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noteでわたしの「扉」を探す。

お部屋にお邪魔するのを楽しみにしているクリエイターさんのひとりに、Wさんがいます。

Wさんのご投稿は、たいてい数枚の写真と、それに添えられた短い一文で構成されています。
読む、というより、みる、といったほうがふさわしいご投稿。拝見するのに必要なのは、ごくわずかな時間です。
けれど、Wさんのご投稿はそのあとが楽しいのです。
数枚の写真と短い言葉で、Wさんは何を表そうとされているのか。
どんなお氣持ち、どんなシチュエーションでこの写真を撮ったのか。
そして、わたし自身はそこから何を受けとるのか。
それを考える──いえ、感じる時間が始まります。
そうして自分が得たものを、そのまま素直に言葉にして、コメント欄に残してくる。
そこまで含めて、わたしにとってはWさんのご投稿。

トップ画像の青い小石の写真は、そんなWさんのご投稿からお借りした1枚です。
この日は、全部で3枚の小石の写真をご投稿されていて、そのふたつめが、この青い小石の写真でした。それが目に入ったとき──わたしのなかで、ざざあっと風が吹きました。
吹いた風は潮風です。
だって、小石は、まるで小さな海のようでしたから!

吹いてきた潮風に耳を澄ませ、その香りを胸いっぱいに吸いこむうちに……ふと氣がついたら、わたしは波打ち際に立っていました。目の前には広い海。
(わあ……)
思わずもれたため息が、そのまま海に運ばれていきます。
ため息が流れていく、そのずうっと先には水色の水平線。
空も海も、青いけれど青すぎない──やさしい色の世界でした。

海鳥の声がきこえます。
打ち寄せる波の音も。
その音に重なるようにして、
からからからから……。
明るい音が響いてきました。

視線を空から足元に移すと、そこは砂浜ではなく、小石でできた浜でした。
砂のかわりに、無数の白い石ころが、汀を覆っているのです。
からからからから……。
きこえてきた明るい音は、その石が、波にさらわれる音でした。
からからからから……。
からからからから……。
(ああ、ここは、浄土ヶ浜なのか……)
わたしはぼんやり思いました。
浄土ヶ浜。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうか。
盛岡を、真っ直ぐ東にいったところにある、美しい海岸です。
ころころした小石の浜が有名な景勝地で、学生時代に、ひとり旅で訪ねた場所でもありました。
夏には海水浴を楽しむ人でにぎわうようですが、わたしが訪ねた春先には、美しい白浜には誰の姿もみえなくて。
有名な景勝地を、ひとりじめする贅沢を味わいました。

時間を氣にする必要もない氣ままな旅でしたので、ひとり小石の浜に座り、心ゆくまで、その不思議な音色にひたっていたのを思いだします。
海なのに、波の音にまじって小石の転がる音がきこえてくるって……ものすごく不思議な感じがするんですよ。

ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから。
同じリズムで繰り返される、水と小石の二重奏。
ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから。

小石の音はわたしの胸の内側を。
波の音はわたしの体の外側を。
洗いながら流れていきます。
ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから…………。
内側から、外側から、わたしは音にとかされていきました。
(ここは、本当に浄土だなあ……)
そんなことを思いながら、わたしはひざ小僧に顔をうずめ──そのままゆっくり、海の音になりました。
ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから…………ざざあ………からからからから……………。

パソコンの前で目をあけたとき、わたしはまだ、海の音のままでした。
ゆっくり、ゆっくり……体を実体化させながら、わたしは、画面に映った青い小石をみつめました。

わたしにとっての小さな小さな浄土ヶ浜。
それは、大切な思い出への「入口」でした。
(つれていってくれて、ありがとう)
小石へ。
そしてWさんへ。
わたしは、そっとお礼をいって……ぱたんと画面を閉じました。

Wさんのご投稿を拝見していると、いつもそういう「入口」に出会います。
視覚化をしてお伝えするなら、ふわっとした明るい世界のまんなかに、ぽん、とひとつ、扉が置いてある……そんな感じです。
ちょっと、「どこでもドア」みたいですね。

もし、その扉を開かなかったとしても、Wさんの美しい写真や言葉を楽しむことはできます。それも十分素敵です。
でも、そこにぽつんと置かれた不思議な扉に氣がついて、それをそっと押し開くと──その向こうには、きっと思いもかけない世界が広がっています。
その扉は、Wさんの世界にあるのだけれど、扉の向こう側にひろがるのは、Wさんの、ではなくて、扉を開いたわたしの、そしてあなたの世界です。

Wさんの撮られた小石の写真が「入口」になり、わたしが思い出の場所を訪ねたことを、Wさんは知りません。
浄土ヶ浜という場所自体、ご存知ないかもしれません。
不思議ですね。
Wさんの世界のなかにあるのに、Wさんはご存知ない世界。
そんな不思議な扉をWさんのご投稿でみつけるたびに思うのです。
そうだ、わたしも扉を書こう……って。
Wさんの世界より、ずっと多くの言葉がひしめく世界ではありますが、その世界のまんなかに、ぽん、とひとつ、「どこでもドア」を置く。
わたしの世界のなかに、わたしの知らない世界をつくる。
そんな記事を、書いていきたい。

そしてその扉を、「とーこーでもドア」と名づけよう!(投稿ですから)

なんのはなしですか。



大変失礼いたしました……。
「なんのはなしです課」のみなさま、コニシ木の子さま。
ご回収のほど、よろしくお願い申し上げます。

ちまたで話題の「なんのはなしです課」ですが、ご存知ない方がいらしたら、どうぞこちらをご覧ください。

以下は、記事からの抜粋です。

この「なんのはなしですか」はnoteの一つのジャンルになると考えていて、記事の助けになると本気で思っています。

「なんのはなしですか」は書いている記事の結末や、結論もいらないのです。それを素人と思うかも知れませんが、それが集まったら面白いと本気で思っています。人の思考や思想の途中のものばかりだからです。誰かが何かのインスピレーションを受けるかも知れません。

そして、使用参考例として、こんなふうに書かれています。

・なんのはなしですか で語りかけて終わる
・「なんのはなしですか」と登場人物に言わせる
・なんのはなしですか? と聞く
・なんのはなしですか‼️ と怒る
・料理記事なら、なんのはなしです火 と燃やす
・歌記事なら、なんのはなしです歌 と盛り上げる
・花記事なら、なんのはなしです花 と咲かせる
・お菓子記事なら、なんのはなしです菓 と甘さ加える

あはははは。

素敵な企画をお借りして、少しだけ、わたしの言葉を添えさせてください。

「なんのはなしですか」は、ほんの少し、Wさんのご投稿に似ています。
あくまで、ほんの少し、ですよ。

楽しいところ。解釈自由なところ。ふわっと心にやさしいところ。ちょっと「扉」っぽいところ。

コニシ木の子さんの文章にある、「人の思考や思想の途中のもの」が、わたしも大好きです。
そういう文章を拝読すると、やっぱりそこに扉がみえます。
だから結論を書いてはいけないとか、途中でうやむやにしたほうがいいとか、もちろんそういう意味ではありません。
少し大きな視点からみれば、どんなにきちんとまとめられた文章であっても、どのみち「思考の途中」に過ぎません。
個人的には、「明示的に扉を意識した書き方」をしてみたいと思っていますが、そうでなかったとしても、どんな文章や表現にも、必ず扉は生まれます。

読者として、わたしはそういう扉を探したり、開いたりするのが好きです。
押し開いた扉の向こうに「わたしの世界」がある。そしてその扉は、その誰かの投稿があったからこそみつけ得たもの。
そんな、誰かとわたしの合作みたいな世界が好きです。

最後になりましたが、感謝を込めて、Wさんのご投稿をひとつ紹介させてください。
本文でご紹介した小石の写真の記事を、とも思いましたが、写真のひとつを既にトップ画像でおみせしていますので、ここでは敢えて別の記事を。
どれを載せるか迷いますが、つい最近のご投稿で、心に残っているものをひとつ。
「ここがすき」

わたしも、noteの世界、ここがすき。




こちらの記事に、コングラボードが届きました。記事にご協力くださったみなさま、スキをくださったみなさま、本当にありがとうございました!

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