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コロナがなければ娘は不登校になってなかったのか問題。

うちの娘はいわゆる「不登校」というやつで、学校に行かない選択をした子達が通う、フリースクールに通っている。

毎日元気に通っているし、「土日もフリースクールに行きたい!」と言うくらい楽しんでいる。

そのため、この状態を「不登校」と呼ぶのはどうかとも思うのだが、フリースクールに通っていることを誰かに伝えるときに「不登校で…」と説明した方が話しがスムーズに進むのである。

うちの子が不登校だといういことは、今では、なんの恥ずかしさも情けなさもない。

もちろん当初は焦ったり落ち込んだり、様々な感情に襲われたが今はもう大丈夫。

しかし、初めて誰かに娘の状況を話すときに、なんとなくまだ相手の顔色を伺ってしまう。

「不登校って聞いて、今どう思ったかな…?」とさりげなく表情を読んでしまう。

特に教育系に熱心そうな親御さんに話すときは、緊張する。

「不登校」の「不」という漢字もすごいネガティブな感じがする。

なので、娘の事を話した後に「コロナの時期にさー、学校がつまらなかったみたいで行かなくなっちゃって…」と焦って付け加えて、また様子を見る。

そうすると、だいたいの人が「あー、あの時期大変だったもんね」と理解を示してくれる。

そこから、いかにあのコロナ渦に、黙食やらマスクやらで子供たちの心理的ストレスが多かったかって話題になる。

これが、お決まりコースである。

しかし、である。

実際うちの子が不登校になったのは、本当にコロナのせいだったのだろうか…?

確かに、コロナ渦のあれこれのせいで、かなり早くに学校生活にギブアップした感はある。(なにせ小学校1年の6月から行かなくなったので、2ヶ月しか行っていない汗)

ただコロナがなかったとしても、うちの場合、どこかで早々にドロップアウトしていた気がするのだ。

まずうちの子の場合、「なんで長時間机に座って、ひたすら勉強をし続けなくてはならないのか」、というところに疑問を感じていて、さらに、「そんなに勉強したのに、なぜ家でも宿題をしなくてはならないのか」、ということも耐えられなかったようだ。

もちろんそれだけでなく、集団行動が苦手だったり、細かいルールに縛られたくないという性格なのもある。

ということで、やはりコロナがなくても途中で「やーめた」と学校に行かなくなってたと思う。

でも、私的にはコロナがあったから、「コロナで子供の鬱も増えてるって言うし、そんな学校が嫌なら休ませてみよう」と思えたってのがある。

もしコロナじゃないときに娘が不登校になってたら、心理的なストレスとか考えずに、「学校は行かないのはワガママだ!」と娘に押し付けてたと思う or 親として自分を責めまくってたと思う(これをたまに想像すると怖い)。

だから不登校になったことをコロナのせいに出来て良かった…。

人に説明もしやすいし…。

娘、毎日遊びまくってて草。

ラエコ




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