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高校の存在/授業選択制

僕が高校を卒業してだいぶ経つが
ふと、この高校の学校としての
存在定義がなんだろう?
学歴社会であり格差が広がりつつ
ある昨今、高校は今も昔も
大学受験のためだけの位置付けなのか?

それは、それで良いとしても
最低限の一般教養を身につけ
教養の共通化を図るべきでは
ないだろうか??
例として、思考法、お金について、時間について
マナー、歴史(日本近代史)、日本文化など
そして、2年生から一般教養の時間から
得た知識を基に授業を選択する。(選択することの意味を身をもって体験する)
得意分野、興味のある分野、将来必要な分野など
を個人で選ぶ。 さらに有限資源という時間を基に
自分にとって不必要と思う分野を選ばない(捨てる)

授業内容の面白さや指導者のキャラクターも
判断基準にも入れ、活性化を図るのも良いだろう。

情報を与えられる受動的な授業ではなく、
自分から情報を得る能動的な授業へと
変化していくべきである。

余った時間をバイトや復習に当てる。
高校も人材派遣と組んで人材を紹介
してみてはどうだろうか?
生徒からしたら無駄に時間を潰すより
仕事で得る対価や技能を得たほうが
良いのではないか?

高校授業料無料化制度があり
どれだけ費用がかかるのかというと
おおよそ一年間で40万円ほど(若干差あり)
年間220日ほど授業日があり1日7時間授業があると
すると1時間当たり260円かかっている。
この数字を安いと捉えるか高いと捉えるかは
個人差があるだろう。 しかし、多くの方が安いと
捉えるのではないだろうか?
合理的に考えれば260円以上の価値、知識が
得られるならば授業に参加するだろうし
そうじゃない場合は授業に参加しないだろうし
バイトへ行くだろう。
逆に260円で授業が受けれるのであれば
安いから全部受けるというヒトもいるだろう。
しかし、殆どの生徒は授業料は親が払っているはず
そのため、時間当たりの授業料を全く考えたこともない。





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