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眼のとまり木 花のうつわ

詩人 石田瑞穂

 机上に咲く一輪の花。

 それは、詩や原稿を書くぼくを鼓舞してくれるミューズ。書きあぐねているとき、花びらの色かたち、生命感は、ぼくを虚の世界から実の世界へとつれもどし、乾いた眼とこころをうるおしてくれるのだ。そうして、幾輪もの名もなき野花と百草、庭の茶花たちと、ぼくは幾歳も机を共にしてきた。

 だから、華道を嗜まないぼくだが、骨董店でも市でも、つい花の器になりそうなものへ眼がゆく。写真の器は、元来、花器ではない。それと見立て日々愛用しているものだ。読者諸氏はなにとおもわれるだろう。じつは、これ、牛の角でつくられたワイングラスなのだ。

 フランスのバスク地方に、山の詩精フランシス・ジャムの取材のために赴いたことがある。日曜日になるとホテルのまえにマルシェがたち、新鮮な地粉パン、山羊のチーズ、自家製ハムや蜂蜜獲りの店がにぎにぎしく列ぶ。そのなかに古物店があった。木の聖人像や素焼きの食器のなかに、この牛の角のワイングラスがあり、農家のお婆さんとしかみえない店主が、矯めつ眇めつするぼくに、

「Qu’est-ce que c’est?」

と、悪戯っぽくほほ笑んだ。

「この牛の角のワイングラスはね、一八〇〇年代後半くらいのものよ。当時、バスクの山村では硝子製品がとても貴重で高価なものだったの。だから、羊飼いたちは牛の角をこんなふうに細工して、皮袋からワインを注いで呑んだのね」

 このグラスは、角の先端を切りとり、内側を刳りぬいて薄く削り、底に円盤を嵌めてある。高台には轆轤でひいたような鑿痕があり、好もしい。陽に透かすと、琥珀色に輝いて、たしかに色硝子のよう。じつに素風な器はまさに西欧の民藝である。骨繊維に付着しているのは、葡萄酒の澁であり、長年におよぶ酒呑みの染め痕であった。ぼくはこのグラスを羊飼盃と名づけ、旅のあいだ、村の居酒屋やホテルの部屋でこれに白ワインを注ぎつづけたのだった。その酔い心地は、


どんなに甘いグラスも苦さを運ぶ。

曙が目覚めて飲むミルクのような

霧で満たされる青い谷間のグラスは別だが。


という、ピレネー山脈の牧童詩人、ジャムの詩の言葉のごとし。

李朝灯火器に河津桜を活けて

 ところが、それこそ旅の魔法というやつなのか。日本に帰国してこの牛角のグラスでワインを呑んでも、ちっとも興がのらないのである。やはり、あのピレネーの山と高原にみちる清々しい空気、村の居酒屋の古い朴ノ木のテーブルで食すチーズやガレットがなくては、この山の器は活きないらしい。

 ややもすると無用の記念品になってしまいそうだったこのグラスを、自宅で花入としてつかってみたところ、和花とも相性がよい。三月は、白玉(椿)の蕾をなげいれてみた。四月なら、胡蝶侘助や古金襴などの茶花も好いだろう。春の野花なら、たんぽぽ はるじおん、夏のあれちのぎく、秋はせんだんそう、のぎくを散歩の路傍で摘んではこの山の盃に投げ入れて、わが詩の女神に献じる。

 自然の生活から生まれた器は、自然の美へと還る。洋の東西を越えて、侘びるとは、そういうことなのだ、と、このピレネーの酒と花の器は教えてくれる。


〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第15回〉



写真 鈴村菜和  *全ての写真は転載を禁じます



執筆者プロフィール

石田 瑞穂(いしだ みずほ)

詩人。国際ポエトリー/ポイエーシスサイト CROSSING LINES  プランナー

https://crossinglines.xyz

1999年に第37回現代詩手帖賞受賞。個人詩集に『片鱗篇』(思潮社・新しい詩人シリーズ)、『まどろみの島』(思潮社、第63回H氏賞受賞)、『耳の笹舟』(思潮社、第54回藤村記念歴程賞受賞)、『Asian Dream』(思潮社)、『長篇詩 流雪孤詩』(思潮社)。

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