の父」が見た40の映画祭』日本語版(ヨシモトブックス発行、2011年)

日本では韓国映画の発展について「韓国は国が映画に予算を出しているから」と言う人が多いが、私はそれよりもキム・ドンホさんのような、海外に韓国映画を紹介し、そして世界の映画を韓国で上映するために情熱的に動いた人たちの存在は非常に大きいと思う。キム・ドンホさんも「映画もドラマもK-POPも、国の予算でやっていたら、ここまで発展しない。民間の力」と言い切った。

キム・ドンホさんが監督を務めた映画「JURY」のポスター

もう一つは、記憶力。いつどこで誰と会って何をしたという話がメモも見ずにスラスラ出てくる。1937年生まれなので80代半ばだが、若者でもこんなに詳細を記憶できる人はそうそういない。

話し方から釜山出身でないとは思っていたが、実は釜山で暮らしたことがあったという。朝鮮戦争当時、中学生から高校生にかけての時期、釜山に避難していたそうだ。「映画『国際市場で逢いましょう』の主人公ドクスよりも苦しい生活だった」と言う。ソウル大学法学部出身のエリートのイメージが強かったが、若い頃は相当苦労したようだ。

キム・ドンホさんは釜山映画祭創設に携わり、1996年の第1回から執行委員長を務めた。アジア最大規模の映画祭に成長したが、2014年から苦難の時代を迎える。セウォル号事故に関するドキュメンタリー映画「ダイビング・ベル セウォル号の真実」をめぐり、釜山市が上映に反対したが、映画祭側はそれを受け入れず上映し、釜山市や国と、釜山映画祭との確執が始まる。

この確執についてはキム・ドンホさんの思いは直接聞いたが、かなり複雑な展開となったのでここで書くのは控えようと思う。ただ、キム・ドンホさんは初回から一貫して映画祭が政治的に中立を守れるよう力を注ぎ、映画祭を中断することなく続けることに心を砕いた。

釜山映画祭を離れたキム・ドンホさんは、おそらく湖のほとりで静かに余生を過ごすつもりだったと思うが、またもや映画祭の創設に携わり、執行委員長として「現役」に戻った。2019年に始まった江陵国際映画祭だ。第1回には釜山映画祭常連の是枝裕和監督も参加した。私は残念ながら自分が主催側の東国大学の「在日コリアン映画祭」と日程が重なり、行けなかった。

江陵は韓国の東海岸に位置し、美しい海とコーヒーで知られる街だ。私も海の見えるカフェを巡ったことがある。キム・ドンホさんは夕食の後、マシーンを使いこなしてエスプレッソを入れてくれた。今年こそ、江陵映画祭に参加したいと思う。

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成川彩(なりかわ・あや)
韓国在住映画ライター。ソウルの東国大学映画映像学科修士課程修了。2008~2017年、朝日新聞記者として文化を中心に取材。現在、韓国の中央日報や朝日新聞GLOBEをはじめ、日韓の様々なメディアで執筆。KBS WORLD Radioの日本語番組「玄海灘に立つ虹」レギュラー出演中。

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