私は偏差値47の、凡人です
おはようございます
昨日からnoteを書き始めているのですが、やはり携帯は出てこずパソコンからXを眺めて「都知事選シビィかったなぁ〜」と2024年の7月7日に思いを馳せている早朝です
突然ですが、私は最近まで文章を書くのがそんなに好きじゃなかったというより、むしろ書こうとすら思わなかった、何故なら「自分には書けない」と思い込んでいたから
ところがどっこい、今では30分あれば2000字は書けるように…なんかのこの言い回し、教育関連のネズミ商法の謳い文句(概念)みたいでウケますね、押し売りはしないので安心してください
今回は「 #みらいの校則 」というハッシュタグを見つけたので試しに書いてみようと思い、筆を…いや、キーボードを打ちならしてみます
そもそも“教育の義務”とは?
これに尽きるな、と大見出し考えて思いました
ある程度の形式は大事かと今でも思いますが、教育を義務=教育を強いるというスタイルがそもそも人間ぽくない
よくよく考えてみると、人間が文明を走り出してから2000年、その長い歴史からすると「教育」が浸透してきたのは、極々最近
昔々あるところに、お祖父さんは芝刈りに、お婆さんは川へ洗濯してた時代の方が圧倒的に長いことを考えると、順応するには時間が掛かりそうだ
そこに来て「義務」だなんて…いや…合わなすぎる
何かを強いられることが本質的に出来ないはずの生命体なんだから、これは肌に合わないだろ〜と私は思いますが、周りの大人たちをみると大変器用に日常を過ごしてる、これもまた真実
どちらが良いとも悪いとの明示は正直難しいですが、私は圧倒的に強制されるのが大の苦手なので、義務化しなくても良いんじゃね?と思うし、それで確実に潰されていた自分のポテンシャルがあることを痛感しているので、教育の義務化についての違和感のしこりはきちんと残っています
同調圧力って、こわくね?
これね、これよ
同じような表現で「右向け右」という表現がありますが、私は「右を向きなさい」と言われたら「嫌だ!私は左の気分だもん」と言って周りを困らせるタイプの子供でした
今でもそれは変わりません、ご参考までにわかりやすいXのポストをこちらに失礼します
自分で貼って思いました、絶妙に分かりすづらいですねww
まぁ、補足をするとしたら私は石原さんのご意見に賛成派です
動画中で記者は「靖国神社への参拝、本当に行っちゃって大丈夫そ?」的な投げかをしますが、それに対して石原さんは「国のために死んでいった人たちを弔うことの何が悪いんだ」と一蹴します
ニュアンスの取違いがあったら、本当にすみません…ただ、私はそのように感得しました
子供の頃から「靖国神社への参拝」というフレーズはよく耳にしていた、それに対して何となく「靖国神社への参拝はあまり良くないこと」という観念が自分の中にはあった気がする
でも、石原さんの言論を聞いた今の自分は「いや、悪いわけなくね?」となっているのです
同調って纏まりを産む利点もあるけど同時に価値観を殺す行為にもなるからおっかないですよね〜、自分に子供ができたら「とりあえず自分の尺度で疑ってかかって納得がいくまで考えろ、分かんない時は母さんに聞きなさい」と教育するんだろうな〜と思います
つまるところ、教養が大事
こっっっっっれが、一番大事
いや、いきなり「修羅場」と言われても困りますよね、分かる 笑
でも私は、三浦さんのこの言葉に心底救われた
何故なら「知識」の上に「心」を乗せた時に成り立つ「教養」をこんなにも強く押し出してくれているから
私は、幼い頃から仏教思想を教訓として習わされていた家庭だったので、今ビジネス界隈でトレンドの「利他」という行為が体質化されている
『利他って、なぁに?』となった方は、是非ともコピペ検索またはどうしてもピンとこなかったらXなのか何なのかでDMください、オンライン30分無料でお話しします(なんか詐欺みたいだな…)
「利他」の精神が根付いていると、自ずと人の心とどうしても対峙しなければならないタイミングが来る、それは良いことも悪いことも引っくるめて
だけど、それでも人と向き合い続ける、ここに「教養」が産まれるのだと私は思う
教養はどんなに小さな「知識」でも良い
『野に咲くお花』があったとしたら、それに対して文章に残したらそれは立派な“文学”であるし、お絵かきをしたらそれは立派な“絵画”、此処に咲いている理由が知りたくなったらそれは立派な“研究”だ
算数の文脈も混ぜたかったのですが、正直私は数学が苦手なので思いつきませんでした
このようにして「気づき」に「心」を乗せるのは今日から全然出来そうですし、実際出来ます
私はのほほ〜んと仕入れた知識にいろんな心を乗せて、今日も何やかんやインテリジェンスとして生きている(いやこの評価…割と嫌なんですが、最近言われることが多いのであえて使ってやろうと思っている今日この頃)
まとめ
私にこの文章を書くきっかけを与えてくださった記事です
コロナはそんなにも子供達に閉塞感を与えていたのか…と勉強させていただいたのと、何より従来のスタイルに違和感を持っているお子さんの話が特に印象的でした
わざわざいうまでもないのですが、この場を借りて言わしてください
マジでどうとでもなります 笑
テクノロジーが発展し、今までのステレオタイプの価値観や手法は意味をなさなくなるのが目に見えている現代
むしろそういう観点で見た時に、自分の感性を大事にできているお子さんはパイオニアかもしれません
だからと言って「あんた、パイオニアになんなさい」とはどうか言わないであげてください
「あんたは、あんたらしく、堂々としてれば良いのよ!」と背中を押してあげるだけで柔軟な子供の心と身体は、見違えるほどに成長を遂げていきます
両親の力は偉大です、褒められれば嬉しいし、叱られれば悲しい、子供からすれば絶大的な存在であるのは至極当然ですよね
私は、そんな子供たちのために「君が君らしくいられるように土壌整えておいたから堂々と大暴れしな!」と、背中を押してあげられるようになっていきたいです
以上、過去からの教訓を通しての「 #みらいの校則 」でした
(どちらかと言うと、未来の教育みたいになっちまったな〜 笑)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?