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会えないなら、いっそもっと遠くへ

私は至極極端な人間で、
0か100で物事を判断する傾向がある。
ある人は私を
「危なっかしい」と形容し
ある人は私を
「判断力と行動力が強い」と形容する。
私の身を案ずる人、私を応援する人。
いずれも私を愛してくれるが故の
形容ばかりだと思っている。

大学4年の内定時代、
勤務地希望調査で私は
「大阪勤務希望」と回答した。
西日本の田舎で育った私は、
大阪ならそこまで遠くもないし
帰ろうと思えばいつでも帰れるし安心かな
なんて単純な考えで回答した。

関西に住んで7年。
ここは私の肌によく合う。
人も街も仕事も全部。
ここで一生暮らす自分も想像できる。

ただ、もう1年半も故郷に帰れない。
いつでも帰れると思って選んだ大阪なのに
結局家族に会うことができない。

そんなコロナ渦のおかげで私は、
いかにして一人で楽しんで生きていくか
そんなことばかりを考えるようになった。
映画を見漁ったり本を読んだり
絵を描いてみたり、文章を書いたみたり。
これだ、と思った。
文章を書く時間がたまらなく楽しいと気付いた。

自由に人と会えなくなったこの時代、
あらゆる絆の強さ弱さがはっきりした。
結ぶべき糸はぎゅっと結ばれ、
解くべき糸はするすると解け。

また飲みに行こうねー!と言った友達とは
もう1年以上連絡を取っていない。
一生大事にするからね!と言った元彼は
平気で他の人とデートをしていた。
モノの見事に解けた糸たち。

一方、強く結んで放したくない糸は
紛れもなく家族との絆の糸。
その糸は、故郷に帰れない1年半で
むしろ固く感じるようになった。
会えなくても大切に、
いつも私を想ってくれる両親のおかげで。

そうか、人との絆って
距離だけで決まるものじゃないんだ。

そう気付いた私は、
お決まりの極端な発想に至った。

どこにいても
変わらないものがあるなら
本当は私はどこにいたいのか
自分の意志で決めよう。
いっそ、ここよりもっとチャンスが溢れる
東の街へ行きたい。暮らしてみたい。

こんなことをふと思い立ってしまう私は
やっぱり危なっかしくて
周囲は気が気じゃないはず。
だけど、この行動力と決断力は
これまで私の決断を否定せず
応援して失敗したら受け止めてくれた
周囲の支えがあったから。

まぁこれも、
ただの世間知らずで破天荒な24歳の
ほんの思い付きだと思って読んでください。

幸いにもまだ両親は元気でいてくれるし
結婚を考えられる相手もいない。
好きに生きれるのは20代のうちかな
なんて勝手に想像すると、
漠然とした憧れと
無根拠に信じ込む家族からの愛を頼りに
東京へ行ってみたくなる。

上京っていうのは観光じゃないんだぞ。
そこで生きていく、暮らしなんだぞ。
さぁ、24歳の私はどこで何をしていたい?


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