見出し画像

夏の酒器

石田 瑞穂(詩人)

 梅雨の足音が聴こえだすと、土物の徳利を時代箱に仕舞い、夏の酒器をいそいそとりだす。

 地球温暖化の高温多湿で、わが家の古徳利たちはたちまち黴てしまうようになり、とても夏はつかえなくなった。このことは、いまやおおくの酒器好きの悩みの種ではないか…。

 今年もお世話になるのは、江戸時代中期の作といわれる、古瀬戸麦藁手片口茶碗である。ぼくは、近年、これを酒器に見立てて愛用してい、もはや夏の晩酌には欠かせない存在になっている。その名の通り、もとは夏茶碗として焼かれたのだろう。麦わら文は、片口や飯茶碗をはじめ、現代でもひろく愛される名デザインである。そんな庶民的な雑器を、わざわざ抹茶碗として発注したところに、茶人の数寄が窺えよう。

個人蔵 禁転載

 白洲正子も愛好した麦わら文器だが、時代物の片口を骨董市などでみかける。とまれ、これらは厚ぼったく重く頑丈に焼かれた大ぶりの注ぎ器で、個人的な見解だが、酒器にはむかない。さきに書いたように、ぼくの夏茶碗は、もとい、茶家による注文品であり、故に数もすくなく、珍品の類だろう。矩形をしているのも大変珍しい。田舎臭い青線も省かれている。肌合も古瀬戸抹茶碗のそれで、造形はうすく持ち手も軽い。茶を点てられ枇杷色に侘びた肌は、酒徒にとっても好もしく育っている。

 益田鈍翁も夏に麦わら文盃をつかっていた。でも麦わらなのに、なぜ秋冬ではないのか。早く涼しくなってほしい、そんな秋を想い先取る酒の情景だからか……つねづね不思議ではあった。答はないものの、冬から晩春にかけて用いた無地徳利や渋好みの盃から、臙脂と茶色の線がすっきりとひかれた片口に衣替えすると、眼がふっと涼むのである。

 そして古瀬戸片口にあわせているのが、この可愛らしい江戸硝子盃である。時を経た古硝子のもつ蜜色の偏光が麗しい。もとは酒肴を盛った向付で、古硝子ではあるけれど、高度な技倆をもつぎやまん師が施した上製品ではない。塩町や浅草の職人たちが、割れた硝子屑を溶かし、型押し整形してつくり直した二級品だろう。ちなみに、江戸で硝子製品が流行した理由のひとつが、陶器や漆器とちがい「つくり直しがきくから」。味噌、醤油、寝具まで他家からかりうける借物文化の江戸庶民は、硝子にリサイクルの魅力を感じていたようだ。

 すこし歪んだ捻り花も、透明な器全体にソーダ硝子のようにちらばる気泡も、素朴で温かい魅力にあふれている。硝子器ほど、民藝運動でいう未完の美が好もしく感じられるものもないだろう。盃のサイズも小ぶりで好適。夏といえば硝子の酒器で呑みたくなるものだが、私的な経験では、技倆のあがった硝子器は桃山期や江戸期の器とはそりがあわない。この民芸手の古硝子盃は、なぜか本歌にもよりそうから不思議だ。

初源伊万里盃(手前・桃山時代)、砧青磁盃(奥・12〜13世紀) 個人蔵 禁転載

 硝子とならんで夏につかいたくなる酒器は、やはり、古伊万里だろう。写真の盃は、一見、明末あたりの古染付にしかみえないが…、

 「これは伊万里。その最初期のもので、朝鮮人の陶工の作かもしれません。初源伊万里盃とでも呼ぶべき品でしょう」と、南青山の古美術店の主はいう。骨董雑誌でも目利として取材されている店主なので、たしかな筋だとおもう。揃えの煎茶碗から別葉した品であろう。

 にしても、厚ぼったい古伊万里器のイメージからはかけはなれてい、口縁などはまさに花びらのように薄く優美。高台底に「大明」の一筆、いわゆる早蕨紋も熟練の腕前だ。肌などは大陸の磁器をおもわせる澄んだ硬さだが、たしかに、色合いは古伊万里のそれで、明染付の鮮やかなブルー&ホワイトではない。時代は桃山から江戸初期、未だ古伊万里焼の作風が確立されていない時期に、祖国をはなれ渡来した朝鮮の熟練工が、日本人陶工をまえに手本をしめして焼いたものかもしれない…。

 そんなロマンを想いつつ、指で弾けば散ってしまいそうな、初源伊万里と目される盃を唇に寄せる。紙のような口縁の薄い感触とそれがもたらす適度な緊張感が気を涼やかにしてくれる。歴史好き、骨董好きなぞという人種は、すぐに桃山だ江戸だというけれど、往時をその眼でみてきた者はいまい。そんな〝時〟の脆さを体現した伊万里盃で呑めば、暑い夏夕も興趣ある酒景へとうち変わってゆく。

写真:鈴村奈和

筆者プロフィール:
https://crossinglines.xyz/writer/tokyo/mizuhoishida

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?