ショートショート41 「神様の引き算」

緩やかな弧を描く木造りの宇治橋を渡り、二つ目の大鳥居をくぐる。

瞬間、私の周りから音が消えた…気がした。

日本全ての神社の上に位置する……割には、あまりにも簡素で飾り気がないと思っていたこの空間。


ここには、本当に神様がいるのだ、多分。


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「卒業旅行は、伊勢です!」

夕食を終えたダイニングテーブルで母が唐突にそう言ったのは、大学進学も決まった、高校最後の春休みが近づいた頃だった。

級友との卒業旅行の日程も決まり、高校生活最後の思い出作りの旅程を頭に浮かべ、あれこれ楽しい空想にふけっていた時の事だ。

お母さんと卒業旅行? しかも、行先決まってるの? こういうのは、普通主役(つまり私)の意向を汲んでくれるものじゃないの??

と矢継ぎ早にツッコミ(という名の抗議)をしてみるも、

「何よー、私とも思い出作りなさいよ。大体、卒業旅行のお金だって、誰が出してあげると思ってんのー?」

と返される。

お金のことを言われてしまうと、親に頼るしかない高校生の私にはなかなかツラいところがある…し、別にお母さんとの旅行が嫌なわけじゃない。ただ、ちょっとビックリしただけ。

いたずらっぽく、ニヤニヤしているお母さんに

「分かったってば。」

と苦笑いしながらOKの返事をした。


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「あんたも、忙しいだろうし、近畿圏内だから日帰りで行きましょう。」

というわけで伊勢志摩ライナーに乗って、母娘二人旅。

平日なので、お父さんは仕事だ。まぁ、仕事じゃなくても二人で行っておいで、と言って留守番していたかも知れないけれど。

伊勢神宮が観たいというのは、お母さんの希望だったので、私は連れられるがままバスを乗り継ぎ、見知らぬ道をお母さんの後ろを着いて歩く。

道の両脇に江戸時代を彷彿とされるような趣のある建物が並ぶ通り --おかげ横丁というらしい-- にたどり着いた。「せっかくだからここも観ておきたい」とわざわざ寄り道しているにも関わらず、スマホのナビを食い入るように見つめて方角を確認しっぱなしで、あまり景色を見ていないお母さんに代わり、辺りを見回す。

立派に舗装された石畳と、大きなソフトクリームの看板、銀色のプリウスに、白い軽トラック。

所々に点在する技術の産物が、ここが現代だという事を告げていなければ、ここだけ時間が止まっているんじゃないかと勘違いしたかも(さすがに、ないない)。

そんな道中を経て、ほどよく息が上がってきたところで、私たちは伊勢神宮の一つ目の大鳥居の前にたどり着いた。

「せっかくだから写真撮っとこう!」

そう言った母と、周りの人たちも考えることは同じで、大鳥居の周辺は記念撮影をする人たちでごった返していた。

神様云々っていうか…賑やかな観光地って感じだよなぁ。

その時は、そう思っていたんだけど。


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二つ目の大鳥居をくぐって入った境内は、程よく空気が張っていて、自然と背筋が伸びていく。

広い道々を、天然の額縁のように、両端に植えられた木々が囲い、捉えどころのない奥行きのある空間が創り出されている。

大らかでありながら、木が、岩が、水が、そして、鳥居や社殿が、風景が抜け落ちることのないよう配置され、写真で見た時は簡素に見えたそれらは、贅沢な余白で彩られているのだと分かった。

何を置くか? よりも、余分なものをどこまで引けるか? と考えられているのだろうか、と思わせるその空間にいると、霊的な何かが入ってくる感覚よりも、悩みとか不安とかそう言った良くないものが、霊的なものに吸い取られて清められていく感覚がする。

普段、信心深く生きてる私じゃないけど、この時ばかりは

なんだか、神様にありがとうっていいたくなった。


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「私ね、生きるって、何を手に入れるかより、何を手放すかの方が大事じゃないかと思うの。」

皇大神宮をお参りした後、サラサラという五十鈴川のせせらぎを眺めていた時、(行きにも見たけど、もう一回見たいというから二人で戻ってきた。)ふと母が言う。

「生きていくと、色んなものが手に入って、でも全部抱えてると持つのに必死で、何が大切か分かんなくなっちゃうじゃない。これは手放しても大丈夫って、引いてもいいものを見極めて、残ったものを磨いていくのが、大切じゃないかって思うの。」

珍しく真面目な事を言うなぁ、と思いながら

「お母さんは、何か手放したいの?」

と何の気無しに尋ねる。

「私はね、まだ何も手放したくない。きっと、まだまだなんだよ。あんたが春から家を出ちゃうってのも、ホントは寂しくてたまらない。子どもが大人になっていくって、嬉しいことのはずなのにねぇ。」

…まったく、不意打ちだよ。親からの愛情って、面と向かって言葉にされると、なんだか胸の内側からくすぐられてるみたいな、ちょっとむず痒い感覚がする。

「まぁまぁ、会えなくなるわけじゃないんだからさ。」

軽く笑って、その場を取り繕うので精一杯だった。


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「ねぇ、お父さんのどこが好きで結婚したの?」

何となく、自分でもハッキリとした理由はわからなかったけれど、帰りの電車の中で、お母さんにそんな質問をした。

「うーん、不器用で一つの事しかできないところ…かな。」

「えー、それってかっこ悪くない?」

「まぁ、スマートじゃないけどねぇ。でも、出来ることが少ないから一つ一つに一生懸命で、それが、カッコいいって思ったのよ、私は。」

「ふーん。そういえばさ、小さい頃は、同じ質問したら”全部”って言ってたよね?」

「ふふ、あんたも、もう子どもじゃないからねぇ。」

またいたずらっぽく笑うお母さんは、母親というより、女の子の先輩に見えた。あの境内で、私たちはちょっとだけ、母親と娘という関係を手放せたのかも知れない。

今日のお母さんは、等身大でいつもより少し近くに感じる。


「私は、もっと器用なひとがいいけどなぁ。」

「じゃあ、いつか器用でスマートな彼氏を作って、私にその良さを教えてね。」

「善処しまーす。」


ふわふわとした、女子2人の恋バナを乗せ、電車はレールの上を走っていった。



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【後書き】

神宮は、外宮→内宮と参拝するのが基本ですが、今作はお母さんがノリと勢いで日帰り旅行を決行したため、二つ回る余裕がなく、内宮の方が、メインっぽいじゃない!という理由で、内宮だけを参拝して帰っています。

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