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【ずっと残るもの】〜中日・木下雄介投手の追悼試合に想うこと〜

おはようございます!
高校球児時代気合を入れるときは湘南乃風「黄金魂」を聴いていました星野です。

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▼先週末のプロ野球追悼試合
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先週の日曜日、プロ野球で思い出深い試合が行われました。
8月に急逝した中日ドラゴンズの木下雄介投手の追悼試合。

木下投手は7月頭の練習中に突如倒れ重篤状態が続き27歳の若さで亡くなりました。
死因はご家族の意向で公表されていませんが、
誰も予期せぬ突然の死でかなりショッキングな出来事でした。

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▼木下投手の生き方
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木下投手はそこまで有名だった選手ではありません。
プロ野球好きの中でも"通なファン"が知っているような"これからの選手"でした。
経歴も異色で何度も這い上がってきた野球人生でした。

ケガもあり駒澤大学を1年で中退。
その後、アルバイトや営業の仕事で一度は野球から離れますが、
四国の独立リーグで練習生として野球を再開。

2年の独立リーグ生活を経て、
2016年に中日ドラゴンズに年俸300万円で育成選手として入団。
プロ入り後も順調に成長し育成選手から支配下登録を勝ち取ります。

その後は期待されつつもケガに泣き、
今季も第一線の活躍が見込まれる中、
オープン戦中に肩を脱臼する大怪我で離脱。
再びマウンドを目指し、1年以上のリハビリに取り組んでいる最中でした。

不屈の闘志で何度でも這い上がるという生き様もカッコ良いのですが、
人間性も素晴らしかったそうでチーム内に彼を慕う仲間は多かったそうです。

彼を兄のように慕う選手も多く、
「木下を挟めば誰でも会話できる」と言われるくらい、チーム内で人望のある存在だったようです。

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▼愛を感じる追悼試合
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そんな木下投手の追悼試合は、
彼が各方面から愛されていたことがとても伝わる試合になりました。

中日の全選手、監督コーチが木下投手と同じ「98」の背番号ユニフォームを着用。

試合前のセレモニーでは、
何人ものチームメイトが涙を流す中、
じっくり時間をかけてメモリアル動画の放映や献花、黙祷が行われ、まだ小さなお子さん2人が始球式。
始球式では木下投手の登場曲「黄金魂」が流れ、場内には「木下~雄介!」とご本人のお名前がコールされます。

ちなみに同日の2軍戦でも全員「98」を着用し、試合前には木下投手の兄が始球式したようです。

「雄介のための大事な試合」と、
チームがひとつになり試合は2-0で中日が劇的な勝利。
その日のヒーローは木下投手を兄と慕う同期入団の京田選手でした。

試合で着用するグラブに「雄介」と書く選手がいたり、
相手チームのDeNAも帽子などに「98」と書いたりするなど、
グランドに木下投手の想いが生き残る追悼試合になりました。

試合のあった9/5は、昨年木下投手がプロ入り初セーブを挙げた日というのも粋な計らいです。

そんな追悼試合の舞台裏動画が球団公式のYouTubeにアップされています。
球団担当者は「彼がどれだけ愛されていたか知ってほしい」と語っています。

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▼「どう生きるか」
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僕も正直、亡くなるまで木下投手のことをよく知りませんでしたが、
亡くなって以降の関係各所の動向を見ていると、本当に彼が愛されていたのだと感じます。

中日のエース・大野雄大投手がオリンピックで獲得した金メダルを天にかかげたり。
身近な記者が彼の良さだけを伝える記事をたくさん書いたり。

プロ野球でまだ優れた結果を出していたわけではない選手ですが、
とても大きな存在を失ったという野球界の別れの惜しみ方を感じました。


結果や成果を残すことと等しいくらいに、
「どう生きるか」ということも大切ですね。


チームメイトなど近くの存在にとっては、
何勝挙げたという実績よりも、人間性の方が大きなものなのでしょう。

優れた成果や能力は現役を引退すれば薄れゆくかもしれませんが、
人間性で培った関係や信頼は、死んでもずっと残るもののようです。

プロ通算0勝の木下投手ですが、
関係者やファンの心には大きな記録と記憶を残し続けるのだと思います。


成果や結果に目が行きがちな競争社会ですが、
「どう生きるか?」にもこだわりを持って、毎日大事に生き様刻んで生きていきたい。

R.I.P

#はたらく朝から楽しもう 313

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