こういうのも陰謀論なのか

元タレントの木下優樹菜が、
専門医の検査を受けた結果、
ADHDだったとわかったという動画を公表して、
その動画に賛否が言われている。

主に否の意見が多く、
木下優樹菜は自分がADHDだったので、
これまでの様々な揉め事、
例えばタピオカ騒動や、
フジモンとの離婚や、
田村敦の動画への出演を断ったことを、
そのせいだったのでおおめに見てください、
という主旨の動画だったのだと思うが、
そんなことはエクスキューズにはならない、
という意見が多いようだ。

ADHDの専門家は、

■ADHDのせいにするのは違う

「ADHDは病気ではなく、『大学に行ってこうあるべき』『社会に出てこう働くべき』という社会が足並みを揃える価値観の中で、『うまくできない人』を分類分けするために生まれた障がいの概念です。あくまでADHDという診断は、『どうしてもうまくできない部分』をサポートしてもらうための手段であって、ADHDと診断され、社会に順応するために努力をしている人たちは、決して『ADHDのせい』にはしません」

ADHDは、生まれもった生きづらさがあるという特性を表すものであり、今誰しもが「生きづらさ」を抱える世の中で、ある意味でそれは「特別」なことではないだろう。

「ADHDを自覚している人の中には、特性である万能感や衝動性をうまく向いている仕事に生かしたりしている方もいます。だからこそ、相手が自分に合わせて欲しいというのは間違っていると思います」

人間関係を構築する中で、苦手な部分や不出来な部分をお互いに理解し合い、許し合うことはADHD関係なしに、誰しもが多かれ少なかれ行っていることだろう。ADHDを引き合いに出し、現パートナーと前のパートナーの理解のなさを比べ、言及してしまう配慮の無さは、単純に「人としての至らなさ」ではないだろうか?

■ADHDを理解する上で求められるもの

「ADHDと診断された小学生の子が、新学期に持っていかないといけないものを忘れてしまった時に、担任の先生は頭ごなしに怒るのではなく『忘れたけど、じゃあどうするの?』と聞き、その子はしっかりと『忘れたことに対する対処』を言葉にしたことで、先生は特に怒らなかったと言います。大事なことは、忘れたことに対してどう対処していくのか、自分の苦手な部分をどう補い、生きていくのかを考えていくことなんです」

大半のADHDの人たちは「ADHDだからできない」と言い訳にしたり、「だから周りが許すべき」と免罪符のように言わず、「じゃあその上でどうするのか?」を考え、社会に順応する努力をしているだろう。そういう姿勢が、「ADHDを周りに理解してもらい、寄り添ってもらう為の言動」におのずとつながっていくのではないだろうか?

というような見解のようである。

僕がこれまでに出会って来た人の中には、
今から思えばADHDみたいな
発達障害の人だったのかも・・・
と思い当たる人が何人かいる。

そもそも国家的方針で、
子供に3歳児検診とか、
学校での集団予防接種とかで、
発達障害が発症するような成分の
注射をしているという説も聞いたことがある。

例えば歯へのフッ素コートは人間の脳に、
ある種のダメージを与えるという説も、
最近よく聞くのだが、
小児歯科なんかでは平気で
子供の歯にフッ素を塗っている。

これが意図的に行われていることならば、
とても恐ろしく、根の深いことである。

例えば〇〇製薬は、
地球上のすべての生命を3日で死滅させることができる、
強力なウィルスを所有しているそうで、
そのウィルスに比べれば、
現在世界的に流行している感染症など、
可愛いものなのだそうだ。


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