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国道1号線で心を燃やせ

「俺はいま何をやっているんだろう…」

1月の大寒少し手前の真冬の夜、ざあざあと降り注ぐ雨の中、一人国道1号線に立ち尽くす。傘はない。もう後戻りもできない。なぜこんな寒い中、この場所にいるのだろうか。もう何もわからなかった。

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「面接のトークとして、『心が燃えた』経験があると面白いよ。やっぱり自分が心からめちゃくちゃ頑張った!ってエピソードが一つあると強いよ」

2週間後に、どうしてもいきたかった国際交流プログラムの面接がある。その面接のアドバイスを、すでに参加したことのある先輩から聞いているところだ。

「心が燃えた瞬間か...」

奇しくも、鬼滅の刃がこの世にまだ生まれていなかった2013年の冬に、私はこの言葉を先輩から聞いた。自分の人生を振り返ると、努力をした経験はあれど、心を燃やした経験はないな、とその話を聞いて思った。

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当時、ちょうど大学4年生になるタイミングであったため、大学の必修授業もほとんどなかった。そのため、埼玉での一人暮らしをやめて実家に帰り、実家から大学に通うことに決めた。

となると、引越しの準備をしなければならない。部屋には本棚があり、たくさんの積読本が格納されていた。引越しを機に本を捨てることももったいない。いつか読むであろうと思い、全て実家に持ち帰ることにした。

その当時は弱虫ペダルがアニメ化される少し前で、自転車ブームが少しずつ大学生たちにも浸透しつつあった。私はおばあちゃんから一人暮らしの餞別に買ってもらったママチャリが気に入っていたため、ロードバイクを買うことはなかった。が、自転車で旅をしたいと前々から考えていた。

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そこで、埼玉の草加から実家の横浜まで、自転車で帰ってみることにした。自転車で日本一周をするのは大変そうだけど、一都一県を移動するくらいならできそうだ。次の日、大学の2限の授業が終わったお昼頃、ママチャリと一緒に横浜を目指しペダルを漕いだ。海外旅行で愛用していたバックパックに大量の本を詰めている間、これから始まる冒険に胸をときめかせた。

当時Google Mapには徒歩か自動車、電車の3択しかルート探索できなかった。埼玉から神奈川まで、自転「車」ではあるけど車ではないので、なんとなく「徒歩」を選択した。すると、距離50キロ、合計10時間と表示されている。

小学校の算数でならう「は・じ・き」を使うまでもなく、時速10キロで行けば5時間でつく。時速20キロで走れば2・5時間で到着できると理解した。だいぶ余裕だ。楽しんで行こう。と楽観的な気持ちでペダルを漕ぎ始めた。これが悲劇の始まりであることとは知ることもなく。

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普段電車で通る道を、自転車で走っていく。なんとなく感じていた風景を、自分の力で進んでいく。肌で風を感じる。ペダルを漕ぐたびに着々とゴールへ向かっていく。開始してすぐにもかかわらず、地図上の自分が少しずつ目的地に近づいているのを見て、文字通り自分の力で前に進んでいる感覚がした。

草加から、まずは北千住へ向かう。埼玉はほぼ坂がないため、スムーズに走ることができた。いつも急行が止まる西新井を過ぎると、大きな川が見えてくる。荒川だ。橋の近くの表札には、「Arakawa River」と書いてある。川とRiverって同じ意味じゃないのか、と、ちょっとした気づきを得る。橋を渡りながら、川の大きさに改めて感動する。橋の上から、向かいに日比谷線が通り過ぎていく景色が見える。

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橋を渡りながら、荒川ってこんなに広かったのか、と改めて感じた。北千住に入ってから、一路上野を目指して走る。普段日比谷線で移動しているため、地上から上野まで走ったのは新鮮だった。自分の目で、肌で、初めてを感じていく。思い立たなければやらなかったであろうこの経験に、道を進むというより、道を拓いていく感覚を覚えた。

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台東区をすぎると千代田区だ。外苑沿いをとおり、東京駅の前で休憩する。その時ふと、区と区が変わるごとに、その土地の変化に気づく。多くのビルが立ち並ぶ丸の内のすぐそばには、自然の多い外苑が見える。そしてしばらく進むと、東京タワーが見えてくる。

見える風景が、土地ごとに異なる。この土地に住む人たちは、当たり前のようにこの景色を見て育ってきたのだろう。この土地に働く人は、どこから来たのだろう。すれ違う人や、ビルの中にいる人。たくさんの人がいるが、その人の数だけ人生があると考えると、途方もない気持ちになった。

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品川区に入ってからだんだん疲れてきた私は、携帯の地図をいちいちみながら走ることが面倒になりはじめた。そこで、頭を使わずに、ただ走るだけで横浜につく手段を考えると、国道1号線が近くにあり、これに沿っていけば横浜につくことが判明した。

国道1号線に合流し、ひたすら自転車を漕ぐ。あたりはだんだんと暗くなり、寒くなってきた。とにかく道を急ごう、と思った。変化のないビル群に、私の心は徐々に削られていった。

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17時をすぎ、目の前に大きな川が見えてくる。多摩川だ。橋を渡れば、ようや川崎市にたどり着いた。この時、荒川を超えた時のような感動はなく、吹く風の寒さに身を冷やしながら、早くゴールにたどり着きたい一心でペダルを漕いだ。

しかし、本当の地獄はこれからだった。国道1号線沿いは、とにかく何もない。ただただ同じ高さの建物が並び、とにかくトラックが走っている。車道を走るものなら引かれてしまうのではないか。というくらい、凄まじいスピードで走る。これには流石に身の危険を感じ、低速でもいいから歩道を走ろうと志した。

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今回の最大の誤算は、自分の「疲れ」を勘定にいれていなかったところだ。行けると思っても、体がついていかない。ママチャリの重量は、およそ20kgくらい。せいぜい10キロ〜12キロしか速度がでない。さらにこれに加え、バックパックを背負っている。

そもそも自転車は10キロ程度しか速度が出ない上に、信号という概念を全く勘定にいれていなかった。つまり、常に一定のスピードを出しているわけではなく、所々で止まったり、減速したりする上で50kmを走破しなければならないことに、全く気づいていなかった。

時刻は6時を過ぎ、あたりは真っ暗になっていた。国道1号線のテールランプを頼りに前にすすむ。心身が疲れてくると、何も考えなくなる。無心でペダルを漕ぐ。希望を胸に地図を見るが、全然前に進んでないことに気づきすぐに絶望する。折れそうになる心をなんとか保つが、バックパックが肩に食い込んでいく。

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ぽつり、となにかが滴ってきた。最初は汗だと思っていたが、すぐに雨だと気づいた。小雨ではあったものの、自転車で走るととにかく顔に当たる。だんだんと体が冷えてくる。無心で走っていたが、徐々に雑念が芽生え始める。終わりのない国道1号線を走っている中、信号で止まった時、心の中で、「なぜこんなことをしているんだろう」と呟いた。その瞬間に、目からぽつりと涙がこぼれた。

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そのまま、静かに泣いた。ふとした瞬間に、心が折れた。もうやめにしよう。でも、近くに電車に乗れる駅はない。自転車をどこかに置いて行く判断もできない。何より一番怖かったのは、今自分のいる位置は、前に進むにも戻るにも難しい場所であると気づいた時だった。今までの行程を考えると、後戻りはできない。でも前に進む気力もない。後にも先にも進めない。どうにもできない状況が、こんなにも不安な気持ちにさせるのかと、初めて感じた。

雨が降る中、しばらくその場で立ち竦んだ。何をやっているのだろうか。なぜこんなにも辛い思いをして自転車に乗っているのだろうか。もはやわからない。わからないことが余計に辛い。電車で移動すれば2時間の道のりを、倍以上の時間をかけてもたどり着かない。本気で絶望し、涙が止まらず、心のガソリンが空っぽになった。

しかしその時、心の中で何かが燃えはじめた。

絶望に打ちひしがれ、すべてを出し切った時、心の底から「生きよう」という気持ちが湧き上がってくる。どうにかしよう、なんて考えない。「生きる」、と心がシフトする。どうにかして生きようと、必死になる。体温はどんどん低下する中で、心だけは燃えていた。再びペダルを漕ぎ始める。「生きる」と考えた時、何も怖くなくなった。その時、国道1号線で、人生で初めて「心が燃える瞬間」に立ち会うことができた。

それから、生きるために無心でペダルを漕ぎ続ける。すると、ようやく横浜市にたどり着いた。横浜市は川崎に比べ、坂が増えた分、平坦で途方もない品川〜川崎の区間よりも飽きずに走ることができた。

この「飽き」というものが、疲労の次に辛いことに気づく。変わらない景色を走り続けると、変化のなさに心が折れる。永遠に続くことよりも、変化こそが、心に刺激と安らぎを生むのだろう。

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京浜東北線と小田急線が走る線路が見えた時、横浜駅が近いことに気づき、安堵した。実家から横浜まで何度も自転車で走ったことがあり、知っている道を走ることは安心につながる。ゴールまでの道のりを走ることは簡単だ。なぜなら、道のりがわかっている分、あとどれくらい頑張れば達成できるかがわかるからだ。

先の見えない道を走ることは、とても怖い。力の配分がわからないし、一生ゴールにたどり着かないのではないかと思えてしまう。変化のない道なら尚更だ。いつまでこんな状況が続くのだろうか。とても怖い。雨などのトラブルに見舞われたら、容易に心が折れてしまう。後にも引き返せないし、先にも進めない。そういう時に、信じてペダルを漕ぎ続ける。ゴールが待っているであろう道を前に進み続ける。そして努力が積み重なり、目標までの距離が少しずつ詰まっていく。

そんなことを考えながら、みなとみらいのランドマークタワーを横目に走る。もうあと少しでゴールまでつくと思うと、相変わらず雨は降っていたものの、自分の心だけ晴れてきた。あと少しだけなら頑張れる、と、少しずつ前に進むたびに心の中で唱え続ける。

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やっとついた。

横浜スタジアムが見えてきた。中華街の朱雀門も見える。本当に疲れた。もちろんゴールに観客は誰もいない。行き交う人は、いつもの変わらない日常を過ごす。なんてことのない日であったが、どんな検索結果にも引っかからない、自分にしかわからない記念日となった。

この感動を一人胸に抱きながら、横浜公園のスターバックスに腰をおろす。その時に飲んだ抹茶ラテは、心身の隅々まで温めてくれた。側から見たら、ずぶ濡れの男が死にそうな顔をして椅子に座る姿は、不審者にしか見えないだろう。けれど、そんなことはどうでもいい。それでいいのだ。

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もしも人の内面が見えるとしたら、そこには沢山の語られないストーリーがあるのだろう。私は、達成した。この長い道のりを、途中で心が折れながら、走りきった。生き残った。達成感で心がいっぱいになりながら、実家に帰り、シャワーを浴びてベッドの上で泥のように眠った。

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後日、運命の面接日。受験番号を呼ばれ、3度ノックをして面接室に入る。志望動機を淡々と答え、パーソナルな経験を問われたとき、私はこの経験のことを話さなかった。なんとなく、語らない方が格好いいと思ったからだ。だからこそ、面接官が多少難しい質問をしてきても、「おれは50kmもママチャリで走ったのだ」という変な余裕が生まれた。その結果、全く臆することなく堂々と会話をすることができた。

分厚い封筒がポストに入っていることを確認し、合格していることを確信した。国際交流プログラムに参加するために、ここから休学の道を進むことになる。その先に何があるのか、何もわからない。けれど、先が見えずとも、ペダルさえ漕いでいれば前に進めることだけはもうわかっている。

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