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SS『夏は痛む』

 遠い場所からあの騒々しい音が聞こえる。かと思えば、すぐ隣から耳を刺す。大合奏ではなく、各々が勝手に暴れているだけで、心は踊らない。暑さに心がやられ始めた。
 夏はいつだって私を包む。そして、そのまま圧迫して消し去ろうとする。出来る限り抵抗をするのだが、それでもやっぱり痛みが襲う。
 あっちぃ。
 私は一人、学校の最寄り駅とは名ばかりな十五分間の灼熱を歩きやめたところだった。このままでは溶けてなくなってしまいそう。公園には誰もいなかった。時間は十時半。この世界には蝉しかいない。
 日陰の中の花壇の端に座り込む。きっと君は来ない。手に持ったスマホはカイロのようで、放棄したくとも私の欲求はそれよりも誰かとのつながりを求めた。スライドする画面は私の目の追い付かない速さで、それでもなんとなく情報が入ってきている気がした。
 鼓膜を揺らす蝉の声は、私の体ごと揺するようでインフルエンザを発症した時を思い出した。ぬるくなってしまったペットボトルの水を頬にあてる。伝う水滴が首から鎖骨を通り、谷間を通る。
 毎日の喧騒がより激しくなることは、私たちの青春が終わることを意味する。誰かを愛するというのは、それだけ儚い。
 生きていることを主張する葉を蟻が登る。黒々とした大きい蟻のウエストを数える。学校にはあと五分歩かなければならない。その体力も意思も私にはなかった。視点はどこにもあっていない。通知音は消しているけど、そのたびにスマホの画面がついて、ついて、ついて。
 グループチャットはいつまでも動いているけれど、そこに私はいない。所属して、役割を担っているはずなのに、私の意思はどこにもない。なくていい。そっちのほうがずっと楽だ。だけど、やらなければいけないことを押し付けられる日々はいっそ私がリーダーならよっぽど身動きがとれたはずだと思ってしまう。
 スカートを折った人がクラスでは中央を築く。私のような何に対する抵抗もしないような人間は、文化祭が失敗しないように下ごしらえと当日のただ働きを彼らの青春のためにささげればいいのだ。
 夏は痛む。
 夏は美しい。
 クーラーのきいた図書館で夏休みの宿題がしたかった。
 空の青さは窓の中から知ればいい。
 そろそろ学校に行かなければ。休んだりしたらきっと文句を言われてしまう。夏の終わりにまで長い地獄を見たくはない。難しいことなど何もない。空は青い。空気は重い。風はぬるい。堪能しているふりをするのが一番だ。
 会いたい人誰もこの集まりには来てくれないけれど、私はチャラい人々と長い時間を暮らすだけでいい。作業に打ち込めばいい。それだけなのに。私は日陰から動くことが出来なかった。
 スマホがまたついた。
『今日はなんかなしになったー、先生マジくそ』
 そして、クラスの今日参加しなかった人が『最悪じゃん』なんて返す。行かなくてよかった。
 蝉の声よ、今日も元気に鳴いてるね、そんなに泣いてて疲れないの?
 私は立ち上がり、駅に向かう。そうだ、あそこのアイス食べてから帰ろう。今日はパチパチと弾ける緑色のやつにしよう。


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