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腕に覚えあり。身体は知っている。

昨日、初レッスンの方。

初めてギターを弾くことになった方に
レッスンをさせていただきまして。

それも…
お母様が学生時代ギターを弾いていたそうで。

もう年齢も80歳を超え
帰省して何度会えるか…

限られた時間。

お母様と
共に過ごす時間を
大切にしたい、ということで

いつか、近いうちに
ふたりでギターを弾いてみたいという
想いから、ギターレッスンを
やってみようと思った、という方なんです。

この時点でもう…
涙腺に直撃ですよね…

はぁぁー…………
なんて素敵なんだ………

お母様の学生時代愛用していた
ギターを譲り受け
お母様はなんと、触発されて
ギターを新しく購入されたのだとか!!

これはもう…
あたくしの出番だわよ!!!!!!!!

腕まくり!!!!!!!!




いざ、ギターを抱えて
コードを押さえてみると…

あら?

早い………。
覚えが、早い。

音がすぐ出る。コードもすぐ覚えちゃう。


あら、あらあらあらあら?

スラスラスラ〜の
スイスイスイスイ〜………


ギターコードって、
手のひらで握る力と
指先を伸ばす力と…

細かく、力の与え方の感覚に
気付き続けていなければ

ぐぬぬぬぬぬぬぬ!!!!
あ゛ぁああああ!!!!!

と、妙に力みが
入ってしまうものだったりするんです。

良く、指の分離ができているかどうか、なんて
言い方をしますけれども。

最近、別件で知った言葉で
「アイソレーション」というものが
あるのですが、まさにそれ。

自分の狙った部位だけを動かす、ということ。


アイソレーションとは、体の1部を動かすことです。

主に、首、肩、胸、腰があります。

アイソレーションの可動域が
大きければ大きいほど、体の可動域も上がり、
大きくダンスできます。

出典《リディアダンスアカデミー》HPより


んー、大まかには同じですよね。
大きな部位としての分離、独立した動き。

それをギターの場合は
手のひら、指でそのようにする。と。




その生徒さんにお話を伺うと
やはり、3歳からハイティーンまでは
ピアノを習っていたそうで。

道理で…………!!!


ピアノも、
指の一本一本、先端に意識を向けて
音を奏でるわけですから。

しかも、ITエンジニアさんという職歴。
パソコンのキーボードは
ブラインドタッチがお手の物だそう。

こりゃ、指の分離を
日常的に、当たり前に使ってきたのだろうなぁと
感じて、そのことをお伝えすると…

「そんなことは意図していなかったけれど、全部このこと(ギターを弾くこと)に繋がっていたんですね…」

なんて。
これまた素敵な…

そうですよね。

自分のこれまで生きてきたことが
この今にすべて繋がっていたという実感。

それって、自分を突き動かしてくれる
とてつもないパワーになります。




身体は、ちゃんと…
ちゃーーんと
覚えていてくれるもんなんですよね。

腕に覚えあり。とは、これまさに。


そう。

そうなんです…!!!

だからね、


恐れや、対して気に留めなかったストレス。

こういうものも、覚えているんですよ。
身体って。

身体は正直。

だからね、
音楽をやる、演奏をする、歌を歌う…

こういった場面の時に
「失敗しちゃいけない…」
「馬鹿にされる…」
「自分の声が嫌いでいたたまれなくなる…」

こういった思いを
ひたすら身体に与えてきてしまったのだとしたら。

そんな経緯があるのに
「さぁ!気持ち切り替えて、楽しく歌ってみよう!」

なんて意気込んでも
身体中、見えない鎖がジャラジャラ。 
動けば動くほど食い込む。

「できない」「無理」「下手」「不快」
「やめとけ」「キモッ…」「音痴」

この想念による鎖に雁字搦めで
気合だけは十分、
みたいなことになってしまう。




じゃあ、どうすんのよ
どうすりゃいいのさ!という話ですけれども。

まずは、歌いながら
そのような想念がひっきりなしに
あなたの大切なうたごころに
ちょっかいをかけてきていることに
気づくことから始まります。

そして、その想念は
本当に自分のものなのかどうか。

自分が欲しくて抱えているものなのか。

深いところまで行くと
実は、そういう邪魔をする想念は
自分が必要としているから抱えているんです。

だって、
その想念が行動に移させないことにより
失敗をしなくて済む訳ですから。

失敗したら、とんでもない
痛みに見舞われるということを
知っている、恐れている、回避している

だから、それでよかったんです。





でも、それは
すべて過去に起きた出来事で
幻想なんですよね。

たとえば

駅前のロータリー歩いてたら
ガム踏んづけて
お気に入りの靴がめちゃくちゃになったことが
あるとして…

駅前のロータリーを歩くこと

イコール

ガム踏んづけて、靴がめちゃくちゃになる


という展開。ひな形。パターン。
お決まりのプログラム。お決まりのオチ。


…そんな
コロコロコミックよりも
お子様向けなギャグ漫画みたいな展開…

そうそう決まってあるわけないのにね!

1京分の1くらいは
確率としてあり得るかもしれないけど

その1京分の1の為に
自分の可能性をゴッソリ捨ててしまうなんて

そんな危ない賭け事みたいな人生
どうなんでしょうか。

しかもその賭け事による
報酬は「失敗しないで済む」という
ただ、それだけ。


いやー、いいじゃん!失敗しましょうよ!
どんどん。失敗したら
「あー、これは違うのかぁ〜」
「じゃあ、これはどうかな〜」

ハイ、次。
ハイ、次。

で、いいと思います。



とは言え、痛みがあるのに
「行動しましょう!失敗しましょうよ!」

なんて

そんな無慈悲な口説き文句は
虚しく通り過ぎていくことだと
百も承知です。

んなこと、わかってるんだってば!って
言いたくなる気持ちもわかる。

わたしがそうだったので。

わかってるのにできない、ってことへの
アドバイスって
すごく…………自分の無力感を助長させられる。


だから、痛みがあるなぁ、って
まず、気づけたのなら

痛い。痛いなぁー、痛いよー……って
感じてあげてほしいんです

そして労ってあげたい。

よく、その痛みがあるのに
生きてきた、と。

大げさじゃないんですよこれが。
本当に。

痛みを癒やすこと無く
生き抜いてきたのだ、と。
労うんです。労るんです。

そうして、
痛みは癒えていくものだと思います。

自分に触れること。
自分を知ろうとすること。
自分に善悪の評価基準をくださないこと。

ただそれだけで
痛みは自然と癒えていくと思います。

もちろん
「痛かったね…よしよし」
と、癒やしを与える行為を
したければ、したらいいんです。存分に。

だけど自然治癒ってものがあるので
人間がわざわざ
手を加えること無くても
癒えていくものだと
わたしは信じているんですよね。

思考の攻撃さえ止まれば。

だから「癒やし」ってものは
心地良いし好きだけど
絶対に依存したくない、と
一歩引いてしまう。正直なところ。

自然がすべてやってくれるのに
人間が手を加えて邪魔をしてしまう行為。

この世の大半が
そんなもんじゃないんでしょうか。

しかも、それを良かれと思って
何をも畏れずに。

畏れ知らず、ってやつですよね。

そういう人間のエゴってものが
なんというか、 
大いなる流れともいうべきものを
妨げ続けて進化発展をしてきたと
大威張りしているのって
どうもいただけないんですよね。

何の話だこれ…!
すみません、脱線しました。


とにかく!!
歌いましょうよ!ギターでもなんでも
音、奏でましょうよ!

リズム取ってテーブル叩いたり
足で地面蹴ったり

なんでもいいから、音出して遊びましょうよ! 

ははは!この文章
どうやって終わったら良いかわからなくて
強引に、音楽勧誘してみました!

歌おうー!遊ぼうー!



















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