【エッセイ】虫の声で繋がる過去と現在「ねぇ、大人って○○○?」
「ちょっと、暑いな。」
自室で本を読んでいた私はぼそりとつぶやいた。
もう10月も終わりだというのに、まだ、暑い時がある。
私は自室の窓を細く開けた。
すると、窓の外から「リーンリーン」という儚くも美しい虫の声が聞こえてきた。
読書を中断してしばらく聞き入っていると、どこか哀愁を感じさせるその声に、過去の記憶が呼び起された。
まだ幼かったあの頃の思い出。
夏の鮮明な記憶とは違う、セピア色に霞んだあの日の記憶。
7歳のあの日。
祖父にコオロギを捕ってもらった。
まだ夏の余韻が残る日差しと湿気を含んだ風に吹かれながら、祖父と2人でコオロギを探したんだ。
「じいちゃん!いた!!はやく、はやく。」
コオロギが欲しい癖に自分では触れない私は祖父に捕まえて欲しくて、そう急かした。
祖父はそんな私を見て、どこか嬉しそうに笑いながら躊躇なく石の隙間に片手を突っ込んでコオロギを捕獲した。
「痛っ!?」
祖父の小さな悲鳴に
「どうしたの? じいちゃん。」
と私はその手元を覗く。
ぶあつい祖父の手にはコオロギが噛みついていた。
噛みつかれつつもどこか楽し気な祖父の顔が、浮かびそして消え次の記憶へと流れていく。
祖母に道の駅で買ってもらった鈴虫。
ずっと欲しかったから飛び上がるほど嬉しかったのだけれど、家に持ち帰り室内に置いたら、思ってた以上に大きな鳴き声に夜も眠れなくなってしまった。
当初は爽やかな音色に癒される予定だったのに・・・。
多分、匹数が多すぎた。
家族からもクレームが来たので、夜だけ母の車に虫かごごと入れておくことになったのだけれども、餌のきゅうりの匂いが移って車がきゅうり臭くなってしまった。
母は怒るどころか笑って、「鈴虫を飼うのも意外と大変だね。」とか「まさか騒音になるとは思いもしなかったよね」とか言って家族みんなで笑い合った。
翌年の秋。
祖父母の家に泊まり、3人一緒に寝室で横になっていた。
ふわふわの布団。
大好きなじいちゃんとばあちゃん。
私は3人で寝るこの時間が大好きだった。
「ねぇ、ばあちゃん。天井のあれ、なーに? 」
消灯後の寝室、布団で仰向けになっていた私は天井の一部、不規則な形に黒ずんでいる箇所を指さした。
暗闇の中見えるその黒ずみは、お化けみたいになんだか不気味で、私は少し怖かった。
「ああ。あれは雨漏りの跡だよ。」
祖母は眠そうに目をこすりながらそう答えた。
「そうなんだ。」
私は、「大人って何でも知っててすごいな」と思ったけれど、だからって早く大人になりたいとは思わなかった。
とある不安から大人になることが怖かった。
「ねぇ、ばあちゃん、大人って...。」
そう言いかけたが、祖母はもう眠りについていた。
祖母の寝息が私の頬にかかる。
気づけば祖父も眠っていた。
「おやすみ、ばあちゃん。じいちゃん。」
私は小声で言うと、祖母の毛布をかけ直してやり、自分も眠りについた。
リーンリーンリーン。
簡素な自室6畳の部屋。
大人になった私はこのエッセイを書いている。
「ねぇ、ばあちゃん。大人ってつらい? 」
あの時、祖母に聞きたかったこと。
過去の自分から現在の自分に送る質問として、答えてみようと思う。
大人になって辛いこと、苦しいこともあるけれど、それは子供の頃も同じだった。
辛さの種類は違うかもしれなけれど、その度合いは同じだ。
いや、むしろ小さくなった部分もあるかもしれない。
子供の頃は大人の言うことは絶対だったし、どんなに理不尽なことがあっても、それに背く力も知恵も持ち合わせていなかった。
そのことに加え、ASDを抱えつつも「普通」に生きていく苦しさというのもあった。
ASDが診断されたのは、7歳よりもう少し後のことでそれまでは他の人と同じように生活することを求められてきた。
「普通」の型に自分が変形するほど、強くはめ込んで生きてきたよね。
そうするしかないと思ってたから。
でも今は違う。
理不尽に歯向かう知恵も力もあの時よりは付いたし、普通に固執しなくても生きていけることを知った。
過去の自分へ
リーンリーン。
秋夜の虫が鳴きとおす中、子供の時の自分に宛てて、そう言葉を紡いだ。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
よづきでした。