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便利になりすぎてきたから縄文人に学んでみた

インターネットやスマートフォンをはじめ、目まぐるしく科学や技術が進歩する今日この頃。

何不自由ない豊かな生活を送られていることに幸せを感じている。しかし、便利になり過ぎていることは、これから生まれてくる子どもたちはちょっとした不自由も多大な不自由だと覚えるのではないかと危惧している。

それは、人間の機能の弱体化。
AI普及で「人間にしかできないことを」っていうのになんて皮肉。

例えば食料品でいうと、包丁や火を使わなくていいものや、レンジで温めてお皿に移さずそのまま食べられるもの。確かに、このアイデアは画期的だし、誰でもできて災害時にも役立つと思う。

でも、包丁の握り方やコンロの使い方を知らない大人が増えていったら?人災・殺害・火災の件数は増大しそうだ。

パウチパックのまま食べる習慣が日常的になると、レンジに入れて熱くなる食器の知識は身に付けられないし、盛り付けなど美的センスを磨く機会もなくなる。

私も最近になって自炊をしはじめた。料理の段取り組みは思ったより難しく、火の近くのラップなどヒヤリハットも結構ある。あと、手先と頭を使うからボケ予防のためにも続けていきたい。

対して、縄文人の生活はどうだったか。
自分達で狩りをして、木の実を採ってと毎日適度な運動をしている。料理も火を使うことが多く、肉も鋭利なもので切っていただろうから、手先も器用と思う。そして、無駄な二酸化炭素排出や化学物質もないせいか、感染症が少なく環境維持がされていて、人も地球も実に健康的だ。

歴史なんか勉強して何になると文系学問叩きをする声もあるが、新型コロナが世界を騒がせている今、縄文時代のいいところを拝借しつつ、新たな科学発展・生活の見直しを見せることが必要となりそうだ。

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