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自分探しは無意味?

「ある男」の帯を見て、なんとなく「悪女について」を思い出しました。根本から全然違う話だが、一人の人の見えている面とは違う面が表れてくる感じはちょっと似ているような。

昔勤めていた会社に名前以外全部嘘だった、という男性がいました。結婚式で判明したんだったか。大学も前職も偽りだらけ。妙に堂々とした人で、その事実を知ったときは不信感というより、ただ驚いたことを覚えています。

名前は記号みたいなものだし、その時々で求められる自分を出す生き方も悪くなさそう。偽ってラクになるならそれでもいいのでは、と思ったりするけど。詐称とか罪に問われるのは面倒ですね。偽りの自分、わたしにはできないけど。できたなら、もっと別の人生を送れていただろうな。人と戸籍を変えたとしても、別の人になりきれる自信はない。なりきり川柳とか楽しいけど、せいぜい一人称が、僕や俺になるくらいです。わたしには、自分探しも無意味。全部自分すぎて。

あ、「ある男」は、自分探しの話ではないです。

里枝のような立場だったら(願望としては)「実際のその人」がどんな人だったかよりも、自分に対してどうだったかで考えたい。「蛻にいかに響くか蝉の声」という句と、美涼の三勝四敗の生き方に惹かれました。

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