塵泥と流るる写真——福持英助個展「GOD COUNTER」
詩人 石田瑞穂
写真は真(まこと)を写すのか。
和語のうつすは、移す、憑す、ことでもあるという。写真がいま、ここにある世界をうつすことで、新たな世界をいま、ここへとうつす、創造する。そんな写真論をぼんやり想い浮かべつつ、神楽坂のギャラリー「Roll」へ、福持英助の個展「GOD COUNTER」を観に外出した。
ⅰ
十二年ぶりの個展だという。剥きだしのコンクリートの壁に、一列に展示された写真作品の傍には、福持英助の師にして夭逝したカリスマ的写真家、清野賀子氏から譲られたという古めかしい大判フィルム用のカメラ、EBONY GP69が三脚のうえにおかれ展示されていた。
神奈川県に生まれた福持さんは十代のころから”享楽的な生き方”をしていたという。学校にはゆかず、産廃業者として現場に出入りし、日顧い仕事に明け暮れる。未来は想わず、その日の生を満喫して、働き、遊ぶ。その毎日の現場で、物質文明が産み墜した産業廃棄物たちに”絶望”をみた。破壊され汚染された土地と時空に、それでも勁く生きようとする生命の容に”希望”をみつづけた。日々、移ろい漂う、現場、とだけ呼ばれる名前も意味も実在もない場所で。
現場の少年は、清野氏とめぐり逢い、写真と出逢うことで、世界の異なる光を知った。コマーシャルフォトグラファーとして活動し、糧を得ているいまも、福持英助は十代の自分に強烈な印象を刻んだ原風景を折にふれて撮影しつづけた。師のカメラとともに。
それが、今展「GOD COUNTER」シリーズである。
現場とおなじく、タイトルをもたない風景写真がほとんだ。無言で、静かに”世界”の境界線から後退し、沈滞しているトポス。水辺で美しく靡きそよぐ芒原の作品。しかし、静謐な水鏡の底には、汚染土壌がヘドロ化して堆積している。別の廃棄された池には、無数に不法投棄されたゴミがちらばり、ボートの残骸がカラフルにまどろんでいる。
退去後、放置されたオフィスの内観風景。白茶けて荒廃した無人の室内には、遺棄された観葉植物の鉢が横倒している。そこからは緑の葉が鮮やかにこぼれている。別の鉢には、どこからか飛来した種が実生し、水彩画のように繊細な色調で淡く紅葉して。
コンクリート壁に無造作に撒かれ街の抽象画となった化学薬品。ガードレールの根本から咲く、正体の知れない外来種の赤い花。中東の村落の映像を想わせる、砂地の廃屋。ひびわれた泥寧の釉溜になって輝く、翡翠色の悪染水。工事用盛土から清水のように垂れているブルーシート。そして、うたかたの人工物とも文明の終着とも写る、都市——。
その光景はすべて、ぼくらが日々通り過ぎていながら、意識にものぼらず記憶にものこらない、奇妙になつかしい人工と自然のエアポケットたちだ。そんな写真的存在を、福持英助は「GOD COUNTER」と名付けた。それは氏の造語で”神を数える者”。海外の写真業界では、撮影することを”shoot"ではなく”count”というから。写真を知る以前の、産廃業者だった少年は、荒廃した現場で出逢う生命に神の御業を感じ、それを数えて遊んでいた。未来を鎖じていた少年は、本能で、次の瞬間をカウントしていた。
実際、福持さんの写真作品にはさまざまな両儀性と両価性が渦巻いている。自然と人工はもとより、静と動、生命と死、美と醜悪、勝者と敗者、調和と破壊、智と愚、刹那と永遠——しかも、自然と人工はそれらを鏡のように相互の内面にうつして反転させつづけ、そこに感知しえない隔りと裂け目を産みつづけている。その力は、シャッターのおりる一瞬で両者を烈しく引き裂き、静かに調和させてしまう。まさにそこには神が-ぼくの言葉なら、神秘が-在る。
ⅱ
ギャラリーをでて、ちかくの老舗居酒屋〔伊勢藤〕の暖簾をくぐる。ビールはない。酒は、剃髪し作務衣を着た店主が囲炉裏端でぬる燗する、白鷹の樽酒だけ。肴は焼いたメザシ。お隣の老紳士は、持参の古唐津山盃で酒を呷る。
そんな酒にのせられたのか。万葉の古歌が、福持さんの写真とともに想い浮かんだ。
塵泥の物の数にもあらぬ我ゆゑに思ひわぶらむ妹が悲しさ
流刑の憂き目にあった中臣宅守が妻に宛て詠んだ歌で、塵や泥のように物の数にもはいらぬ私を、想い患ってくれるあなたが愛おしい、そんな大意である。それは妻を労い励ます歌であるとおなじく、新たな身分に貶された宅守自身を鼓舞する歌でもあった。
詩の造作においては、塵泥(知里比治、ちりひぢ)という響き以外はとくにみるべきところははない。文学的には、この歌そのものが塵泥にすぎない。しかし、その響きには重みがある。宅守は失脚し越前に流されたが、富はもちろん縁もゆかりもない土地で徒刑(強制労働、当時のそれがどんな境遇かは想像するしかないけれど)の身となり果てた。宅守もちりひぢになったのである。ゆえに上代日本語における塵泥は、身の低さ、しかも存在がちりぢりに砕け己を確信できないでいる低さ、その大地、を暗喩する。物の数に非ずとはこのことで、ぼくらの感じる格差からは遠い生死だ。
福持英助の写真は塵泥となる。それは、福持さんが写真に自己を投影する、という意味では毛頭ない。福持さんが、塵泥へうつる、もしくは塵泥が福持さんへ、観る者へ、うつる、のである。
ⅲ
而して写真そのものが、現代社会の塵泥である。画像で溢れる世紀、情報化社会は忘却をゆるさない。
歴史とは記憶であり、記憶である以上、忘却とともに存在する。その記憶を支えるのが、無数の文書と画像による記録である。ゆえに歴史が、人間を創り拘束していると感じ考えるひとも無数にいる。当然のこと、ぼくらはうすうす不可能と察しつつ、歴史と知の権力の外にいる人間を仮想し夢想するだろう。かつてピエール・クラストルが唱えたような「歴史なき社会」を。ゆえに、歴史なき写真を。
たしかに、圧倒的な物量を数える公的記録のまえでは、福持英助の写真のもつ豊かな意味の揺れや身体性による応答は、それこそ周縁へと追いやられよう。他方では公的資格をもつとされる記録画像も、古文書も、毎瞬のようにその星雲ごと闇に葬られ、文字通り消費される。抹消された記録を読むには、それらを再発見し、それだけでなくその身体的な読み方も発見されなければならない。歴史。その闇と光の境界線を決定した力の痕跡が、塵泥の記録にふくまれていたやもしれない。
写真の内在面にも、廃棄の現場、が映りこんでいたのである。
とまれ、記録によるあらゆる前提と浸透を削助することで免かれた歴史は、硬直していまいか。たとえば、口承詩と文語詩を作為的に対立させる硬直として。だからこそ、記憶の場そのものが類稀な交差路であり、無数の縁や襞を秘めもつことに、真の写真家は注視する。写真機もオリジナルプリントも画像データも、うつし、うつり、うつる、ための中継器だから。歴史的思考の核にある、非歴史的思考の隔たり、その裂け目へと。
ⅳ
物の数にもなく、存在をカウントされない存在、身の低きものが、ある瞬間、不意に、神々しき光像たちを写真において数えだす。表象が強いる枷を断ち切ってたちあがる。日々、消尽していくことを運命とする廃棄現場に、イメージに、神をカウントしだす少年とともに。写真の貴種流離譚。福持英助は写真の内在面に深く潜ることで、現実の光景を旅し、やがて己と観る者をうつりかわる塵泥へとうつし、さらに遠くへ流れてゆく。写真の内なる隔たりと縁を、次の瞬間の可能性を数えだす。
〈CROSSING LINES連載エッセイ 「眼のとまり木」 第16回〉
執筆者プロフィール
石田 瑞穂(いしだ みずほ)
詩人。最新長篇詩集に「流雪孤詩」。国際ポエトリィ/ポイエーシスサイト「crossing lines」プランナー。
https://crossinglines.xyz
公式ホームページ「Mizuho a Poet」
http://mizuhoishida.com
写真家プロフィール
福持英助 | Eisuke Fukumochi
写真家。1974年神奈川県横浜市出身。1997年 に写真事務所「go relax E more」の設立に参加。 2004年に写真家・清野賀子より 独立。
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