ショートショート32 「S町役場のお仕事」
S町役場の行政相談窓口。
透明パネルで仕切られた受付の奥に、4つだけ並ぶデスクの一番端の席で、男は大きく背伸びをしつつ、人目を憚らずあくびをした。
「先輩、町民の方に見られたらまたクレームが入りますよ。」
新卒で入所してきて2年になるショートカットの女性が男を嗜める。
生まれ育ったこの町をもっと良くしたい、そんな熱い志を胸に、町役場に就職、こんな雑用係に配属されて、よく腐らないものだ。こういう子は、民間の方が向いていると思うけどなぁ、と感心半分・呆れ半分で、男は生返事を返す。
「は〜いはい。まぁ、窓口が暇なのは、いいことじゃないか。皆トラブルなく暮らせてるってことなんだからさ。」
「だからって、あからさまに退屈そうにするのは、また別です!」
結果、火に油を注ぎ、男は肩をすくめる。これじゃ、どっちが先輩か分かりゃしねえな。
デスクの赤電話が鳴ったのはその時だった。
生真面目な後輩のお説教を逃れる天の助け、とばかりに男は受話器を取る。
「はい。S町役場行政相談窓口です。」
『ちょっと!! お隣さんの騒音がうるさくてしょうがないのよ。今も掃除機の音がうるさくて、おちおち昼寝もしてられないわ!』
「お言葉ですが、まだ昼の1時ですよ?」
『何時だろうが、うるさいものはうるさいのよ! さっさとなんとかして頂戴。』
「とにかく一度伺います。詳しいお話はその時に。」
救いの電話でもなんでもなく、厄介ごとが増えただけか、とうなだれながら、男は受話器を置いた。
「今の、赤電話の相談ですか。私…あの電話が鳴るの初めて見ました。」
真剣な面持ちで後輩は言う。
「そ…。とにかく行ってくるわ。」
「あ、私も! 同行させてください。」
一人でいいと再三言ったのに、これも経験だからと譲らず、口うるさい後輩を伴ってプロボックスに乗り込む。
電信柱と電線が空にかかった柵のように目立つ田園風景。S町は、人口3000人ほどの小さな町だ。平穏な毎日を過ごせれば、それで満足。野心も大義も持ち合わせていないこの男にとって、この狭くて面白みのない町のスケール感は、ちょうど居心地がよかった。
車に乗り込んで15分ほどして、二人は電話のあったアパートに到着する。
トタン屋根に所々穴の空いた鉄階段は、踏み締める度カンカンと乾いた音を響かせる。
電話のあった部屋は…ここだ。203号室。
ふぅ、と短く息を吐いて男はインターホンを押した。
「ちょっと! 遅いじゃないの!! 私の心の健康をどうしてくれるっていうの!? 非常識な隣人を、すぐに静かにさせてちょうだい!!」
「はいはい、あなたのいる場所はここじゃないですよ〜…っと。」
男は慣れた手つきで鞄から錫杖を取り出し、3度、空を切る。
鬼のような形相をした初老の婦人は、頭の先から霧のように消えていった。
「お〜い、終わったよ。起きなって。」
卒倒した後輩の頬をペチペチ叩いて意識を戻させる。気がついたものの、まだ腰が抜けて立てないようだ。
「せ、、、、せ、、、先輩。あの人、足が…。」
「ん? そりゃ、無いさ。幽霊だもの。」
「ご、ご、ご、ごめんなさい。私、見るの初めてで。」
「あ〜あ、だから一人でいいって言ったのに。」
足元がおぼつかない後輩に肩を貸し車に戻ると、役場への帰途についた。
「なんだったんですか? あれ。」
「あ〜、うちは心霊絡みの相談も時々来るんだよ。あの後、お隣さんにも話を聞いたけど、生活音を立てる度、お隣の怒鳴り声がすごくて、大家さんに相談したけど、件の部屋は空き部屋。どうしたものか困り果ててたらしい。」
「でも、その問題の幽霊がうちにクレーム入れてきたってことですか?」
「そういうこと。死人に口無しって、この町じゃ嘘だよねぇ。もしかしたら、死んだことにも気付いてないのかも。」
「本当に、お化けっているんだ…。」
「ん、もしかして、やめたくなった?」
悪戯っぽく聞く男に、
「いえ、町民の皆様のためですから。慣れていきます!」
すっかり調子を取り戻した後輩が力強く答える。
「やっぱ…嫌になるくらい真面目だねぇ。」
言葉と裏腹に嬉しそうな表情をしながら男は頭を掻いた。
S町役場 行政相談窓口。
あの世からのホットラインの赤電話は、今日も鳴るのを待っている。
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