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目的化をスライドさせ、新たな意味の構築を図る—堤麻乃《In progress》

北桂樹

21世紀の情報化とインターネットの普及はわたしたちの世界の理解を急激に変化させている。大規模言語モデル(LLM)を活用した人工知能(AI)がわたしたちの疑問に何でも答える時代が訪れており、それらによって現代は何でも知った気になれる時代とも言える、一方でデジタル化によって本来の姿を取り戻しつつあるため、「写真とは何か?」という問いに答えることはますます難しくなってきていると感じる。

現代写真のアーティストとして知られるルーカス・ブレイロック(Lucas Blalock, 1975-)は「写真というメディア」をハーマン・メルヴィル(Herman Meilville, 1819-1891)の小説『白鯨』に登場する巨大な白い鯨のモビー・ディックに例え、対峙するわたしたちはまさに、巨大なメディアの一部とだけを見ているのだと事態を説明する。その言葉通り、写真は現代において、その誕生のころ以来となる「変異株」が次々と生み出され続けられる画期的かつ重要な時代を迎えている。現代における「写真表現」は「写真」というひとつの言語、ひとつの方法論ではすべてが理解できるわけではなくなってきていると言える。現代における写真を扱うアーティストの使命は、モビー・ディックである「写真」をさまざまな角度から見せることで写真の可能性を探ることである。

この文脈において、堤麻乃(Asano Tsutsumi)の作品《In progress》の作品は注目に値する。2023年のKYOTOGRAPHYのKG+の会場の壁や床には出力された無数バリエーションのモノクロ写真が貼り付けられていた。当時、堤本人から「光を捉えようとしています」という説明を受けたと記憶している。しかし、作品において、気になったのはイメージ内の「黒くザラついたノイズ」であった。「光を捉える」と言う言葉から考えられることから逸脱して、イメージ内の影の黒にはノイズも含めあまりにバリエーションが豊かであり、現実的ではなかったのだ。

© In progress 12.01.24,2024 by Asano Tsutsumi

「光」というのは写真の根源的な部分である。それ故に、「光を捉える」というのはありふれていて、ある種のクリシェとして消費されてしまう。しかし、堤の作品にはこのクリシェを乗り越える更新がある。

堤は模型内にあてた「光」を撮影し、イメージ内の白と黒へと還元する。これはモノクロ写真における当たり前のことではある。撮影したイメージを出力し、写真上に現れたイメージ上の白と黒による配置や展示によって新たな平面空間を再構成する。その新たに配置された写真に再度「光」をあて、新しい白い空間を作り、再び撮影するという「反復」がなされている。この「反復」は「光を捉える」ことをコンセプトから方法論、つまり写真術へと変化させる。言い換えれば、「反復」が「光を捉える」ことを目的化から逸らし、クリシェとして消費されることを回避させている。

生成されたイメージ内にある白い部分には「最後に撮影した時にあてられた光」と「それ以前のいつかの段階であてられた光で、すでに写真の中で白い部分になったもの」という二つの状態、つまり、「現実の光」と「写真化されたかつての光」という二つが、等価にイメージ内に配置されているということになり、物質的現実とイメージ世界との境界を次に作り出されるイメージ内において曖昧にしている。これによって光とその影を捉えるという写真の基本的な行為を、単なる記録から一歩進めて、光の「再構成」と「再現」のプロセスへと昇華させる。堤は、光を物理的な空間だけでなく、時間を超えた連続した創造のプロセスの一部として捉え、それを繰り返し展開することで、新しい意味を生成する。

さらに、《In progress》はその名の通り、常に進行中の作品として提示され、完結することを目的とせず、常に新しい光の捉え方、見せ方を模索し続ける「プロジェクト」としての性質を持っている。光とは何かという基本的な問いに対して、静的な答えではなく、動的な探求のプロセスを提示し、短絡的な目的化を退ける。そのため、展示された写真にも光があてられ、撮影がなされ、新たな作品として追加されつづけていた。これによって、設営後の展示そのものも最終ではなく、まさに進行中の状態となる。壁面展示は無秩序で即興的に作られたものであるように見えたが、これら全ては事前に計画されて、配置されたものであった。イメージ内の紙のめくれは妙なリアリティをもって平面内に配置されている一方で、現実の紙の重なりは平面的に感じるのはそのためであろう。

堤が行う展示も含めたこの「反復」のプロセスによって生成されたイメージには、空間と時間の重層性が核心として現れる。筆者の思考を揺さぶった「イメージ内の黒くザラついたノイズ」が提示したのは時間的な差異である。それは奥行きという形で現れた空間化された時間軸であり、新たな視覚言語として理解をしない限り捉えることのできない現実の裂け目である。堤は、写真というものの持つ視覚言語の新たな一面を提示して見せたと言える。

北桂樹
京都芸術大学大学院 芸術研究科 芸術専攻卒、博士(学術) 現代写真アート研究者/アーティスト/ 「POST/PHOTOGRAPHY(ポスト・フォトグラフィ)」をテーマに、現代写真の変容を「写真変異株」として捉え、写真というメディアの拡張についての研究をする。

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