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あの人の「自分軸」が他人軸に見える理由

AIの登場、社会の変化、働き方、生き方、世界情勢…価値観が大きく揺らいできているご時世。何気ない日々の中でも、ここ何年かは顕著に個人としても自分の未来を決定づけるような重要な選択が迫られているところがあります。これからも、しばらくそんな日々が続きそうです。

そんなとき他人の意見に左右されると、つい他人のせい世の中のせいにしたくなる(恨…)。そこで、後悔しない未来を選ぶためには自分で自分のことを決めていくことが必要になってくるわけです。でも、「あの人のいう自分軸って、なんかちょっと他人軸にみえるけど…」「えっ、それ自分軸?なんかブレてるようにみえる…」みたいなことを感じたことありませんか? その辺のところを仕組みを紐解いてみたいと思います。


1.意識の段階という観点からみてみる

これを説明するのに、ケン・ウィルバー『インテグラル心理学』にある、人間の意識の成長についてものすごく単純化したモデルを使ってみてみます。

自己中心的 → 自集団中心主義 → 世界中心主義 → 神性中心主義

個人の意識の進化成長は、自己中心性の脱却にあります。まずは自己中心的態度を脱して自集団中心的になり、視野や視点が自分が所属する身近な集団からさらに世界規模に広がっていき世界中心的へと進み、さらに統合されていくと神性中心的に至ります。現代の社会ではどんなに意識の進化が進んでいる大人でもほとんどは「世界中心的」のある段階にまでしか至っていないのが現状のようです。

自己中心的段階は、幼少の子どもをのように自分が中心に世界がまわっている状態です。さすがに大人になればその状態はほぼ脱しているでしょうから、いくらワガママな気質がときどき見受けられる人がいたとしても、おおよそ日本のような国にいる大人は自集団中心的から世界中心的のグラデーションのどこかに位置しているといえるでしょう。つまり大雑把にいうと、世の中には、意識の中心が、自集団中心的に寄っている人と、世界中心的に寄っている人がいるのです。

2.自分は、あの人は…自集団中心的寄り?世界中心的寄り?

自集団中心的に意識が寄っている人は、自分の属する身近な集団であるコミュニティ(職場、学校、地域、周囲の仲間、家族、それらの人たちの信じるメディアの情報)が価値基準の中心になりがちです。つまり自分の所属するコミュニティの多数派がいいといったもの、「これがこの集団内での公式見解とします」といわれたものが、自分の価値観として採用されやすいことになります。その辺は、空気に流されるというか、周囲に馴染むのが善といった理屈で割り切れない行動基準もわりとナチュラルに受け入れられるのです。つまり、ここでの自分軸≒所属しているコミュニティの価値観といえるかもしれません。

フレデリック・ラルー『ティール組織』でいうと、よりレッドとアンバー寄りというか、馴染みやすい意識の状態ともいえそうです。

3.衝動型(レッド):組織生活の最初の形態、数百人から数万人の規模へ。力、恐怖による支配。マフィア、ギャングなど。自他の区分、単純な因果関係の理解により分業が成立
4.順応型(アンバー):部族社会から農業、国家、文明、官僚制の時代へ。時間の流れによる因果関係を理解し、計画が可能に。規則、規律、規範による階層構造の誕生。教会、軍隊、官僚組織。

一方、世界中心的の方に日常の意識の中心が寄っている人は、自分の属する複数のコミュニティが世界規模方面へ広くなっていたり価値観が多角化・多様化して多様な意見を受け入れているのみならず、さらにコミュニティとは別に各自で合理的に科学的に物事をとらえる傾向が強くなります。自分の価値観や行動がより自由な広がりをもってきます。ニュースソースも国内外自由自在、かつ多様かつ複数のものになったり、両極端の意見も含めてそれを独自に分析したうえで独自の道を選択する機会も増え、その傾向もより強くなってきます。

これは『ティール組織』でいうと、よりオレンジとグリーン寄りの意識の状態ともいえるかもしれません。

5.達成型(オレンジ):科学技術の発展と、イノベーション、起業家精神の時代へ。「命令と統制」から「予測と統制」へ。実力主義の誕生。効率的で複雑な階層組織。多国籍企業など。

6.多元型(グリーン):多様性と平等と文化を重視するコミュニティ型組織の時代へ。ボトムアップの意思決定、多数のステークホルダー。

つまり、全ては相対的。より世界中心的世界観の方に意識の中心が寄っている人から、より自集団中心的世界観に寄っている人をみると、「あの人の言ってる自分軸・・・他人軸にみえるけど??」ということにもなってしまうわけです。

各人が日常的に主にどの意識段階(自集団中心的寄りか、世界中心的寄りか)に主に滞在するかで、「自分軸」のありようが変わってしまうということになります。その個人の選択肢うんぬんより、選択する「自分」というものの認識と位置づけが各個人の長時間滞在する意識の段階ごとに異なってくる。

もちろん、どこの意識状態にいるかは時と場合により変化していて幅がある上に、長時間滞在する意識階層自体もパキッと分かれるものでもなく濃度にグラデーションがある。しかも、2人の人間がいたら、どちら寄りの世界観にみえるかは相対的なので、ある人(Cさん)から見たら自集団中心寄りの世界観だなぁと見える人(Bさん)も、別の人(Aさん)から見たら世界中心寄りの世界観だなぁと見えることもあるわけです。そのイメージ図がこちらです↓

3.まとめ(ジャッジではなく、理解と尊重と共感へ)

以上まとめると…

目の前の人の「自分軸」がブレて他人軸風に見えたり、より確固とした自分軸にみえたりするのは…
①その人が日常、主に滞在している意識段階
②本人(見る側)と相手(見られる側)との①の相対的な位置関係次第

だから、テレビに影響受けすぎてない?周りの意見に合わせてるだけじゃない?など、いくら傍からみて「他人軸にみえるけど…?」とみえる判断をしていたとしても、本人の主観としては「他人に合わせてるんじゃない、自分は自分にとっての最善な決断をした(自分軸だ)」が成立するのです。そしてその主観こそが重要だったりします。

それぞれ主に滞在している意識段階によって「自分軸」のありようが異なってくる。だから、自分と相手の意識状態がお互いどの辺なのかを自覚・認識していくのがスムーズなコミュニケーションの肝なのかもしれません。特にこの変化の多い時代だからこそ、各自本人にとって自分で決めた実感(自分軸)があること、それ自体が重要で尊重に値するものなのだ、ということになります。

周囲の身近な人たちが自分とは全く違う選択をしていく…ということを目にすることが多い時代になりました。こういう時代に入ると、情報提供はしてもいいのかもしれませんが押し付けるのはNGでしょう。情報提供後の相手の選択(その結果)についても慌てたり、焦ったりすることなく、「それぞれに必要な学びが、その本人自身の決断から得られるのだ、自分も然り」という態度もますます必要になってきそうです。お互いの意識の状態と進化成長のプロセスに理解と尊重と共感を皆がしていく必要がある時代に突入したともいえるのかもしれません。自己受容と客観視、そして、かけがえのないひとりひとりの進化成長への相互理解、そんな温かい眼差しを持つことを学び、心掛けたいものです。

【注意⚠】もちろん、人間の意識の発達や各自の能力のパラメーターはここで示したものの他に、当然沢山あり、とても複雑です。単純に、この大雑把な図式(自己中心的→自集団中心的→世界中心的)で進んでる遅れていると自他を優劣を判断したり割り切るものではありません。発達は直線的なものでもなく、スパイラル(螺旋的)であったり、ときに停滞も自然な形で訪れるものです。多彩な能力、複雑な存在の理解のひとつの見方として、今回はあくまでも表題の疑問をわかりやすく紐解く観点に立って、単純化した意識の発達の方向性を用いて説明を試みてみました。

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『ティール組織』と『インテグラル心理学』についてのもうちょっと詳しく書いた図がこちらにあります👇

「自分軸」について、別な角度からの記事はこちらに書きました👇



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