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みんな 夢ってあるの?それがフツー?

青山にある広告制作会社でコピーライターをしていたとき、大学の広告をつくった。大学の入学案内だから、主に高校生に向けてのメッセージだ。ポスターは、高校生がよく通る池袋の駅などに貼りだされた。

僕自身、夢という言葉には、憧れとともに、それを背負わされるプレッシャーみたいなものが潜んでいると思っている。そういう気持ちがあるから、でてきた言葉だ。キラキラした言葉の裏にある、無責任な押しつけみたいなもの。今までは平等とかなんとか言われていたのに、ある日突然レースのなかに放り込まれる。と思ったら、レースも途中なはずなのに、外野からさえ順位すらつけられている。もう中盤だよとか、、、やめて。そういう人生の裏表を、ときに残酷だなと思う。

どこの大学や企業に入ればいいとか、どういう人生の決断をしたらいいとか、そういうことではない。ましてや、高校生のタイミングでは、夢をもっている人のほうが少ないのではないか。だれもが本田圭佑さんのように、サッカーと出会い、小学校の卒業文集で「セリエAで10番をつける」みたいな目標を掲げられるわけではない。大人になった今でも、まわりを見渡せば夢を叶えるため人生に挑戦している人のほうが少ない、ように見える。

夢なんて、なくていい。
人生の目的とかなくていい。

生きていける。
そう思うときもある。

でも、夢のある人は行動力がある。
目的が明確な人は強い。
そういう面もある。

僕も、そういう人が好きだ。今までいくつかの組織に属してきたが、必ずいる。そこでの出会いは貴重だし、今でも大切にしている。

じゃあ、夢がない人は魅力がないのか。そんなことは全くない。

「楽さに負けたんだよね」

組織の中堅を担っている年収600万のある人は、僕にそう話してくれた。僕は、その人のことも同じくらい尊敬している。どこかで人生の折り合いをつけたみたいなことを言っているが、本当は違うかもしれない。その人じゃなきゃ本当のことは、わからない。

僕が思うことは、こういうことだ。自分はどんな人間なのか。どんなことに、心が動くのか。胸が高鳴るのか。好きなことと、嫌いなことはなんなのか。知っておくことが重要だということだ。自分を知らずに、他人の言葉を信じると、もしかしてお金持ちにはなれるかもしれないけれど、幸せにはなれない。と、思う。そして、難しいけれど、その逆もまたありえるということだ。自分のことを押し付けすぎても、幸せにはなれない。と、思う。

自分を知っている人。
相手の気持ちを考えられる人。
そういう人になろうと思う。
そして、夢をあきらめない人になろうと思う。

こんど夢の話をしたいです。

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