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痛みと歓喜

−ぱくきょんみ(詩)野原かおり(画)『あの夏の砂つぶが』(sibira 02)に寄せて 石田 瑞穂  これは、ぱくきょんみさんが翻訳した、アメリカの女性詩人ガートルード・スタインの詩集『地理と戯曲』の一行。スタインの英語原文は文法的にいつもどこかちぐはぐで、それを正確に訳そうとすればするほど、ちぐはぐな日本語になってゆくおもしろさがある。  ぱくさんの詩も、そんな翻訳にちかい。ぱくさんの言葉は韓国と日本、自己と他者、ジェンダー、現実と夢のはざまをゆれうごき往来している。

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    • 【7月のトーキョートップ】no title

      この作品はcrossing linesのトーキョーパートにて、2022年7月に掲載されました。作品の著作権はすべて阿部紗友里氏に属します。阿部紗友里氏のアーティストシップに感謝いたします。 【プロフィール】 写真家  1987年 東京産まれ 横浜育ち 田舎は岩手。 写真スタジオで働いた後、あらゆる所へ旅をし、2022年 長野県茅野市に移住。砺波周平の元で働く。

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      • 【6月のトーキョートップ】[pea]ce

        この作品はcrossing linesのトーキョーパートにて、2022年6月に掲載されました。作品の著作権はすべてヤリタミサコ氏に属します。ヤリタミサコ氏のアーティストシップに感謝いたします。 【プロフィール】 詩人。アメリカ現代詩、女性学、ビート詩、フルクサス、視覚詩、音声詩。2019年北海道新聞文学賞受賞。『ビートとアートとエトセトラ』『カミングズの詩を遊ぶ』『モダニスト ミナ・ロイの月世界案内』『ギンズバーグが教えてくれたこと』『月の背骨/向う見ず女のバラッド』

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        • 【5月のトーキョートップ】A Foreigner in Asakusa

          この作品はcrossing linesのトーキョーパートにて、2022年5月に掲載されました。作品の著作権はすべて谷口昌良氏に属します。谷口昌良氏のアーティストシップに感謝いたします。 【プロフィール】 1960年東京生まれ。高校卒業後渡米。10年間在住し現代美術、写真、仏教を学ぶ。現在、浄土宗長応院住職、空蓮房ギャラリーディレクター、写真家。著に「写真少年」3部作、「空蓮房|仏教と写真」畠山直哉共著、「空を掴め」石田瑞穂共著がある。個展、グループ展多数。サンフランシスコ

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          持ち仏

          石田 瑞穂 骨董市や古美術展をのぞくのが、むかしから好きだ。 柳宗悦の唱えた古玩や道具たちのもつ素直で健康な美に、コロナ禍に遭ってからもますます魅せられている。 市にゆくと、陶芸、雑貨、書画、古裂のほかに、かならず仏教美術が露店に列んでいる。 日本の古美術界では〝残欠〟と呼ばれ珍重されている品がある。瑕けた物、不完全な物に侘びた美をみいだす美的観点があり、それらはときに完器を超え値があがる。 秋草のような儚さですらりと無明指を天へのばす木彫千手観音飛鳥仏のいっぽんの

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          乾山の春野

          石田 瑞穂 寒さの厳しかった冬もやっとおわり暖かくなりだす春宵は、心身もゆるゆるとほどけ、おおらかな雰囲気の器で呑みたくなる。そんな花月ともなると、時代箱からいそいそととりだす尾形乾山作の皿があるのだ。 色絵春野図角皿がそうで、ぼくがもっているのはその「壱」。もともとは五ないし十客一揃の向付であり、箱書きは一八代永楽善五郎。そのうち一客が流出し別葉したものとおもわれる。新型コロナ禍のため二年ぶりの開催となった東京美術倶楽部特別展に、金沢の店が出品したものを譲りうけた。

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          うつろうかけらとしての写真−谷口昌良写真展「写真少年 1973–2011」

          石田 瑞穂 浅草寺のある東京浅草には、かつて、星多の写真館があった。演芸のロック座やキネマの浅草名画座とともに、浅草は写真の街だった。写真が趣味でお寺の住職だった祖父からアナログカメラを譲りうけた谷口昌良も、ごく自然に、そんな「写真少年」のひとりになった。 ビーチボーイに憧れたクールカットの浅草モダンボーイは、詰襟の学生服にカメラを肩からさげて、吉原芸者や江ノ島の海をファインダーにおさめる。写真帖の余白に、ボヲドレエルを気取った詩を書きつけて。 そんな「写真少年」に出逢

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          野原かおりのドローイング

          石田 瑞穂 ある線が、到来する、とはどのような出来事なのか。 その線のうねりは孤独な力をかんじさせる。 この場合の〝孤独〟とは、線の発生が画家じしんのためどころか、だれのためでも、だれのものでもない、という力の在り様をさしている。星の発光が宛先のない手紙を書くように、線の創発は手作業の無意識そのものへと宛てられる。 いま、孤独、と書いたけれど、野原かおりの指先から滴りつづける線は、痩せ細った孤立ではない。野原さんの作品を〝絵画〟とだけ限定するわけにはゆかないし、そのけ

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          白雪の酒器

          石田瑞穂 世の中がコロナで騒然となったころ、骨董屋や市にいつもより足繁くかよった。 戦時の四年間、詩人で随筆家の青柳瑞穂は世と断絶して蟄居し、李朝の白釉壷と黒高麗壺に魅入られていた。そして、茶陶の起源ともいうべき朝鮮の美は、白か黒か、と朝な夕なに自問しつづけたという。 なぜか、おなじことがコロナで隠棲するわが身にもおきたのだ。ただし、ぼくの場合、李朝白磁徳利か黒高麗徳利かという酒器問答になったわけだが。 とまれ、一流店の名品は鼻白んでしまうほど値が高く、ぼくの暮らし向

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          見えない線 / An Invisible Line

          温又柔 私は日本人ではない。台湾人だ。台湾で、台湾人の両親のもとにうまれて、幼少期から今に至るまで、日本でしか暮らしたことのない台湾人だ。 子どもの頃、台湾に帰省する両親に連れられて飛行機に乗るとき、必ず一度は、窓に額をはりつかせて、しみじみと外を眺めた。雲ばかりが見える。雲のじゅうたんの上を歩きたくなる。そういう夢を見たこともある。 雲のない日は、海が見えた。 光を撥ねる海面に目を凝らしながら、私はいつも探したくなった。いや、本気で、それは目に見えるものなのだと信じ

          ジュディ・ハレスキ — — 環太平洋をつなぐ詩人

          原 成吉 いまから100年ほど前のこと、英語圏の詩を一新する「イマジズム」という運動があった。その中心にいた詩人のエズラ・パウンドは、日本の俳句に触発され、断片化したイメージをコラージュした短い詩を書き始めた。彼の作品は、それまでの英語詩とは違う脚韻を踏まない「自由詩」だった。その数年後にパウンドは、唐時代(8世紀)の詩人、李白の作品を中心とした中国詩のアンソロジー『キャセイ』を出版した。こちらもイメージを中心とした話し言葉による自由詩である。日本の高校で習う漢詩とは、まっ

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          想像の風景のなかの非常用つまようじ / An Emergency Toothpick in an Imaginary Landscape

          アストリッド・アルベン著 山中章子訳 よそよそしくもどことなく居心地の良い一連のロックダウンのあいだ、芸術作品が我々の創造力の神殿に、実物の不在のなかで静かに身を潜めているとき、私は創作について語る芸術家に目を向けるようになった。エイミー・シルマン[i]はエッセイ「色について」で、表面について語り、画家たちがいつも表面について議論し、それを触り、撫で、「特別なスポンジとヘラで、または硬材か竹製の柄とヤギやミンクやマングースの毛を使った筆で隅々まで撫でる」様子を書いている。[

          赤に刻まれた傷 / Scars Drawn in Red

          木村友祐 アレのせいで家にいる時間が長くなってから、一緒に暮らす猫と昼寝することが大事な日課になった。やるべき仕事を後回しにして、猫との昼寝を優先する。 最近十二歳になった猫のクロスケも一緒に昼寝するのがうれしいらしく、昼寝しようとせがみにくる。もちろん、人間の言葉でそう伝えるわけじゃない。体の動きで伝える。どんなふうに? 自分のご飯皿のところに行って、布製の箱で蓋をされたそれをじっと見下ろす。ご飯を食べたいのかと思って蓋を開けてあげると、途端にクロスケはプイと体の向きを

          ことばを心に響かせる / Let the Words Touch the Heart

          関根 路代 コロナ渦のなか、「雷曲」の翻訳をしました。正確には、写真家の谷口昌良さん、詩人の石田瑞穂さん共著の写真詩集『空を掴め』の英訳をしました。これまで英詩を読むことや和訳をすることはあれども、詩の英訳は初めてで、頭を空にして「雷曲」/『空を掴め』の前に座ること、はじめはそれしかありませんでした。 詩のことばをつぶやきページをめくる。ペンでアイデアを書き留める。写真をぼんやり熟視する。散歩し、暗唱する。雷鳴とどろく中、空を見上げ、ことばを心に響かせる。翻訳を録音し、聞

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          遠く深く離れゆく光−今井智己写真展「『十年』−A decade」

          石田瑞穂 桜もちりつつある東京浅草から蔵前へ。コロナによる緊急事態宣言がやっとあけて、若き詩人の二宮豊さんと、ひさしぶりに遊んで、呑もう、ということになって。 正午、江戸前蕎麦の老舗〈並木藪蕎麦〉のまえで、やあやあ、と二宮さんと再会。そのまま暖簾をくぐる。 コロナ禍以前のインバウンドのころの並木藪蕎麦は、毎日、交差点まで人列ができ、おちついて蕎麦をすする気分にはなれなかった。ところが、いまは空席ができるほど。小あがりにふたりで腰かけ、まずはビール、それから、並木藪といえ

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          坊主と写真と新宿と

          谷口昌良 海外から日本へ観光に来られると必ずと言っていいほど京都の寺巡りをするでしょう。紅葉に映える古寺の佇まいは静寂さと共に苔の香りが混じり合い時を重ねてきた風格が漂います。最後の戦時は応仁の乱と言うからに昨日今日の話ではないわけです。一方で私が住職を勤める東京蔵前の寺は、関東大震災、東京大空襲の難の度再建し、やっと昭和40年代の高度経済成長の中の建設ラッシュ時にコンクリート鉄筋構造で今日の建物が建てられました。当時は真砂が足りなくて海砂を使ったくらいだったそうです。その

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