熊本での修行

これは7年前、2015年にFacebookに投稿していた話。

当時うちの奥さんは沖縄に単身赴任していて、
僕たちは毎日「家族間無料通話」で
色々な話をしていた。

昨日奥さんと電話で話していて、
色々な話をしたのだが、
朝早くに2時間くらい、
夕方に2時間くらい、
夜遅くに2時間くらい、
合計6時間くらい話した。
深刻な話もあったのだが、
後半からは一段落して、
とりとめのない話もたくさんした。

その中で奥さんがふと思い出した、
ある意味重要な話。
それは10年以上前のことで、
当時奥さんは熊本に住んでおり、
週に一回、福岡の演劇スクールに通っていた。

福岡と熊本を行き来するのが負担でもあり、
福岡に出て来ようかどうしようか迷っていた。
それで福岡でも熊本でも、
何人かの占い師さんのような人に、
相談したことがあったそうだ。

その頃奥さんは20代の後半だったので、
ついでに「私、結婚できますか?」と、
聞いていたのだという。
その質問については複数の占い師さんから、
「結婚はできます」
「相手は年の離れた人」
「相手の職業はサラリーマンではない」
と言われたそうである。
この3つの要素は僕にもあてはまっている。

そしてもうひとつ、一人の占い師さんから、
「あなたは玉の輿に乗るよ、といっても、
元々お金持ちの人と結婚するのではなく、
その人の事業をあなたが手伝って、
結果として成功するよ」
というような意味のことを言われたらしい。

この「予言」だけは実現していない、
というか、奥さんはこう言われたこと自体、
昨日まですっかり忘れていたのだ。

なぜかというと、その時に同じ占い師さんから、
「あなたの家の近くに川が流れているでしょう?
そこがお侍さんたちの水飲み場になっていて、
そのお侍さんたちにあなたの家のご先祖さまが、
うちで飯を食っていけと言っているの。
あなたの家族にはご飯を食べている時に、
突然、おいしくない、とか言い出す人がいるでしょう?
それはお侍さんが言わせているのよ。」
という、衝撃的な、突拍子もない話をされていたので、
その話の印象が強く、
結婚うんぬんのくだりのことを忘れてしまっていたのだ。

その頃は当然僕と奥さんはまだ出会っていない。
そして「玉の輿予言」は今もまだ実現していない。
その占い師さん、
(というか、霊能者のような方だと思うが)は、
僕(だと思われる人物)について、
このようにも言っていたそうである。

「その人はプロダクションの社長で、
人に何かを教える仕事をしている。」
僕は当時フリーのディレクターをしていて、
まあ「一人親方」のような立場だったので、
社長と言えば社長であった。
「人に何かを教える」ということでは、
専門学校の映像制作コースの、
講師をしていたこともある。

しかし今の僕の仕事は保育園の園長である。
そしてうちの奥さんはその事業を手伝うどころか、
沖縄で暮らしている。

そのあたりはどういうふうに解釈しようかと相談して、
「その人はプロダクションの社長で、
人に何かを教える仕事をしており、
あなたはその事業を手伝って、
結果として玉の輿に乗る」
ということに関しては、
まだ実現していないことであり、
いずれそうなる日へのカウントダウンが始まったので、
奥さんの記憶が呼び起された、
ということにしようという結論になった。

奥さんは今は沖縄で新しい仕事を始めたばかりである。
僕も保育園の業務で手いっぱいである。
でもいつか、二人で、何か、
新しい事業を始めるのかもしれないね、
ということになった。
そういう夫唱婦随的な感じは、
これまで経験したことがないので、
それはそれで楽しみである。


ここまでが7年前の投稿。
その後どうなったかというと、
その約半年後に、
奥さんの熊本のお義父さんが亡くなり、
奥さんは実家の不動産屋を継ぐために、
沖縄の仕事を辞めて熊本に帰ることになった。

そのタイミングで僕は
赤字続きだった保育園を閉園して、
一緒に熊本に移住した。

熊本での暮らしは酷いもので、
今でもその状態は続いているが、
同じ敷地内に住む義妹の態度があまりにも酷いので、
その劣悪な環境を改善するために、
僕はちかみつさんに会いに行った。

それから約1年半は激動だった。

義妹には魔物が4体憑いているとちかみつさんに言われ、
その魔物を祓うために聖天様という密教の神様と繋げていただいた。

ほぼ同じタイミングで空海様とも繋げていただいた。

僕は聖天様や空海様と
どのようにコミュニケーションを取ればいいのかわからず、
今も手探りでチャネリングを行っている。

今は月に一回のペースで、
福岡で怪談会を開催している。

これが僕の興す「事業」なのか、
現在は収支的には赤字である。

それでも僕はいくつかの占いを通じてもたらされた啓示が、
いつか実現することと信じて粛々と生きるのみである。

昨日用事で買い物に行く途中に
交差点で後続の車の助手席に乗っていたお年寄りが、
何か僕の運転が気に入らなかったらしく、
追い抜きざまに振り返って睨みつけてきた。

僕はバイクだったのだが、
信号待ちで追いついた時に、
助手席側につけて
「何か文句があるのかよ!!」と言った。

運転席の娘さんのようなおばさんが、
あわててドアロックを閉めて、
窓の開閉もロックしたようで、
僕もそれ以上は深追いせずリリースしてあげた。

小野不由美の「残穢」という作品の中に
以下のようなくだりがある。

『日本には古来、「触穢(そくえ)」という考え方がある。
穢れに触れると伝染する、という考え方だ。
「穢れ」とは、忌避すべき対象をいう。』

「穢れ」は忌避すべき対象であり、
「穢れ」には「罪穢れ」といって、
共同体に対する罪(祭祀の妨害など)や、
個人的な犯罪や天災などの、
「罪」を犯したことによって生じる「穢れ」の他に、
死や出産など、異状な生理的事態を「穢れ」とし、
忌避すべき対象としてとらえる考え方もあった。
特に死による穢れは「死穢」といって重大視された。

仏教における「不浄」という概念が、
過去の罪業から個人の内面に
宿業として存在する「穢れ」とされているのに対して、
本来の「穢れ」は、あくまで人の外面に付着するもので、
一定期間が過ぎれば消滅するし、
水垢離(みずごり)のような禊ぎ(みそぎ)の手続きによって、
祓い落とすことができる。

そしてもうひとつ、穢れと罪の間には、
根本的な違いがあり、穢れは伝染すると考えられていた。
特に死穢は死者の家族や血縁親族を汚染するとされた。

そのため遺族には「喪に服する」期間が設けられ、
世間から隔離されて穢れを浄化する行為を行った。
『延喜式』という書物の中に、
「触穢」についての記載がある。

『延喜式』というのは、
「平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)」で、
「醍醐天皇の命により藤原時平らが編纂したもの」
だそうである。

死穢に関しては『延喜式』に、
「甲乙丙丁展転」という規定があった。
甲の家族に死穢が発生した場合、
甲の家で乙が著座(ちょざ)すると、
乙の家族全員が死穢に汚染されるとされていた。

著座というのは、一緒の火にあたる、
一緒の物を食べるということで、
火、食物、水というのは、
聖なる力、不浄な力を伝染させる要素とされていた。
これらを共有することで死穢は伝染すると考えられていた。

そして死穢に汚染された乙の家に
丙が著座すると、丙も死穢に汚染されるが、
この場合は丙一人が感染し、丙の家族は汚染されない。

しかしながら、逆に乙のほうが丙の家を訪れ著座すると、
丙の家族全員全員が汚染されてしまう。
ただし、丁が丙の家で著座しても、
もう丁が汚染されることはない。

と、このような「ルール」に従って、
死穢に触れた者は、役所、衛陣、侍従所などの、
公の場に行くことができなかった。
その期間は甲30日、乙20日、
丙10日、丁3日というように、
厳しく定められていた。

このように、平安時代くらいまでは、
「穢れ」という概念が、
律令として定義されるくらいに、
日本全体に浸透していたのだ。

例えばお通夜に出席した人に塩を降るとか、
今でも似たようなことは行われているだろうが、
かつては子供たちの遊びというか、
中にはそれが深刻ないじめにもなりかねない行為に、
「えんがちょ」というのがあった。

どこかの方言なのかもしれないが、
ある一人の子供を
「えんがちょ、えんがちょ」とはやしたて、
その子に触れたら何か汚いものが伝染するというふうに、
仲間はずれにする遊びというか、
遊びとはいえない悪質な行為であった。

まあこのように、
日常の何気ない言動のなかにも、
古来から受け継がれてきた「穢れ」の思想や、
それを忌避する日本人の習慣のようなものが見てとれる。

以上は数年前にFacebookに投稿した文章だが、
なんか今は熊本では旧盆らしく、
町全体にそんな不穏な気配が漂っている。
あの因縁じじいもそんな死穢に感染していたのかなあ、
そして熊本に限らず、僕が参加している、
日本全国に住む人が参加しているライングループでも、
一昨日あたりから、何人かが、
心が乱れているような不穏な投稿をしている。

お盆怖ええ・・・


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