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夢で逢えたこと

先月、胃がん闘病中だった父が80歳の生涯を閉じた。

埼玉に暮らす我が家は、中学生になった長女の部活も忙しく、コロナ禍で帰省もままならぬまま2年が過ぎていた。

この間、自分もパートを変えたこともあり、なかなか休みも取れずにいた。
見舞いたい気持ちはあるものの、飛行機で家族揃って…これが何とも難しい。
急変となれば、おそらく父の最期にも立ち会えぬだろうと諦めていた矢先、GW頃に急激に様態が悪化し、父は入院した。

今思えば、先の見えない闘病生活と長引くコロナ禍で、気が緩んでいたのだと思う。
これまでも、四年前の胃の全摘手術にはじまり、腎臓の手術。自宅で転倒した際に腰を骨折した際にも手術、入院を繰り返していたので、心配だけどひとまず治療ができればまた持ち直すだろうと、どこか楽観視していたが、今回は違った。

痛みを訴え、食事もほとんど取れなくなった父は、衰弱が激しく、すぐに緩和ケア病棟に移ることになった。

四年前、ステージⅣに近い胃がんが見つかり、初めて手術したあの日。
手術室のすぐそばにあったのが緩和ケア病棟の入口だ。

一緒に付き添った姉と
「あそこには入らないようにしないとね…」
「あそこに入ったらもう助からないからね」と、気持ちを奮い立たせたことを思い出した。

ついに来るべきものがきたのか…
いよいよ私は帰る。父を見送るために。
しかし、今は週のど真ん中。
まずはパート先。休みをもらわないと。
制限で面会もできない子供らはどうする?
連れて行っても構えないだろうし、勉強が遅れるだけだ。
ちょうど長女は週末体育祭、小4の次女は翌週が運動会だ。
続けて長女は、中間テストも迫っている。

特にまだ9才の次女。
日中、母のいない状態で置いていっても大丈夫だろうか?
両実家とも離れていて、子供を預けた経験が殆ど無い私は、早く父に会いに行きたい焦る気持ちと、子供の世話の心配がぐるぐると巡っていた。

連休明けの異動で夫も連日出勤になった。
ここ2年間は、ずっとリモート勤務だったのに、だ。
人の生き死ににタイミングなんてないのだが、それにしても悩ましかった。

丸一日考え、父がもってくれることを祈りつつ次週の飛行機を予約した。
週末に食べ物の買い出し、家のことをやりきって、その後、葬儀となっても安心して後ろにのばせる日程にしたことで、やっと気持ちが落ち着き帰り支度を始めることができた。

がしかし、その晩、不思議な体験をした。
やっと往復の飛行機をとり、日付が変わった時間に。
(今考えると帰りの便までなぜ?と思うが…律儀に仕事の休みに合わせて復路も取った。それくらい気が動転していたか、父がもってくれると信じ込んでいたのだ)
スマホを閉じてスッと寝落ちした時、父の夢を見た。


やけにリアルな病室でベッドに横たわる父の顔をのぞき込んでいる私。
手を伸ばし、父の手を引きながらベッドから上体を起こしてやろうとしたのだが、思ったより重く、逆に態勢を崩した私は、ゆっくりと、スローに父側に倒れていく。


「なんでよぉ?」



鹿児島訛りの父の声。
ハッキリと聞こえたその声の大きさで、引き戻されるようにふわっと起きた。
声の生々しさに心臓のドキドキが止まらず、夢の中の映像や言葉の意味を考えながら、しばらく眠れなかった。

入院時、もって1ヶ月という当初の容態が、飛行機をとったすぐ後、週単位に下方修正。
長女の体育祭が終わった土曜の午後には、もっと早めないと間に合わないかもしれない、おそらく日単位の余命だろうと主治医が急かしてきたと姉から連絡を受け、急遽翌日の飛行機で私は鹿児島へ向った。

そこからの詳細はまた次回、書きたいと思うが、日・月・火と3日間病室に泊まり込み、夜の付き添いもして、水曜の明け方に父は亡くなった。
水曜は奇しくも最初の飛行機を取っていた日だった。


「それじゃ間に合わんがね?早く来んか」


そう言ってくれてたんだね、お父さん。
私はそう理解した。

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