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僕の過去世についての考察

今日は久しぶりのお休みです。
3月26日から4月1日までは7連勤で、最後の昨日の夕方は、
少し足がふらつくくらいでしたが、なんとか乗り切りました。
今日は僕のお坊さんだった過去世に関する考察回です。

僕は主に熊本Bさんのご協力で自分の過去世に関する、
色々な問題点を考察したり修正を試みたりしてきているのですが、
ここ1年くらいの間に新たにわかったことについて
今日は書かせていただきます。

まず熊本Aさんから「あなたはお坊さんの過去世では、
生まれながらにしてすでに覚醒していましたね」と言われたように、
僕は生まれる前に予言者のような方から、
「今度あそこの村に能力を持った子供が生まれる」
というような予言が降ろされ、その予言にしたがって、
お寺の人が僕を引き取りに来たのではないかと思います。

僕はその前の過去世では、世界を旅する白魔術師で、
その時点ですでに能力はあったのだと思います。
ちなみにその次の過去世でもアルゼンチンで占い師をやっていて、
この時は細木数子さんのような、鑑定料の高い、
お金持ちしか相手にしない占い師だったようです。

それが人生のある時点で、自分が本当にしなくてはならないのは、
お金もないような階層の人で、本当に困っている人を、
助けることではないだろうかと気づいたのですが、
その時にはもう組織が家族経営になっていて、
自分の自由にはならなくなっていたようです。

それでお坊さんの過去世ですが、生まれたばかりの僕は、
家族から引き離されて、修道院にもらわれていったようです。
そこで僕の面倒を見てくれたのが、同じ修道院の、
10歳とか15歳くらい年上の先輩の修行僧だったようです。

後に僕が神様を呼ぶ巫女(みこ)の役をして、
彼が神様の声を聞く審神者(さにわ)として、
ペアを組んでお寺の業務をしていたようです。

お寺には男性しかいませんから、
彼は兄のように、時には母のように、
つきっきりで僕の面倒を見てくれていたようです。

僕は生まれながらにして両親から引き離され、
「神の子」のような存在として、
特別に、大事に育てられていたようです。

昭和天皇が子供の頃から「現人神」として、
特別扱いを受けて育っていて、自分も自分のことを、
「現人神」として微塵の疑いも持っていなかったから、
聖徳太子の祝詞によってB29を消すことができたのだと、
保江邦夫さんの本に書かれていましたが、
自分もそんなような環境だったのかなと少し思いました。

だから僕とペアを組んでいた「サニーさん(さにわだったから)」も、
僕のことは特別扱いしてくれていたのだと思います。
おそらく僕はお寺で大事にされていた、
「甘えっ子」のような存在だったのだと思います。

僕は修行の最後の最後で、
「観音様の誘惑」という試練を越えられずに、
一生の修行が台無しになり、
その報いとして組織から暗殺されたようなのですが、
「観音様の試練」とはどういうものかというと、
これは山村さんが教えてくださったのですが、
お坊さんのような「見えない世界」の修行をしている人には、
修行の最後の最後に、夜、お堂にこもって修行をしていると、
そこに光輝くような観音様が現れ、
「これまでよくつらい修行に耐えてきたな、
修行は今夜限りで終了じゃ、今夜はこれまで、
つらい修行に耐えてきた褒美として私のことを抱いてよいぞ」と、
着ていた着物をスルリと脱ぐのだそうです。
そこには輝くばかりの観音様の裸身、
そこで「ありがとうございます」と観音様を抱いてしまうと、
それまでの修行が一切台無しになるそうです。

僕はどうもこの「観音様の試練」を越えられなかったようなんです。
山村さんはこの話を僕が実際に体験した話としてではなく、
「こういう話があるのよ」というエピソードトークのようなノリで、
話してくれただけだったのですが、それから10年とか経って、
どうもあの話は僕のことを言っていたのかなと、
だんだん僕は思うようになっていったのです。

その時に山村さんは、
「歴史上、この『観音様の試練』を越えられたのは、
達磨さんだけなのよ、達磨さんは若い頃、
さんざん女遊びをして、たくさんの女の人を不幸にしたから、
その供養のために修行の道に入られたので、
最後に観音様が誘惑してきても、
『この誘惑に乗ってしまえば、またこの人を不幸にしてしまう』と思い、
『ごめんこうむります』と堅く拒んだので修行が成し遂げられたのよ」
と言っていました。達磨大師は「面壁八年」という修行の末、
悟りを開いたと言われている中国の修行者さんなのですが、
「達磨さんの置物に手足がないのは、修行している時に女性が現れ、
さんざん誘惑してきたのだが応じず、
手がもげ、足がもげしても顧みなかったので、
ああいうお姿をしているのよ」というお話でした。
今では達磨さんは「男女和合の神」になっているそうですが、
達磨といえば合格祈願の印象が強く、「男女和合の神」をしていることは、
あまり知られていないので、
「そのこともみんなに伝えておいてくれよ」と、
山村さんによくお願いしていたようです。

ちなみに数年前にやっと達磨さんの手足は戻って、
自由にどこにでも行けるようになったんだと山村さんは言っていました。

実は熊本Bさんも観音様をしていた経験があるらしく、
僕が観音様の試練を越えられなかったようだという話をすると、
とても喜んで楽しそうに笑っていました。
なにしろ僕は赤ちゃんの頃からずっと男ばかりの修道院で
暮らしていたのですから、本物の女性が現れたら、
コロッといかれちゃいますよね。無理もないことです。

熊本Bさんは観音様とチャネリングして、
でもあの時(の僕とのSEX)は、とても良かったよ、
という無駄な情報まで提供してくださいました。

なんで観音様がそのような誘惑をするのかは、
神々の世界のことなので僕にはわかりません。
そして僕の小冊子にもありますが、その時の観音様というのが、
今はどうも女優の「〇〇」さんになっているようなのです。
僕は東京のCM制作会社にいる時に、
当時無名だった「〇〇」さんと偶然会ったことがあるのですが、
その時の強い印象が今でも忘れられないのです。
さすがに「〇〇」さんは現役の実在の方なので、
この部分は伏せ字にさせていただきます。

それで最近僕が郵便物回収の仕事に就職した時、
熊本Bさんが「霊界からぴーやんさんのことを心配して
様子を見ている男の人と女の人がいるんだよね」と言ったのですが、
僕が「それは閻魔様と観音様じゃないかな?」と言うと、
「ああ、それなら納得できる」と熊本Bさんは言っていました。

閻魔様というのは地獄の番人みたいに言われていますが、
本当は守護霊さんのように各人に付いて、
現世での行いを振り返って反省する手助けをしてくださる存在のようで、
僕はその閻魔様に散々たてついて、
「それならあなたの思うようにやってみたらいいよ」と、
匙を投げたというのではなく、
僕の思うままにさせてくださっているようなんです。
それでも霊界から心配して僕を見守ってくださっているようです。

この「観音様の試練」を越えられなかった時も、
僕はむしろ、観音様に会えるところまで行ったんだから、
失敗したとはいえ誇らしいことだというように、
周りに吹聴していたようなのですが、
サニーさんは僕に「あまりそんなことは人には言わないほうがいいよ」と、忠告してくださっていたようなのです。
それでも僕は調子に乗っていいふらし、教団の上の人から、
「どうもあいつは修行に失敗したらしい」と目をつけられ、
日頃から僕のことを良く思っていなかったグループから
暗殺されたようなのです。

サニーさんはその後も修行を続け、今では守護霊さんになって、
縁故のある人には守護霊として付けないので、
僕と近しい人に守護霊として付いて、
僕を見守ってくださっているようなのです。

僕の今の郵便物回収の仕事で、
僕は最初まったく仕事について行くことができず、
他の郵便局の人から「そろそろ辞めたら?」とか言われる中、
会社のある先輩から「きっとできるようになるから、
それまではフォローしますから」と言われて、
今でも手伝っていただいています。

僕とサニーさんもこういう感じだったんだろうなと、
仕事をしながら時々涙が出るのです。

ぴーやん

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