アスリートへの公金投入はもう時代錯誤なのでは?

 

アスリートへの公金投入を何故するのか?

①スポーツ競技の頂点に立つ人への支援はそのスポーツの発展に繋がる
②国威掲揚の為
③五輪や世界大会等の視聴は娯楽として素晴らしいから

 ①はスポーツの発展から裾野が広がって健康促進に役立つのでまだ分かるが、殆んど競技者がいないスポーツに多額の公金が投入されてるのも事実
 個別の競技名は避けるがメダルを沢山取っていた某マイナースポーツへの公金投入は健康促進の費用対効果として限りなく低い。

 それに今の日本は貧困層が増えている。貧困層の子供は用具を買ってスポーツ教室に通うとか部活する余裕もない。
 それらの子供にスポーツより食の支援する方が当たり前だが重要だ。
 今の都市部はジョギング以外はスポーツ出来る公園など殆どない。スポーツするには習い事としてお金が掛かる。そしてその余裕がある家庭は極端に貧富の差が出ている。
 ①スポーツ競技の頂点に立つ人の支援はそのスポーツの発展に繋がるは悲しい事に今の日本ではもう破綻している。

 ②国威掲揚の為 これはもう時代錯誤でしかない。東京五輪での不正や逮捕者の続出は国民の大きな怒りとなった。新国立は負のレガシーで年間20億円もの赤字だ。コロナ禍で多くの国民が困難な時期での開催で儲かったのは一部の政商のみ。東京五輪の赤字は2兆円との記事もある。
 こんな事は国威掲揚にはならないし、寧ろ日本の行く末を危惧する人が増えた。
 東京五輪が終えた今、スポーツ庁の存在意義にも疑問が出る。

 ③五輪や世界大会等の視聴は娯楽として素晴らしいから
 
現在娯楽は多種多様化してサブスクの動画視聴サービスも増えた。チューナレスTVが発売される時代に五輪の価値は明らかに下がっている。
 パリオリンピックは運営が杜撰で見るに堪えない。
 開会式で政治思想が出ているのは平和の祭典として疑問を感じざるを得ない。特定の思想を強調するのなら、もうそれは戦争を止めても五輪だけは平和の祭典として開催していた意義が無くなる。特定の思想の強調は分断を生むだけである。

 現在アスリートへの誹謗中傷が問題になっている
 
その背景にはアスリートへの公金投入が原因の国民がアスリートを批判しやすい土壌の為でもある。公金投入で半ば公人とされ批判されてるのは見てて可哀想だ。
 アスリートへの税気支出を止めれば一方的な批判は誹謗中傷として適切に裁判で判断されその結果でアスリートへの誹謗中傷は確実に収縮する。
 スポーツ庁などという無駄なモノを作り多額の血税がアスリートにいっているから批判が起き、暴走した人たちによる誹謗中傷となる。
 このことは綺麗事ばかりのマスコミや著名人は一切言わない。

 今の時代はクラウドファンディングで遠征費の資金を募る事も出来るし、YouTubeで動画投稿すれば沢山の人が見てくれ収益が得られる。ライブ配信すれば投げ銭もある。
 アスリートへの誹謗中傷を無くすために強化費や団体への補助金を止めてアスリート個人の私費で競技や遠征を行えば誰も批判すらしなくなる。誹謗中傷は確実になくなる。

 以上からアスリートへの公金投入はもう時代錯誤なのでは?と疑問を持たざるを得ない。勿論考え方は人それぞれなので私の意見が間違っているという方はコメント頂ければと思います。

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