それをお金で売りますか『燕は戻ってこない』桐野夏生【読書感想文】#44

桐野夏生『燕は戻ってこない』を読む。集英社文庫。

これもずいぶん前に読みおわっていたが、ちゃんと書きたいなとおもっているうち、日が過ぎてしまった。ドラマのはじまるまでに更新したい、とおもっていたのだけど。

読みながらメモを取るように記事を書いていく、という試みもやってみたが、読む速度と合わずに中途で抛げ出してしまった。小説自体はとても愉しく読めたのに、何だか挫折感も残る。


読んでいて何度も思い出されたのが、マイケル・サンデルの正義論だ。

『これからの「正義」の話をしよう』だとか、『それをお金で買いますか』とか、それから僕はまだ読んでいないけれど、『実力も運のうち』も、題名から連想するに関連がありそうだ。

いき過ぎた市場主義、跋扈し悪事を謳歌する新自由主義者どもに、著者は怒っているのだろう。当然だ。僕も怒っている。


私事だが、子が生まれ二年余りが経つ。妻の妊娠が分かってから、お腹の中にいた間も数えると三年近くになる。

その間、思いどおりにいかないことばかりである。

子育て(とそれ以前の妊娠・出産)は不確定なことが多すぎる。
そしてその不確実性は、新自由主義とは滅法相性が悪い。


偶々さいきん読んだ本にこんな一文があった。

将来の可能性についての問題は、起こる事象を正確に想定することが難しいというだけではなく、実は評価する自分の側も変わってしまうかもしれないということからも生じる。現在望ましいと思っていることが、そのことが実際に起こる将来には望ましくないと感じるようになっているかもしれないし、現在厭うべきものと思われているものが、現実になった将来にはむしろ好ましいと思うようになっているかもしれない。

竹内啓『偶然とは何か』(岩波新書)178〜179頁

ぼく自身、かつては子は要らないと公言し、厭うべきものと決めつけていたけれど、いざ生まれ共に過ごしてみると、いなかった未来など考えられない、たいへん好ましい存在となっている。

ひとは変わる。変わらないと生きていけないし、矛盾していようがなんだろうが、生きていかないといけない。

小説の登場人物たちは、考えがコロコロ変わる。当然だ。ひとは誰しも矛盾を抱える。そのひとをひとり産もうとしているのだから、葛藤するのは当たり前だ。

ましてや通常ならふたりで産むところ、彼らはそれを三人でやろうとする。葛藤は混沌へとシフトしていく。

いまの世の中は、そういう不確実性や矛盾、葛藤や混沌といったものを、どんどん許容できなくなっているように僕にはおもえる。社会の劣化だ。

ひとはみなひとしく愚かだが、社会そのものが愚かになり劣化していくのは怖い。

毎度の事だが、桐野夏生は世の中に蔓延する不安(或いは怒り)を小説に仕立てるのがほんとうに巧い。

新作はフェミニズム?の話のようで、大いに愉しみである。また読んでしまうのかなあ。

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