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蒸し暑い春の上海ホテル体験記

これは3年前くらいに4月に日本に帰国した際、カナダから上海を経由して故郷に帰った時の話。

上海、浦東空港から福岡行きまでのトランジットは、23時間ほどの待ち時間がある格安チケットを購入しておいた。私は勉強中の中国語を本土で試したりマーケットで中国茶を購入したり美味しい小籠包を食べてみたりする事を夢に見ながら、空港からホテル行きのタクシーに乗っていた。旅する時間は短いため空港がある浦東にある一泊2000円のピンク色の怪しいホテルへ着く。若くてよく喋るタクシーの運転手は、君はここに泊まるの?日本人の君くらいの年の女の子たちは大体、外灘にあるハイアットなんかに行くんだけど。ここはきっと英語は通じないよ、と言って私を見て困った顔をしていた。

重いスーツケースと共に館内に入ると、薄暗くて埃っぽい。受付には私とあまり年の変わらそうな女の子が扇風機に当たりながらスマホをいじっていた。彼女は無表情で機械的に早口で中国語を話した。ここで問題が発生、現金を持ち合わせていない私にカード決済が今日はできないとの事。ATMはあるかなどの質問をするも中国語が伝わらず、焦った私はおそらく観光客でホテル利用している身体の大きな黒人の男性を見つける。hi, um do you speak Chinese? ねぇ、中国語話せる?  no, what happened いいや、できないよ、どうしたの? 結局は私の中国在住の友人にネットから彼女の携帯にお金を送ってもらう形でこの話は終息する事になるのだが、タクシーの運転手の困った顔の意味を少し理解した。

黒人男性は私と同じくらいの年だった。アーバンな英語を話すニューヨーク出身の大学生だった。彼は他2人の黒人男性達と男3人で大学の春休みを使ってアジアを旅行している最中だった。君は日本人なの?カナダで学生をしているんだ、僕たちトロントにはよく行くよ、近いからねと彼らは言った。彼らは大学ではコンピューターサイエンスをメジャーしているらしい。通りでグレーの無地のVネックシャツにジーンズが似合っている。都会的だけれどシンプルで論理的なエンジニア志望の真面目な学生。

やっとの思いで部屋に入る事ができると急に疲れが押し寄せてきた。ベットに寝転んでみると、凄まじい湿気でシーツがとても冷たい。洗面室のシャワーから出るお湯は生温かった。エアコンを付けてみるとカビ臭くなって窓を開けた。窓の先にはお寺が見えた。ピンクの2000円ホテルは確かに少し怖いよ、タクシーの運転手に心の中で話しかけた。

格安ホテル体験記に加えて結果的に私は中国茶やタバコなんかも近くの地元スーパーで手に入れる事が出来た。

朝6時、冷たくて心地よいサラサラした朝の空気が流れ込んできて、綺麗なピンク色の朝焼けとお寺が見えた。テレビをつけて見るとcctvが朝のニュースを伝えていた。荷物をまとめてチェックアウト前に少し散歩しようと部屋を出ると、受付の昨日の女の子がいた。朝ご飯は何時に食べたい?と彼女は言った。私は奇妙なピンクホテルに無料朝食が付いていた事をすっかり忘れていた。8時半のシャトルバスに乗るからその前には食べたいと伝えると、奥を指さしてあそこに7:45に行きな、と無表情に言って彼女はスマホをいじり出した。

散歩から帰り彼女の指差した大ホールに行って見ると電気が付いていない。暗い部屋を見渡してみた。大勢が食事できる卓上の机と、埃をかぶったカラオケ器具。你好!と言ってみると奥から夫婦らしきおじさんとおばさんが出てきた。もう来たのかい?といった感じの顔をしながら2人は電気をつけた。おじさんは大きな蓋のついた皿をたくさん運び初めて大きな机に起き始めた。おばさんは運ばれてきた大皿の蓋を一つ一つ手際良く開けていく。大盛りの搾菜(ザーサイ)などの中国の漬け物が何種類もあって、その隣の鍋にはお粥が入っていた。さらにお茶で茹でた煮卵と温かそうな蒸しパンが並んでいた。中国版ビュッフェに心躍らせているとおじさんはお茶は何が良い?と聞いた。你有没有乌龙茶吗?(烏龍茶はありますか?) 有啊,你是哪里人吗?(あるよ、君はどこの人?) 日本人(リーベンレン), 日本人なの?そうか。中国語を話すのかい。少しだけね。

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あれは故郷に帰る数十時間の間に起きた事で、長旅の疲れと共に記憶の隅に眠っていた。先日、誰かがこんな事を言っていた。

You can't judge a book by its cover. カバーだけで本の良し悪しはわからない。人は見かけによらないんだよ。あらゆる事は背景を知らないまま判断することによって、偏見が生まれているんだ。

確かにそうだ。無愛想な彼女と湿ったベットがあるピンク色のホテルの朝ごはんは美味しかったんだ。それから私は他人の人生の知らなかった物語を聞くたびにcreepy(薄気味悪い)なホテルと美味しい朝ごはんと、ナード(パソコンオタク)な親切なニューヨーカーの大きな男たちを思い出す。

溢れ返るsnsの写真達の物語を知り得ないまま人の人生をジャッジする事に、私はフラストレーションを抱えているのかもしれない。インスタグラムに載せてある、あの時撮ったホテルから見えた朝焼けの写真を見て、誰がどんな事を想像したのだろう。そこにあった会話とあの時の感情は静かに私の中だけでずっと保存されていたのだ。

暑い上海を思い出しながらそう思った。

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不束なる物ですが…🙏