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抗う力

どうもモヤモヤしていけない。
この1年、コロナ禍で大きな変化が社会だけでなく
日々の生活にまでも押し寄せてきました。
その中で、あぶり出された古い価値観や思想が
誰もが目に見える形で映し出されたのです。
それが心の中のモヤモヤの主原因のような気がします。

面倒なことには巻き込まれたくないと、
スルーしてきた問題も、反論しても潰されるか、
黙殺されるだけだと逃げてきた人が大勢います。
組織の中にあっては特にその傾向が強いのでしょう。
警鐘を鳴らす人がいても概ね上手くいっているなら
それでいいじゃないかで済ます。
済ますことができる人間になってしまった。

そうなると、そのはけ口をどこかに回すことになる。
SNSなどのネットの世界に文句や愚痴をつぶやく。
これがさらに闇を深めることになります。
面と向かってものが言えない時代に
私たちは生かされているといっていいでしょう。
おかしいと思うことに表立って対抗しないのですから
それは自業自得と言えるかもしれません。

「抗うことを放棄した」人たちが増えている。
「抗う」とは、単に、意に沿わないので逆らうとか、
誰かが言うことを否定して言い返すという
単純なものではありません。
感情的に、情緒的になることでもありません。

「抗う」とは、信念をもって、論理的に、
言葉で戦うということです。
特に権力に抗う場合は権力に忖度する力ではなく、
正しく抗う力。
その力とは、武力(腕力)、権力ではありません。
「言葉の力」であるべきだと思います。

その言葉自体が、ひどく下品で愚劣なもので
あったらどうでしょう。
私たちは耳を傾けるでしょうか?
いくら考え方に同意できるものがあっても、
それに共鳴も強調もできるものではありません。
つまり、抗う力にもなり得ません。

国会のヤジもそうだし、デモの主張もそうです。
口に出さなくても、プラカードに描かれる言葉、
SNS上に書き込む言葉、どれも聞く耳を持つに
値するとは思いません。
せいぜいウケ狙いの言葉に終始するのがオチです。

本来意味するところの「抗う言葉」とは、
論旨がしっかりとしているのはもちろん、
言葉が適切で、意味がしっかりとしていることが
大切で、感情に任せた言葉では力にはなりません。
抗う相手よりもいく段階か上の言葉の力が
なければ論破できません。

私たちは、時に、抗う姿勢を示す必要があります。
政治家が世論を無視し、間違った方向に舵を切る
場面では、それを制することが必要です。
また、組織でも、不当な対応を強いられるとき
それに立ち向かう勇気も要ります。
それらは「抗う力」を持っていなければできない。

世の処世術として、間違った忖度を覚え、
空気を読み、適当な受け答えで要領よく
世渡りするのを善しとする風潮が拡がるのは、
健全な社会のあり方とは違うのではないか、
そう思えてなりません。

私たちは、「正しい抗う力」を身につけること
が大切なのではと思うのです。


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