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記事『「若草物語」を通して現代社会のジェンダーを見る』

 日本でも長年親しまれてきた『若草物語(原題「Little Women」)』の作者ルイーザ・メイ・オルコットは、19世紀のフェミニストであった。故にその時代には珍しいほど、女性の地位向上について主人公たちが思い悩み自分の置かれた環境を変えようとする様を描いている。

 2020年、その作品を期待の新人監督グレタ・ガーウィグが映画化した。それが『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語(以下『ストーリーオブマイライフ』と省略)』である。主人公の姉にフェミニストとして活躍する女優エマ・ワトソンを起用するなど、現代の社会におけるフェミニズム運動に一石を投じるものになった。  

 そこで、私は『ストーリーオブマイライフ』とアカデミー賞にも多くノミネートされたジリアン・アームストロングが監督した1994年版『若草物語』(以下「94年版」と表記)のセリフや描写から、現代社会でのフェミニズムについて考えていく。  

 当然、今の社会は19世紀の社会とは違い、女性にも選挙権があり、教育を受けることが出来、したい仕事に就くことが出来る。では、日本は完全に平等であると言えるだろうか。私は、言えないと日々感じている。SDGsのラッピングになった電車に女性専用車両があるなんて達成する気ないじゃん、と男性が批判したツイートがバズる。東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が「女性がたくさん入っていると理事会の会議は時間がかかる」と言い「女性っていうのは競争意識が強い」とも言った。2020年1月時点で、日本の閣僚ポストで女性が占める割合は15.8%である。菅政権では二人しか女性はいない。そういったわかりやすい事例以外の不平等もこれから、『若草物語』を通して考えていきたい。  

 『ストーリーオブマイライフ』でジョーは叔母に「女の仕事は売春宿の経営か女優しかない」と言われる。今は圧倒的に選択肢が増えた。就業者数及び就業率の推移【1】も私が生まれた平成13年から比べても13パーセントほど上昇した。しかし、私は小学生の時同級生の男子に「女は体売ればいいから楽だよな」と言われたことがある。そのころの私はミソジニーの節があったため、それに同意した覚えがある。だが、それは正しいことか。風俗で働くことは悪いことではない。水商売をしているということで差別されるべきではないし、憲法で職業の自由が保障されている。けれど、国は性風俗事業者を持続化給付金の対象外にした。政府は「国民の理解が得られにくい」からと説明した。理解を得られにくいというのは合理的な理由ではない。「性風俗事業者は納税してない」「反社会勢力とのつながりが」などと言われるが、持続化給付金は確定申告をしないと受け取ることは出来ないし、反社とのつながりなど他の事業者でも言えるだろう。何故、性風俗だけやり玉にあげられるのだろう。その日本人の心理の中には、「性は汚らしい」という意識があり、性風俗は下級で下劣なものだという考えがあるからだろう。ここで、初めのセリフと私の言われた言葉に戻る。ジョーの言われた言葉は、女性が自立することなどほぼ出来ないという意味が込められている。私が言われた言葉は、女なんて性的な価値しかない、というような意図が込められている。この二つには女性の知性や学、能力を認める考えがない。また、「小学生の発言なんだから」と言われかねないが、それは違う。小学生にこのような発言をさせてしまうような性教育の欠陥が社会においての問題である。  

 次に94年版で主人公の母が「コルセットをきつく閉めて、家庭でお裁縫をさせられると本来の能力が衰えて弱弱しくなってしまう」と訴えた。当時のコルセットは中産階級の女性たちの道徳意識を表し、夫のために着飾り、男性の保護、エスコートがなければ生きていけないようにするためのものであった。そこには女性はか弱く貞淑であり、男の所有物であるべきという考えがある。  

 現代では、服装で行動を制限されることはあるのだろうか。例えばスカートで考えてみよう。女子校だった私としては、スカートの下にはハーフズボンを履くのが常であった。そのため、みなスカートの中を見られるということを気にせず、胡坐をかいたり、足を組んだり、スカートで扇ぐなどの行動をとるのだが、先生にははしたないと言われる。スカートが上に一枚のっているだけなのに、何故、してはいけないこととして指導されなければならないのだろう。ここにはやはり、『女らしさ』というジェンダーバイアスがある。スカートは女の子の象徴として認知されていて、そのうえでスカートの中を見せないように生活をすることでおしとやかな動きというものを身に着けさせようとしている。また、パンプスの問題は『#KuToo』運動でやっと訴えられ始めたが、それでもなぜかそれを批判する人間が多すぎて、苦しみを共有したいと検索した時、より苦しい暴言や性差別的な発言、女性批判ばかり目につき、個人としては生きていくのが辛くなる。歩きにくく痛いパンプスにポケットのないスーツは誰に利益があるのだろう。これらは現代のコルセットではないか。痛みで女性を去勢し、社会で活躍できないようにしたい、と思っている人間がいなければこの謎の強制的な習慣は一瞬で消えるはずだ。男女ともに仕事に全力を注げる環境を作り、仕事の効率を上げたいと考えていたらこのようなことにはならないはずだ。  

 また、女性が声を上げると、運動を始めると叩く人が非常に多い。「フェミニストである」と公言すると批判を受ける。女性の友達と喋っていた時「フェミニストはここにはいないよね」と口にするものがいたのだが、このことからわかるように、フェミニストは厄介な存在だという認知が広まっている。確かにTwitterなどで『フェミニスト』と自称している人は女尊男卑の思想を持っていることも多い。過去に性的搾取をされたという恨みがあり、男を陥れたいと思っているのだろうと思える人もいるが、その人の思想も問題として考えるべきである。しかし、本来フェミニストは男女ともに苦しまなくてよい社会を作りたいと考えている人のことを言うのではないか。『フェミニスト』という言葉が批判、嫌みとして使われている現代日本は、オルコットが生きた時代より平等になったはずなのに荒んでいる。この問題が起こる理由として、全性別の人間が不幸せだからだろう。自分が幸せでないから、他者が幸せを追い求めることが許せない。仮想の敵を作り、批判し、正義を振りかざすことで心の余裕を保とうとするのだろう。  

 第一期フェミニズムを生きたオルコットが描いた『若草物語』は、私たち現代日本を生きる女性にとって他人事、過去のことと言えるものではない。確かに選挙権はあるが、政治の場には女性が圧倒的に少ない。会社で指導をする側でも女性は少数派だ。まだ日本は第二期を突破することが出来ていないのだろう。これらを改善するためには、他者を、そして自分自身の心を尊重することを教えるような性教育が必要である。しかし、それを導入するためには政治の世界に女性を、新しい考えを持った若手を送り込む必要がある。そのために、私たちはオルコットやジョーらが持つことのできなかった選挙権を使い、自分たちの意志を訴えていくことが必要だ。私たちは存在している、と。 

【1】I-2-1図 就業者数及び就業率の推移 | 内閣府男女共同参画局 (gender.go.jp) (2020/02/03) 

ストリップ劇場が日本から消える日~風俗を差別し、日陰に追いやるべきなのか - たかまつなな|論座 - 朝日新聞社の言論サイト (asahi.com) (2020/02/04) 

こんなにも違う。女性閣僚の比率が一目瞭然…。10カ国の内閣の写真を比べてみた (buzzfeed.com) (2020/02/04) 

女の幸せは結婚だけ?『若草物語』がフェミニズム的にも究極の名画である理由(松本 英恵) | FRaU (ismedia.jp) (2021/02/04) 

映画『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』 | オフィシャルサイト| ソニー・ピクチャーズ | ブルーレイ&DVD&デジタル発売 (sonypictures.jp) (2021/02/04) 

田中正人、2015年、『哲学用語図鑑』、プレジデント社。 

⬇️同時期に書いたストーリーオブマイライフについてかいたレポートです!

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