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エストニア人のロシアに対する感情 ~バルト三国で聞いてみた②

【エストニア人から2018年春に聞いた話】

バルト三国を旅行中に現地の人へ話しかけて、彼ら/彼女らから聞いた話についてのシリーズ。今回は第二回目。エストニア人のロシアに対する感情について。

ドイツとロシアに挟まれた国々、例えばポーランドやハンガリーなどは、過去の世界大戦で両国に蹂躙された歴史を持っている。多くの国では「ドイツのナチズムおよびヒトラーが諸悪の根源」という構図で捉えている。でもバルト三国では、ナチズムよりも「共産主義およびロシア独裁者のスターリンが諸悪の根源」という歴史認識を持っていた。

歴史の被害者への追悼集会

それに関連するイベントに、旅行中にたまたま参加する機会があった。バルト三国各国は、第二次大戦直後にスターリンの指示によって、各国から国民全体の数%にあたる大量の人々がシベリア送りにされた歴史がある。エストニアを旅行中に、この出来事に対する定例の追悼集会が開催されていた。

この写真が追悼集会に先立って行われた献花式。式が始まる前に、目の前を迫力満点のオーラのある兄ちゃんが歩いて行ったと思ったら、エストニアの当時の首相(ユリ・ラタス)って紹介されていた。この写真の左側で参列している。

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いまは存在しないものを悪者に

司会者はエストニア語と英語の両方で説明していたから、何を説明しているのかが理解できた。その中で印象深かったのが、この悲惨な出来事は「共産主義」と「スターリン」によってもたらされた、と何度も強調していた。

それを聞いていて思ったのが、「共産主義」も「スターリン」も、両方とも現在のヨーロッパには存在していないもの。つまり、既になくなったものを悪と位置付けて、現在存在しているものはできるだけ糾弾の対象から外そうとしているような印象を受けた。

国土の形を強調

献花式に続いて行われた追悼集会では、ローソクを国土の形に置いていく。一番上のテーマ写真が、その時のもの。

なぜ国土の形か?なぜなら、大陸にある小さな国の場合、うっかりしていると国の全部または一部を他国に奪われてしまう事態が、時として起こる。だから、自国の形をことさら強調することが多い。「これが自分たちの領土だ」と、くどいほどに主張することで、自分たちの国を守っている

このように国の形をやたら強調するのは、エストニア以外でも、グルジア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、コソボなど、国土が安定しない他の国でも同じように見られた。同じような境遇にある国は、世界中どこもみんな考えることは同じだと思う。

という行事を見た後で、エストニア人にロシアをどう思っているのか聞いてみた

エストニア人に聞いてみた

エストニア人
ソ連時代は、エストニアは明らかに共産主義に『占領』されていた。ロシア軍が駐留して睨みを利かせている限りは、占領状態だよね。それに第二次大戦直後には、スターリンの粛清に巻き込まれた。粛清されたのは大半が地主たちで、土地の国有化に反対しそうな人々がみんなシベリアに送られて、その後で国家(ソ連)がすべての私有地を接収して、国有化した」


「エストニア人は、そうやってロシアに蹂躙された歴史があるよね。でもね、エストニアにはソ連時代にロシア人たちが流入してきて、その結果今のエストニアは人口の1/4くらいがロシア人なんでしょ。エストニア人は、そういったエストニア在住のロシア系住民に憎しみを持ったり、分離しようという動きはないの?

エストニア人
「そんなことはもうできないよ。だって例えば私のおばあさんはロシア人で、シベリアからやってきてエストニアに住むようになった。ロシアを否定することは自分や親戚や友人のことを否定することになる。過去は過去でどうしようもないもので、どうしようもないことを考えても仕方ないから、それを受け入れた上で未来に向けて進んでいかないと

という前向きな答え。欧州では概して過去と未来をキッチリ区別していることが多く、未来志向だなあ、と思うことがよくある。

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by 世界の人に聞いてみた

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