聖書の山シリーズ13 失われた祝福 ゲリジム山
タイトル画像:ウィキメディア・コモンズ Mount Gerizim seen from above
2022年10月16日 礼拝
聖書箇所 ヨハネによる福音書4章1節-42節
ヨハネによる福音書4章20節-21節
4:20 私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
はじめに
聖書の山シリーズの第13回目。前回取り上げた『エバル山』に向かい合うように立つ『ゲリジム山』を取り上げていきます。
ゲリジム山について
ゲリジム山は、ヨルダン川西岸のシェケム(現在はナブルス)の近くにある山です。シェケムの町の北にエバル山が立ち、シェケムの南にゲリジム山があります。ちょうど、シェケムの街は、ゲリジム山とエバル山に挟まれた谷にあります。ゲリジム山は、ヨルダン川西岸地域の最高峰の一つで、標高は881m、エバル山より70m低い山です。特に北側が急で、頂上は灌木でまばらに覆われており、下には真水の出る泉があるそうです。
エフライム山地を東西に走る街道がこの2つの山の間を通っており、それはさらにエルサレムからガリラヤに通じる南北の街道とシェケムの付近で交差しています。また、ちょうどイスラエルのほぼ中心であることから、軍事的にも経済的にも重要な場所にあります。この2つの山はこれらの重要な街道を上から見張るように位置しています。
ゲリジム山
聖書の記述
アブラハムはカナン到着後、最初の祭壇をこの付近に築きました。
またヨハネによる福音書4章6節に登場するヤコブの井戸は、ゲリジム山の北東の山麓に位置します。
聖書では、出エジプト後に初めて約束の地に入ったイスラエルの民が、モーセの指示通りに祝福の儀式を行った場所でした。
神はモーセに、ゲリジム山には祝福をおき、エバル山にはのろいをおくことを命じます。(申11:29).
ヨシュアはアイの攻略後、カナンの地への地歩を確実にしたことにより、モーセの命令を守ってこの儀式を行いました。民は2つに分れ、ゲリジム山では祝福が語られ、エバル山ではのろいが語られました。2つの山の間に契約の箱が置かれました。(ヨシ8:30‐35)
サマリア人とゲリジム山
ゲリジム山はサマリア人にとって神聖な場所です。彼らにとって、エルサレムのモリヤの山よりもむしろ、ヤハウェ(神)が聖なる神殿のために選んだ場所とみなしているほどです。
サマリヤ人とは
そもそも、サマリヤ人とはどういう民族であるのかですが、
サマリヤ人については、Ⅱ列王記17章に詳細があります。ソロモン王の死後、イスラエル王国は2つに分裂しました。南ユダ王国は首都をエルサレム、いっぽう、北イスラエル王国は、首都をサマリヤに置かれます。
首都のサマリヤがどこにあるのかと言えば、現在セバスティアと呼ばれる場所に遺跡が残っています。
首都のサマリヤは、現在のナブルス、(聖書ではシェケム)の西方に位置しています。この首都の名前をとって、北イスラエルの人々をサマリヤ人と呼んでいます。
サマリヤは、アッシリヤ王シャルマヌエセル5世によって包囲され、彼が急死します。その後、紀元前722年にその子サルゴン2世によって陥落しました。サルゴンは北イスラエルの指導者たちをアッシリヤのハラフ、ハボル、メディヤの町々に移住させました。(Ⅱ列17:6)
これがいわゆるアッシリヤ捕囚といわれるものです。アッシリヤの政策は、ユダヤ人の血統を根こそぎにし、民族浄化を図る政策でした。
北イスラエル王国の指導層を外国に送り、アッシリヤ帝国内のバビロン、クテ、アワ、ハマテ、セファルワイムの人々を入植させ、サマリヤに移住させます。(Ⅱ列17:24)
この結果、各地の宗教や神々が、入植者とともに侵入し、イスラエルの人々に偶像礼拝を強制することで、イスラエル人は主なる神への礼拝と、異邦人の偶像礼拝を行うようになりました。(Ⅱ列17:33)
その後、ユダヤ人の力を削ぐことを狙いとした、雑婚が行われるようになりました。ユダヤ人にとっては、異邦人との婚姻は忌み嫌われたものでした。
アッシリヤ帝国による侵攻から、独立を保っていた南王国ユダの人々から見ると、サマリヤの人々は、宗教的にも人種的にも堕落した民族としてみなしていました。
ゲリジム山への神殿建設の経緯
南王国ユダの人々からすると、信仰的にも民族的にも劣悪な存在としてサマリヤ人を見ていたようです。そうした、民族的な嫌悪感は、軽蔑や差別、蔑視というものにつながります。
ところが、南ユダ王国も新バビロニアの王ネブカドネザル2世によりによって滅ぼされ、紀元前586年に、ユダ王国の指導層はバビロン帝国に連行されます。これが、いわゆるバビロン捕囚です。
バビロン帝国が滅び、70年間の捕囚期間が終り、ゼルバベルを指揮官としての第1次帰還が実現した時に、彼らはただちにエルサレム神殿再建に取りかかりました。
この時に、サマリヤ人も神殿再建に協力を申し出たのですが、ユダの人々は自分たちに託された使命感と、(エズ4:1‐3)正統な信仰から離れたサマリヤ人の信仰を異端と見なしたなどの理由によりこの申し出を拒否しました。
その結果、サマリヤ人は、エルサレム神殿に対抗していきます。かつて、モーセが祝福の山と言ったゲリジム山に(申11:29)神殿を築き、モーセ五書のみが正典であると定めるにいたります。これをサマリヤ五書といいます。
さらに時代が下り、紀元前2世紀にシリヤ王のアンティオコス・エピファネスがユダヤ教の根絶を図ろうとした際、サマリヤ人は自分たちはユダヤ人と同族ではないと主張し、そのあかしとして、ジュピター神をゲリジム山に安置することで、民族の危機を乗り切りました。
ところが、ユダ王国のハスモン朝の創始者ヨハネ・ヒルカノスが勢力を得てきますと、彼はユダヤ教の立場から、偶像礼拝を行っていたゲリジム山の神殿を忌み嫌い、これを破壊するに至りました。(前128年頃)
サマリヤの神殿が破壊された日付であるキスレウの 21 日は、ユダヤ人の祝日となり、その間死者を追悼することは禁じられました。
この事件以降、しだいにサマリヤ人とユダヤ人との間の交流が断たれます。
イエスも弟子たちにサマリヤの町に入らないようにと言います。当時は、サマリヤ人を異邦人と同列に扱われていたことがわかります。
ヨハネによる福音書を見ますと、当時のユダヤ人たちは、サマリヤ人がゲリジム山での礼拝を強調するのに反対していたことがうかがえます。
分断の結果
サマリア人は聖書から離れ、独自の解釈による信仰を成立させていきます。
新約聖書に記されているように、ユダヤ人によって神殿が破壊された後も、ゲリジム山はサマリア人の聖地であり続けました。
ローマ帝国以降
キリスト教がローマ帝国の国教会になったとき、サマリア人はゲリジム山での礼拝を禁じられました。
西暦 475 年、ゲリジム山の頂上にキリスト教会が建てられました。
529 年、ユスティニアヌス 1 世はサマリア主義を違法とし、教会の周りに防御壁を建設するよう手配しました。
その結果、同年、ユリアヌス・ベン・サーバルは親サマリア人の反乱を主導し、530年までにサマリアの大部分を占領し、教会を破壊し、司祭と役人が殺害されました。
しかし、531年、ユスティニアヌスがガサニドの助けを借りた後、反乱は完全に鎮圧され、生き残ったサマリア人はほとんど奴隷化または追放されました。
533年、ユスティニアヌスはゲリジム山に城を築き、この地域に残った少数の不満を抱いたサマリア人による襲撃から教会を守りました。
こうしてみていきますと、サマリヤ人は、神から離れていく過程で、そのアイデンティが損なわれ、民族がほとんど絶え、今日、ほとんどのサマリア人はゲリジムのすぐ近くのキリヤット ルザという小さな村に住んでいるに過ぎない民族にまで衰退してしまっているのです。
自分たちが打ち立てたゲリジム山というアイデンティティをも損なわれていくという悲劇が続いていることに悲しみを覚えます。
イエスとゲリジム山
こうして、あらためてゲリジム山を見ていきますと、祝福の山であるはずが、一転して分断と衰退というのろいをも思わせるような山になっていることがわかります。サマリヤ人の祖先は、かつてイスラエルの12部族に名を連ねていた神の民として由緒正しい民でした。しかし、サマリヤ人は今や細々とその系譜を連ねているにすぎない少数民族へと没落してしまいました。その背景には何があったのでしょうか。
聖書は北イスラエル滅亡の原因は彼らが二つの金の子牛像、アシェラ像、天の万象、バアル崇拝にふけったことに対する主の怒りであると告げています。金の子牛像は、北イスラエル王国の最初の王ヤロブアム1世が始めた信仰です。その他は神々は、土着のカナン人の宗教、また、国際交流のなかで入り込んだ異邦の神々です。あれほど、十戒で禁じられていた偶像崇拝は、結果として、神の民であれども、それを滅ぼすという結果に至りました。
ところが、神は、このような落ちぶれた神の民を忘れてはいませんでした。それも、神から棄民とされた民族で最も差別されていた女性の前にイエスが訪ねていきました。それが、ヨハネによる福音書4章の記事です。
ヨハネ 4 章 4節には、ガリラヤに到達するためにはサマリアを通過する必要があったと記録されていますが、ヨルダン川の東側にあるペライアを通る別のルートを取ることもできました。ヨセフスはこれを、エルサレムでの祝祭の間にガリラヤ人が上って行く慣習的な道であると語りました。しかし、通常パリサイ人は、サマリヤの国や人々との接触を避けたルートを選びました。イエスが、サマリアを通った理由は、最短距離を結ぶという地理的な必要から生じたのではなく、「すべての人に救いを提供する」というイエスの目的をもった旅でした。イエスはサマリアの町スカルに行き、旅の後にヤコブの井戸で休み、弟子たちは町に食べ物を買い出しに行きます。
イエスは、旅の疲れで、井戸の傍らに、腰をおろしておられました。時はおよそ六時。現在の時刻で言うと、正午ごろとなります。つまり、太陽が最も高く上る時間です。イスラエルでは、この時間とても暑いので、人々は、外へ出ずに家の中でゆっくりと過ごす時間でした。そんな時間に、ひとりのサマリヤの女が水を汲みに来ました。普通、水汲みに来る時間は、朝ということですから、日中の暑い時間に水を汲みに来るというのは、事情がありました。
五回の離婚をし、同棲する女
サマリヤの女と形容されている彼女は、五回も結婚しましたが、その五回とも別れ、今は別の男性と同棲していました。当然、昔の社会ですから、彼女のことについてはよく知られ、周囲の陰口を言われるなど、後ろ指を指されるような存在で合ったと思われます。そうした噂や人の心が伝わってきますと、心が重くなり、心を閉ざすようになりました。だれとも会いたくないということで、誰も伊那路時間にそっと水を汲みに来ていたのです。
そうした事情をイエスはご存知でした。また、彼女に必要なものは何であるのかを知っていました。
そうした影を持つ女に、イエスは、「わたしに水を飲ませてください」と言いました。ところが、この申し出に戸惑ったのは、サマリヤの女でした。もともと、ユダヤ人とサマリヤ人とは付き合いがありません。ユダヤ人はサマリヤ人を異邦人同様に蔑視していたというのは先に伝えたとおりです。
また、当時、女性の地位はとても低く、男性が女性に話しかけるということは、一般にはほとんどなかったからです。ですから、イエスの申し出にサマリヤの女は驚いたことでしょう。
このサマリヤの女は、サマリヤ人の姿と重なります。ユダヤ人から見れば、サマリヤ人は蔑視される存在。
他方、サマリヤの女はサマリヤ人から見れば不貞の女として蔑まれていた。ある意味、サマリヤの女は蔑すみの最底辺にある人物であったといえましょう。そういう人物に神はその足を向けてくれたということです。
ゲリジム山の位置も同様です。本来は祝福の山であるはずでしたが、本来向かいあうべき神から離れ、ゲリジム山自体に祝福があると信じた結果どうなったでしょう。サマリヤ人はゲリジム山自体を偶像礼拝していたのです。
その結果、祝福を損なってきたという歴史があります。
イエスは、サマリヤの女にこう言います。
父を礼拝するのは、ゲリジム山でもなければ、エルサレムのモリヤの山でもないとイエスは言います。
本当に礼拝すべきところは、どこにあるのか。
礼拝すべきは、イエス・キリストを信じることにあると明言しました。そのイエス・キリストを信じることが、祝福なのです。
ゲリジム山を祝福の山としてこだわり続けた結果、サマリヤ人は大きな間違いを犯しました。祝福は、父なる神にあり、御子イエス・キリストによる信仰が祝福であることをイエス・キリストは示してくれました。
それまで、サマリヤ人は、信仰について放浪を重ね、まさに、男性遍歴を重ねるサマリヤの女と同じでした。なぜ、サマリヤ人は神に対する遍歴を重ね、サマリヤの女が男性遍歴に走ったのか、それは、イエスはこう言いますが、
信じるべき、また愛すべき対象を見いだせなかったということです。神を知ってはいても、信じるべきもの、愛するべき対象がわからないことに、サマリヤの悲劇がありました。
その悲劇からの解放は一つしかありません。それは、御子イエス・キリストを自分の救い主として信じる以外に、霊的な放浪からの解放はありません。
私たちが、祝福を求めて何も得られないと感じる時、求めているものが間違っているのかもしれません
イエス・キリストに立ち返ること、イエス・キリストを霊とまことによって礼拝するときに、私たちのゲリジム山は、本当の意味において祝福に変えられます。その祝福とは、金持ちになるとか、出世するというようなこの世的なものでありません。
それは、永遠のいのちへの水です。この世で涸れてしまう、過ぎ去ってしまう、失われてしまう、また、渇いてしまうという種類の祝福ではないことです。
ゲリジム山麓には、真水が湧き出るといいます。あえて、真水とありますから、湧き水には、塩分の入った水もあるのでしょう。ゲリジム山は、滾々と澄みきった水が泉のようになって湧き出ています。その一部は、伏流水となって、ヤコブの井戸を潤しています。
この尽きることのない、あふれる恵みに満ちたイエス・キリストを通して霊とまことをもって父なる神を礼拝する時、私たちの心から豊かな泉となって注いでくださる聖霊の尽きない祝福をいただけるのです。
私たちを、教会の規模や、教会の建物、教会員、牧師、由緒等々など目につくものから引き離していただくようにしましょう。私たちは、なんでも世にあるものすべて私たちの偶像となりうるものです。私たちがより頼むべきものは、ゲリジム山に頼ったサマリヤ人のようであってはいけません。
私たちの祝福の基は、父なる神であり、御子イエス・キリストにあることです。ハレルヤ!
適 用
依存するものを間違えないようにしましょう
サマリヤ人の歴史は、自己中心的な信仰や物質的なものに依存すると、結果的には祝福ではなく、分断と衰退をもたらすことを示しています。私たちが神への信仰と依存を持つことで、真の祝福を受けることができます。
霊的な放浪からの解放が必要です
サマリヤの女の話は、私たちが自分自身の力で解決しようとすると、結局は失望と挫折につながることを教えてくれます。しかし、イエス・キリストを信じることで、私たちは霊的な放浪から解放され、永遠のいのちへの水を得ることができることを教えています。今日、イエス・キリストを信じてください。
真の礼拝をどこに求めますか
ゲリジム山の話は、真の礼拝は特定の場所や形式に依存するものではなく、霊と真実によるものであることを教えています。私たちは、どこにいても、どのような状況でも、心から神を礼拝することができます。これは、私たちが日々の生活の中で神との関係を深め、神の愛と恵みを経験するための重要な原則であることを忘れないようにしましょう。
参考文献
新聖書辞典 いのちのことば社
新キリスト教 いのちのことば社
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)