一生役に立つものも不要なものもない

ムダと便利は表裏一体だと思う。


今まで重宝していたものが突然壊れたり不具合を起こしてムダ・不要になったり、
逆に見向きもしていなかった人やモノに突然スポットが当たり役に立つ・価値のある存在とされることがある。


例えば、ビニール傘は雨の日に役立っているけど突風で骨組みが折れて直せなくなると一気に不要なモノへ転落してしまう。
また、人でいうと社内唯一のトリリンガルだったけど全言語対応の小型翻訳機器の導入が始まってその人の価値が大したものでなくなるなど。

逆に、これまでゲームは教育に悪だとか言ってた大人が子供を家で大人しくさせるためのツールに使ったりするなど価値観は急激に変化する。


一度捨てられた、見限られたからもう存在意義が無いんだといってすぐに廃棄or身を投げることを第一の選択肢にするのは少し早すぎるのではと思う。


三ヵ国語話せることは自分が円滑に生活できるエリアが人よりも多いことだから、生活圏を変えることが容易になるし
何より言葉を話せないと見た目が成人でも扱い的には幼児並みだからそれだけ十分価値がある。何も無駄じゃない。

壊れた傘もリサイクル業からみるとアルミ、プラスチックといったお金になる十分な資源。


私も今までムダに場所だけ取って邪魔だった段ボールはZOOMを使う時の机代わりや高さを調節する便利なものとなっている。
引っ越しか郵送のときくらいしか使わないだろうと思っていたのに意外な使い道をされている。

逆に考えると今便利中の便利であるスマホもそのうち不要なモノ、時代遅れなモノとなる日がくるかもしれない。


今いる場所でどんなに「いらないよ、間に合っています」とお祈りされていたとしても、人モノ問わず必ず活躍の場があるはず。

反面、今周りからちやほやされてるとしてもいつか廃れる日が来るはずだから、その日を遅らせるために常に走り続けて改善やアップデートを繰り返さないといけない。




そのためにも、やっぱり母国語以外の言葉は使えるようになりたいなと英語とスペイン語の本を開き始めた今日のこと。


*素敵なイラストありがとうございます。

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