Hiroyuki Kikawa

20年ほど福岡市でフリーの映像ディレクターをしていました。映画とマンガと不思議な話が好…

Hiroyuki Kikawa

20年ほど福岡市でフリーの映像ディレクターをしていました。映画とマンガと不思議な話が好きで、そういう趣味のあう友達が欲しいと思っています。2021年の初めまでは熊本市でお弁当の配達の仕事をしながら暮らしていましたが、現在は郵便物の回収の仕事をしています。

マガジン

  • マンガは日本が世界に誇れるオリジナルな文化だ

    子供の頃の手塚治虫体験から始まり、50歳を過ぎた今でも、毎日のようにマンガを読んでいます。そのほんの一部を御紹介。

  • その他の雑稿

    他のマガジンに分類しきれなかった原稿です

  • ちかみつさんについて

    四国在住の能力者ちかみつさんについて書いた文章をまとめたものです。

  • 僕の百物語 第三部

    第一部、第二部に入りきれなかった話です。

  • 僕のおすすめ映画

    僕が今まで見たお気に入りの映画をご紹介します。

最近の記事

僕とフイチンさん

僕とフイチンさん 第1回 僕が小学生の低学年の頃、 母方の実家が石川県の金沢市にあって、 まだ祖母が健在で暮らしていた。 ある夏休みに金沢の祖母の家に行き、 数日滞在したことがあった。 特に金沢の実家の近所には 知り合いなどはおらず、 僕は1日目から退屈した。 それで実家の近所の、 多分貸本屋だったと思うのだが、 そこの本屋で何か読む本はないかと、 探しに行った。 そこはおそらく閉店前の貸本屋で、 僕が普段読むような本とは、 少し違う感じの本が並んでいた。 しかもそ

    • 地震の神様との会話

      これは8年前にFacebookに書いた記事 熊本地震が起きて一週間くらいした頃、 毎日何回も大きめの余震が来ていて、 今度もまた本震クラスの揺れが来るんじゃないかと、 気が気ではなかった頃、 お義母さんと妹は毎晩車の中で寝ていました。 僕と奥さんは部屋で寝ていましたが、 寝る前に奥さんが布団の中で、 「ねえ、ちょっと、 地震の神様に聞いてみてよ」 と突然言い出しました。 「はあ、何言ってんだろう、 むしろそういうことはお前の方が得意だろ?」 と僕は思いました。 うちの

      • 7年前に書いた「げんしけん」に関する記事

        7年前に読んだ「げんしけん 二代目」21巻についての記事。 「げんしけん」というのは、現代視覚文化研究会という、 大学のサークルを舞台に、ここに集まるオタクの日常を描いたマンガです。2002年から「アフタヌーン」で連載が開始され、 2016年に連載が完結しました。 僕はなんとなく気にしながら、 時々新刊を見かけたら買っていました。 オタクというのがどういうものか、定義するのは難しいですが、 僕は自分のことをオタクのグループに所属しているとは思っていません。 しかし、一

        • 呪詛の矢

          さて、ちょっと前に投稿した、 倉庫の話の続きですが、 奥さんとパスタを食べながら、 倉庫に何かがいるという話をしていたら、 奥さんが突然、首のあたりを押さえて、 「あいたたた」と言い始めました。 何かエネルギーの矢のようなものが飛んできて、 首のあたりに刺さったような感覚があったそうです。 それで奥さんはその矢を抜くしぐさをして、 「エイッ」と僕の方向に投げました。 「おいおい、俺の方に投げるなよ」と言ったところ、 僕の方に投げたわけではなく、 倉庫に向かって投げ返したそ

        僕とフイチンさん

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          26本
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          27本
        • 僕のおすすめ映画
          113本
        • また夢の中で
          104本

        記事

          複雑な人間関係

          5年前にうちの奥さんと居酒屋でしていた話、 この話の登場人物が複雑でわかりにくいので整理してみました。 最初に書いた時は仮名でしたがわかりやすくするために できるだけ実名に戻して書き直します。 どのくらい複雑だったかというと、僕の前の奥さん「アサコ」の、 高校時代の同級生の「チヨ」が、 精神病院に入院していた時に知り合った「タカエちゃん」、 この人が昨日いらっしゃっていた生霊さんだったようです。 これだけならそんなに、複雑な話ではありませんが、 昨日の会話に出て来た登場人

          複雑な人間関係

          倉庫に何かいたらしい

          6年ほど前、僕は、 「合志マンガミュージアム」というところで働いていた。 その時の話。 「倉庫に何かいるらしい」 最近の僕の仕事は、 合志マンガミュージアムという施設の、 バックヤードの本の整理がメインです。 朝、およそ1時間かけて、 マンガミュージアムまで出勤し、 お昼過ぎまでバックヤードの整理をし、 コンテナに詰めた本を 公用車に積んで、 午後2時頃から倉庫に運びます。 この倉庫が割と僕の家の近くにあって、 1時間くらいかけて出勤して、 また1時間くらいかけて、

          倉庫に何かいたらしい

          「熊本には発展しない呪いがかかっている」のか?

          これは3年ほど前、うちの奥さんが言い出した「説」です。 僕もこの「説」には非常に共感しています。 実際に数年住んでみなければ実感できないのですが、 熊本の街やそこで暮らしている人はどこか変です。 たんに田舎だからというのではなく、 何か明確な意図のようなものがあって、 あえて「変」なふうに整えられているのではと感じます。 戦国時代とか、江戸時代とか、 もしかしたらもっと前の石器時代くらいからか、 風水師とか、陰陽師とか、 もしかしたら宇宙人がやったことなのか、 何かの儀式や

          「熊本には発展しない呪いがかかっている」のか?

          追悼 マイケルジャクソン

          私がレコードセールスで 過去の記録を全て破った次の瞬間から、 つまり、私がエルビスの記録を、 ビートルズの記録を破った瞬間から、 ギネスブックの歴史上、 史上最高に売れているアルバムとして認知された瞬間から、 一夜明けたら、彼等は私を変人、ホモセクシュアル、 児童虐待者と呼び始めたんだ。 私が自分の皮膚を漂白しようとしているとも言った。 彼等は世間の人が私に背を向けるようにするために、 ありとあらゆる全てのことをしようとした。 これは全て完全な陰謀だ。

          追悼 マイケルジャクソン

          僕のマンガ道 第7回 最終回 1997年~2019年

          1997年にねこぢるさんがお亡くなりになって、 心にポッカリ穴が空きガックリと力が抜けた。 しかしその後も少なくとも2019年までは 生きる運命にあった僕は、 日常のルーティーンをこなしながら、 時々マンガを読んだりして生きて来た。 その前から、そしてその後にも、 僕の心を支えてくれていた作家は、例えば、 ちばてつや、本宮ひろ志、楳図かずお、 倉多江美、古川益三、蛭子能収、古屋兎丸、 諸星大二郎、いましろたかし、榎本俊二、 井上雄彦、こうの史代、よしながふみ、 安野モヨコ

          僕のマンガ道 第7回 最終回 1997年~2019年

          僕のマンガ道 第6回 山野一とねこぢる

          僕が「ガロ」をリアルタイムで読み始めた頃、 毎月のように精力的に作品を発表していたのが 山野一さんだ。 そして1985年7月号から一年間、 「四丁目の夕日」が連載され、 僕は毎日を次号が発売されるのを待って暮らし、 次の回を貪るようにして読んでいた。 後に山野さんは「鬼畜系漫画家」、 というジャンルに分類されているが、 そのマンガには高度な哲学が メッセージとして隠されている。 その後山野さんは当時の奥さんとの共作で 「ねこぢるうどん」の連載を始めた。 青林堂から「ね

          僕のマンガ道 第6回 山野一とねこぢる

          僕のマンガ道 第5回 杉浦日向子

          「ガロ」にはガロ三人娘と呼ばれている作家たちがいた。 やまだ紫と杉浦日向子と近藤ようこの三人である。 僕はこの三人の中では杉浦日向子が一番好きだった。 杉浦日向子は1980年に「ガロ」でデビューして、 その後、マンガ家、エッセイスト、時代考証家として 大活躍したが、2005年に46歳でお亡くなりになった。 その間、希代の怪物、 荒俣宏と結婚していた時期もあった。 1993年には「百物語」の終了を機に 漫画家としては引退されているが、 それも闘病のためだったと後に何かの本

          僕のマンガ道 第5回 杉浦日向子

          僕のマンガ道 第4回 つげ義春とつげ忠男

          僕が18歳くらいの頃、 色々な趣味嗜好がこじれて、 結局好きなマンガ雑誌は「ガロ」、 というところに落ち着いた。 僕は1966年生まれなので、1984年頃のことである。 「ガロ」は青林堂の長井勝一が、 白戸三平に「カムイ伝」を書かせるために 1964年に創刊した雑誌だが、 「カムイ伝」第一部は1971年に終了し、 その後は「ガロ」では再開していない。 「カムイ伝」終了後、 「ガロ」はマニアックな同人誌のような 形態の雑誌になっていたが、 僕はこのような場で行われている表

          僕のマンガ道 第4回 つげ義春とつげ忠男

          僕のマンガ道 第3回 大島弓子

          僕がマンガを読み始めた頃は昭和40年代の後半、 ちょうど貸本屋が衰退して、 閉店や廃業が相次いでいた頃の再末期だ。 その頃住んでいたのは島根県の松江市で、 まだ近所には貸本屋があった。 しかし僕は貸本屋に通ってマンガを借りた、 という記憶はない。 当時はまだマンガを置いている 図書館というのもほとんどなく、 〇〇という図書館にはマンガが置いてあるらしいぞ と聞いて行ってみると「サザエさん」が 数冊置いてある程度だった。 それで僕のマンガ調達方法は、 少ないお小遣いで時々

          僕のマンガ道 第3回 大島弓子

          僕のマンガ道 第2回 白戸三平

          手塚治虫の次に僕が夢中になったマンガ家は 白戸三平である。 マンガの単行本はもちろん、 マンガ雑誌も家では買って読むことができなかったので、 書店の棚で見つけた、白戸三平の「サスケ」を、 表紙の絵柄のみで選んで買ってこっそり読んだ。 それは主人公のサスケが、 僕と同じくらいの年齢の子供だったからである。 「サスケ」は複数の出版社から単行本が出ているのだが、 僕が買って持っていたのは、 講談社のマガジンKC版だった。 これは後になって自分なりに理屈をつけて解釈したのだが

          僕のマンガ道 第2回 白戸三平

          僕のマンガ道 第1回 手塚治虫

          僕は小さい頃、本を読むのが好きな子供だった。 読んでいた本は、年相応に、 「少年少女世界名作全集」のような小説類や、 新見南吉や千葉省三などの日本の児童文学だった。 僕の父親も本を読むことは好きな人で、 自分の子供(僕)が本を読むことには反対ではなく、 むしろ奨励していた。それで僕は、 時々父と一緒に本屋に寄って、 興味を持った本はなんでも買ってもらえていたし、 僕も、世の中の本はなんでも読みたいというような、 漠然とした欲求を持っていた。 子供で世界が狭かったため、 世の

          僕のマンガ道 第1回 手塚治虫

          熊本の方言は荒っぽいらしい

          約8年前、熊本地震があった時、 テレビで毎日のように熊本の避難所から中継がやっていて、 そのなかのひとつの中継現場で、 避難所にいた熊本の人の発言が全国放送されて、 その話の内容の荒っぽさと言葉使いに 全国の人が驚いて「熊本ってどういう街なんだ」となったことがあった。 その時に投稿した文章 熊本の避難所の人の発言が、 テレビで生中継され、 ネット上で怖れられた件についての補足ですが、 僕が中学生の頃 こういうことがありました。 中学の先輩(卒業生でヤンキー)が、 熊本に行く

          熊本の方言は荒っぽいらしい