もしも好きな世界を創ることができるなら
「そ~らを自由に、飛びたいな~」
「はい、パラグライダ~」
僕は昔から自由に空を飛びたい願望がある。遮るものがない高くて景色が良いところが好きで、それが登山へよく行っていた理由の一つ。
パラグライダー
ドイツに住んでいた当時、山を登ると、頂上あたりからパラグライダーで大空の遊覧を楽しんでいる人たちを見ることが多かった。
大きいリュックのようなパラグライダーを担いだ人々が、ケーブルカーを使って頂上付近へ上がっていって、そこから次々と飛び立っていく。
雪山の上空でも。どれだけ絶景なんだろう ↓
あいにく僕は自分でパラグライダーで飛ぶことはなく、登山までで終わってしまった。
ただ、学生の時にオーストラリアへ旅行した時には、スカイダイビングをやってみた。小さなセスナで上空3000mくらいまで上がって、そこから飛び降りるというアトラクション。
実際に飛んでみて、一番強く印象に残ったことは、着地した直後に体で本能的に感じた感覚だった。何かというと、
「人間って地面に縛り付けられていて、不自由な存在だなあ」
ということで、やっぱり空を飛ぶことは(実際は落ちただけなんだけど)、それなりに感覚的に自由を感じられる経験だった。
さて。今日の話題はここから、自由の翼を得たかのように飛躍していく。
自由という価値
パラグライダーやスカイダイビングが教えてくれることは、肉体的な自由の感覚だろうか。それとも精神的な自由だろうか。
さらに言えば、そもそも自由って人にとってどれくらい大切なものなんだろう。
僕の記憶の中で「自由の大切さ」について初めて説明されたのは、学校の社会科の時間。日本国憲法についての授業だった。皆さんもそうだろうか。
日本国憲法といえば、日本国民にとって最も根幹となる合意事項を示す成文。いま改めて読んでみても、いろんな概念や価値のうち、やはりとりわけ自由についての比肩しがたい重要性が説かれている。
その自由という概念は、ヨーロッパが産んで、アメリカ経由で日本に持ち込まれたものなのだろうか?いや、それだけではないはず。
前回の記事のように、僕の昔の同僚だったインド人も「精神的な自由」の根源的な重要性を説いていた。
その理由は、彼の説明によると「どの宗教でも自由の大切さを説いている」から。
うーん・・・、でもその説明では僕にとって納得できる理屈にはならない。
ということで、この前回の記事での「モヤモヤ感」が今回の記事を書こうと思い立ったきっかけ。
実際、僕は数十年にわたって、この「自由の比肩しがたい重要性」が自分にとってピンとこないことについて、どこか居心地の悪さをずっと感じてきた。まるで、サイズの合わない服を着ている違和感のように。だって、自分が国籍を持っている日本の、根底にあるとされている価値がピンと来ていないのだから。
まあ、「自由」が現在の日本や欧米の社会システムの基盤にあることは知っている。「民主主義政治」「資本主義経済」「法による統治」などは、全て人間の自由が保障されていることが前提のシステム。これらの社会システムを総括して「自由主義体制」というのかな。
でも、あくまでも自由は「自由主義体制を成り立たせる必要条件の一つ」に過ぎなくて、自由を大事にしていれば、素晴らしい世の中が実現できて人々は幸せな生活を送れる、というわけでもないんじゃないか。
では、自分としてはどんな概念や価値を大事にすれば、素晴らしい世の中が実現できて、人々は幸せな生活を送れると考えるのだろう?
それを考えるために、ここでいちど常識から頭を切り離してみよう。
自分が大切にする価値は?
例えば自分が創造主になった気持ちで、自分の好きな世界を作り上げられると想像してみる。言い換えれば、ゼロから”世界の人に聞いてみたワールド”を創造できるとすれば。
僕は「その世界に住む人々が共通的に大切とする概念」を何だと定義してみたくなるだろうか。やっぱり「自由」なのだろうか?
いくつか例として、多くの人から大事だと共感されそうな概念を選択肢として挙げてみよう。これが例として適切なのか自信ないけれど、あくまでも僕の思いつきとして。
自由、平等、博愛、公正、透明性、発展、信頼、信仰、正直、誠意、和、礼儀、仁義、規律、忠義、伝統
例として挙げたこれらの概念の中から、たとえば自分が創造する世界で大切にしたい概念を3つ選ぶとすれば。
僕は「自由」を選ぶだろうか?
いや、必ずしも選ばないように感じる。
息子の考える「大事」から考えてみよう
では、考える取っ掛かりとして、息子の考え方から考察してみよう。息子が小学生の頃に「自分の人生で何を大事にしたい?」って聞いたことがあった。息子の答えは、
息子
「つながり、自信、中立、バランス、あたりかな」
なるほど。まあ、自信、中立、バランスあたりは「精神的な自由」につながっていく、と言えなくもない。
他に共通点を感じる概念は・・、「平等」「公正」「信頼」「透明性」「和」あたりかなぁ。
フランス革命から考えてみよう
次に、「自由」と言えばフランス革命。そこから考えてみよう。
フランス革命を経て定められた価値は「自由」「平等」「博愛」の3つ。
自分がその時代にフランス革命に参加した人になったつもりで考えてみると。
社会の根幹を成す価値観として、それまでは「自由」なんてなかった世界。そこへいざ「みんなで自由を大切にしよう!」と自分が定めることを想像すると・・・
だめだ、僕には怖くて、定められない!
だって、人間社会で「自由」が一番大事だ、って定めたら、一体どんな無秩序な状態になるのやら。とても怖くて実験する気にもならない。
あ!!だから、なのか!
その一歩間違えれば無制御にも残酷にもなり得る「自由」に対して、制御してブレーキを掛けることができる価値観も、一緒に定めたということだ。それが「平等」という価値観。
そうやって「自由」とトレードオフになる「平等」の概念を一緒に配置して、左右でバランスを取っていたということか。
更に、「博愛」というイイ感じの価値観をふりかける、と。
うーん、なんか全体にバランスの取れた良さげな世界が出来上がるような気になってきた!これなら社会がうまく回るかも、って思えてきたぞ。
でも僕にとっては「信頼」かなぁ
では、自分としてはどの価値観を選びたくなるか、改めてゼロベースで考え直してみよう。
ドイツで生活する中で「信頼」の重要性をイヤというほど叩き込まれた僕としては、もし3つの価値観を選ぶとすれば、「信頼」という概念をまず一番に持ってきたい。人にとって「信頼」とは総合的によくできた価値だと思う。
「全ての人間は、生まれながらにして信頼を求めるものである」とかいう言葉は、多くの人から共感を得られそう。うん、いけそう。
では次に、もし「信頼」が負の側面を生み出すとすれば、なんだろうか。それは例えば「内向きな不透明さ」だろうか。
だとすれば、次に「透明性」を配置して、社会に光を当ててみる。
最後には、やっぱりフランス革命と同じく「博愛」を振りかけて、いい感じに仕立ててみよう。
どう?「信頼」「透明性」「博愛」の3つの価値観を信じる社会。
悪くなさそう。
まとめ
ということで、「世界の人に聞いてみたワールド」で大事にしたい価値観を3つ。僕なりに選んだ「信頼」「透明性」「博愛」の3つの価値を信じる社会。
こんな価値観を実際に社会へ実装してみたら、どんな世界が出来上がるのだろうか。
それを検証するために、「もしもボックス」を使ってみたいな。
「もしも、信頼・透明性・博愛の3つの価値観を信じる社会だったら~」
果たして、もしもボックスから外へ出てきた僕の前には・・どんな社会が広がっているだろうか。見てみたいなあ。
さて、あなたが創造主になって自分の好きな世界を創造するのであれば、そこで「人々が共通的に大切とする価値観」は何だと定義してみたいでしょうか?
by 世界の人に聞いてみた