私の視覚状態事情ー視覚障碍を含め、視覚の異常とは?

視覚の問題、視覚障碍とは何か


最近、今現在の私のクライアントさんの中では初期からの付き合いの方から、「聞いて良いのかわからないのだけれど」と切り出しながら、私が目の前のものをどこまで認識することができるのか(そもそも認識できているのかというところから)、このクライアントさんとは実は今回初めて対面で、一緒に外出をしてみるという挑戦(そして外でのワーク)を行ったので、その意味でも、「私の顔は見えているのだろうか」などのことも含め、聞いてきてくれた。
ちなみにこれを聞いてきたのは、対面より前に、オンラインで描画療法を行っている時だった。
まあ聞きたくなるのは当たり前だ。そして私も聞いてくれてありがたい。

というのも、私の視覚の事情は、「視覚障碍」という枠でいわば種類別されたりランク付けされたりできるものではなく、「認識」の問題であり、つまり脳の問題と言えるため、私自身ですら「どう見えているのか」「見えているのかいないのか」すら、実は自覚としてはよくわかっていなかったり、言語としてどう説明すれば良いのかわからなかったり、環境や時間帯や体調など条件によりあまりに変動があったり、とにもかくにも説明が難しいのだ。具体的にこれは?これは?などと聞いてもらってすら、難しいものがある。

ちなみに加えておくと、視覚機能の問題というのは、
・眼球(刺激受容)
・神経(伝達)
・脳(認識)
単純に書いてもこの3つの要素が組み合わさって「視覚」が成り立つ。
その他、その見え方で生きてきた分の慣れで脳が知らない内に情報を補完していたり他の感覚器官で得た情報(例えば耳や鼻など)といつの間にか合わせて判断するために検査の時と日常の時が全く違ったり、日常の慣れた場所と知らない場所での周辺理解のでき方ややり方がまるで違ったり、僅かな太陽光の加減や人工の光の有無やその時の僅かな体調状態や時間帯などなど…あとは、無理すれば判別できないこともないが後で痛みや症状悪化(日常の無理な眼球使用で失明リスクが一気に上がるような場合もある)や体調不良となるため使わない選択をする、なども絡み、「視覚障碍」枠の例えば弱視や視野狭窄などと状態の名称がついている人たちであっても、「見え方」や「見えるもの見えないもの」の説明はものすごく難しい。
しかも、当事者というのは普段がその状態でずっと生きてきているのであって、健常者と言われる人たちの見え方をまるで知らないので、「これは説明すべき違う部分なのだろうか?それとも同じなのだろうか?」が常に付きまとうとでもいうのか、当たり前過ぎる「自分の状態」を説明せよと言われても、難題なのである。
(この辺りについては過去、別の記事でもいくつか書いているので、「障碍理解」マガジンとしてまとめている中からご参照いただけると幸いである)

その上、「健常者」であっても、実はまるで見え方が違う。
同じように物が見えているしだから一緒に仕事なんかもできるじゃないか、と思われるかもしれないが、実はあなたが見えている目の前の世界(ひとつの対象物であっても同じである)と隣の人が見えているそれは、見え方は全く違うのである。
明らかに通常「眼球の反応だけ」であれば「見えている」はずのものでも、ヒトというのは、まるで存在に気付かないほど見えていない(無視している)ことすら、日常茶飯事なのだ。
こんなところを見ると、視覚障碍者も健常者も、残らず視覚障碍者と言っていいことになってしまうが、いずれにしても、「自分自身が”ちゃんと見えている”」ことを証明することは、不可能と言って良いほど難しいことなのである。
これは私の開催している身体(五感)のメカニズムなどを知っていくと、良くわかる(念のため書いておくが宣伝ではない)。

さて、そんなわけで話を少し表面的なところへ戻すが、視覚の事情(聴覚なども同じだが)というのは、本当にヒトにより異なる。健常者でも異なるので、例えば「弱視者」と枠付けであるからと言って、「こういう見え方をしている」という言い方は一切できないのである。
その上、ほんのごく一例を挙げておくと、本当に場所や時間帯や僅かな周囲の明るさの加減で周囲の状況判断ができるできないの割合が変動する場合が多いので、例えば白杖を持って道を歩いている方が突然どこかに少し移動して立ち止まって携帯電話の画面を一生懸命見始めたり、場所によってはやっぱり音声で操作していたり、さっきは誘導ブロック(点字ブロック)の上をすたすた通行人もよけながら歩いていたのに突然歩みが慎重になって白杖で探るような動き方をしたり、最寄り駅(慣れている場所)までの道は白杖を持っていなかったのに駅に着いたり人ごみになったりすると突然白杖を取り出したりしても、これは決して演技などではなく、全くおかしな光景ではないということをご理解いただきたい。
(本当に見えていないのか確かめるようにわざと身体を当てて来たり、「携帯なんか取り出して/あんなに人よけながらすたすた歩いて、見えてるじゃないか…」などと囁き合ったりするような方がおられるようで、当事者達が不必要に肩身が狭くなっている社会の一面の現状がある)

私自身、白杖を外出時携行することは、かなり最近まで(今も)、相当な抵抗があった。しかし今は、よほど慣れた(文字通り目をつぶってでも行き来できるような)場所でない限り、持っていないと危険(この身も危険なのだが、周りの通行人にも危険)であるということを身を以て感じているため、持つようになった。
白杖は全盲だけではなく、見えにくい人も持つ(これを知らない人がいることも、もしかしたら上記のような誤解を生むひとつなのかもしれないが)。また、視覚障碍以外でも、平衡機能障碍などの場合でも持つことがある。
要するに、白杖を携行する人は、理由は何にせよそれだけの必要性(危険性)があるから持っている。

私は、今は、本当に慣れ切った場所しか動かないとわかりきっていても、荷物の中に白杖は入れておくようになった(ちなみに白杖には長さが変わらないものと折り畳むなどして小さくできるものがある)。
ということはつまり、私自身それだけの必要性、ないと危険を感じるくらいの視覚認識状態ではあるのだろう。

私の視覚状態

さて、この記事では私の視覚認識がどのような状態なのかということを書いてみようかと思っていたので、そろそろ私自身の考察へ持って行きたい。

私も、ちらちらと聞かれるようになってきたことで、そして私自身、自身を観察し考察してみることで、だんだんと言語化できるようになってきた。
そして、本当はどうなのかという「現状」を説明するよりも、その目の前の人相手にどう説明したら「わかりやすいか(認識しやすいか)」という角度から、言語化できるようになってきた。

なので、表面的にどのような状態であるのか、を、綴ってみようと思う。

身体のメカニズム的には

ただ、念のためメカニズム的にも軽く説明しておくと(謎が多すぎて軽くしかできないのだが)、
まず私は、「眼球の障碍」ではなく、「認識(脳)」の問題のようである。

そもそも、この器(身体)自体、先天性重度の脳性小児麻痺として誕生している。大変な難産で時間がかかり過ぎ、その上、首に臍帯が巻き付き母子ともに危うい状態であった。しかし小さな医院で麻酔医が到着せず手術に踏み切ることができず、母体の膣を結局麻酔なしでハサミで切り開き、無理やり出したという。しかし、脳に酸素が行き渡らず、診断としては”恐らく”出産時低酸素症による脳性小児麻痺。小脳が完全に壊死した。
それだけでなく、生後1年近く、脳波が完全にゼロの状態であったそうだ(なんの刺激に対しても脳波がゼロということは前例がないと、当時慶応病院でも驚かれたらしいのだが…この辺りがどういうことなのかは、脳科学に深くないためよくわからない)。
そして、ずっと何にも反応しない状態が続き、首も坐らず、目が見える(=目の前のものに反応を示す)ようになったのも発語も通常の子供よりも随分遅かった。その後、地域の心身障碍者福祉センターでリハビリを続けたが(最終的には中学時まで)、小学校入学時にもやっと立って歩けるかどうかという状態であった。

これにより、表面的に表現しやすいところだけでは後年何が残ったかというと、運動失調、平衡機能障碍、体幹障害、反応が遅い、視野が狭い(らしい)、動体視力がない(私自身の感覚では、素早く動く物を見たり自分が動いて焦点が変わると視界自体が飛ぶという現象が起きていたのだが)、眼球震顫(少なくとも幼い頃は。眼球が不随意に常に動いていること)、アテトーゼ(これも幼い頃。しかし、今に至っても突然身体が不随意に動いたり、動きたい時に動きたい寝返りなどがうまくできなかったり妙な身体の違和感に阻まれたり、説明しがたい現象はある)、足の骨格異常(高校になっても、今もであるが、特定の靴しか履けず、しかもその中に足底板を入れていた)
…などだろうか。

言葉では説明しがたいものが非常に多く細かくあるが、大きな言語化しやすいところではこんなところだろうか。
これらを見る限り、私の勝手な感覚なのだが、小脳と視床下部は近いので、視床下部にも影響があったのではないか…まあ、そういう言い方をするならばダメージを受けたのが小脳だけということはあり得ないので、全体的に何らかの影響を被ってはいたのだろうが。

しかし実は、ご覧頂いてわかる通り、表面的には視覚状態はそこまで大きな問題として扱われていないのである。
が、その子供本人にとっては、口で説明できないような、それでいてもしかしたら「みんなそうなのかもしれない」と思って当たり前で生きてきた、しかしながら色々なことが他の子どもと同じようにうまくできないので(視覚以外の問題も複雑に絡んだ上で)、自分の内部で誤魔化したり工夫して表面的にだけこなすような術を身につけてきた…しかしその子の内部では蓄積し取り残されてきた、ものが、どうやら、あった。
これに自身で気付いてきたのも、実はやっとここ2~3年の話なのである。
しかも…誤魔化し方が、非常に特殊な方法にも手を出してしまっていた。解離を使っていたのだ。(これも後ほど説明に出てくることになる)

さて、身体的メカニズムからの説明はこんなところだろうか。
ちなみにこの子(この器の代々主人格たち)は、視力検査などにおいても、見る以前に左右を判別が非常に苦手で、更に認識と反応が遅かったため、答えられないうちに先に進んだり、答えようと必死になって左右逆に答えたり、自分が見えているか見えていないかすら判断できていない状態で「しかし早く答えねば」の条件反射で勘働きで答え続けていたり、要するにこの眼球の視力自体は、測ることができたとは思えない。

昔から行動・言動として把握できた問題

しかし、私(達)の自覚としては、ここからは視覚面に限って話すが、なかなか説明しがたい(当時は説明すべきものですらないと思い込んでいた)現象がたくさんあった。
以前にも実は、

・階段が怖い&体育の授業や人混みが怖い
と、いうより、「焦点が変動することで視界がぶっ飛ぶ」というものです。
ただ、当時は本人にも周りの人にもそんなことがわからないから、これが判明するわけもなかった。
記憶を辿る限り、学校の階段の昇り降りにおいて、文字の説明でわかるだろうか、階段を登るにせよ降りるにせよ、焦点(目で見ている位置)がどんどん移動していく。この焦点移動がうまくできず(できない、のだろう)、階段の昇り降りは、途中で視界がぶっ飛び何も見えていないような状態になってしまっていた。しかしだからといって、周囲に階段の昇り降りの途中で突然立ち止まってしばらく休んだりするような子供もいない。みんなそうなのだろう、と思い、視界がぶっ飛んでも気にせず昇降する技能を身につけていったわけだった。
これはどうやら、器の両親にも、「階段はみんながわーっと走っていくから怖い。だからみんなが移動するのを待って、最後にゆっくり手すりを使って行く」というような言い方で伝えてはいたらしい。そのため、器の家族もこれは知っていたが、運動失調によるものだと思っているようだ(実際それもあったのだろうが)。
ちなみに、高校の時は螺旋階段であったため、もう太刀打ちのしようがなかった。その代わり狭いので、一斉に走って昇り降りするようなことはないが、もはや最初から目を瞑って手すりと反対側の壁を手で伝っていた。

体育の授業や人混みも同じであった。
体育の授業、特に球技については、昔(他人格が)、別の方向性から書いた記事があるので、よろしければこちらもご参照いただきたい。

自分が動いて焦点が変わるだけでも視界がぶっ飛んでしばらく全盲状態に陥るのだから、自分も周りも高速で動きしかも高速の球を目で追わねばならない、これは土台無理な話だった。しかも発達が遅かったのか、長期休み明けの恒例のドッヂボールなど、更に周囲の子供たちの体格や力は格段に増しており、飛んでくる玉はこの子にとって弾丸そのものだった。しかも、周りの子の動きを避けているだけであっという間に視界が飛んでしまうので、コートの端の位置すらわからない。それでいて一番小さく弱く鈍いこの子を(恐らく基本的には)狙い撃ちしてくる。
面白い話だが、この頃に空気の流れと音と気配で動く物を察知するという能力をかなり鍛えたかもしれない、ともいえる。しかもこの時はコートの線がわからない上周りに子供がたくさんいるのでボールを避けるにしても横に動くことができず、上か下かに、当時の子供の感覚である、まさに命がけで逃げいていた。
そして、恐らく日常でもどこでもこういうことを繰り返すうちに、何かしら察知しては適応できるような術を身につけて行ったように思う。
走ってくる人物は目では認識できていないのであっという間に接触する。友人に、今見ている方向と別の方向から肩を叩かれ、そちらにぱっと振り向いただけで視界はぶっ飛んでいた。その内(恐らくどこを見ているのかだとかどうして首を傾げるのかなど随分言われながら、自覚にのぼらないところで周囲との違いを感じていったのだろうと思う)、「見えているふり」をする技術も、どうやら身につけて行った。

・とにかく反応が遅い
この器の家族が(子供がそんな生まれでは半分以上は当たり前なのだが)、元々かなりの心配性、過干渉と言われるような部類で、出かける時も常にくっついて歩くのが当たり前だったようだ。今も実家の人たちと動く時はそうである(これは今は寧ろ助かっている)。
この時に恐らく、気配をなるべく感じて歩くだとか、手引きされている時に手引き者の歩いている地面の状態や自分の歩いている環境を肌身で感じ取るというような(いわば盲学校に通っていればやっているであろうような)ことをも、潜在的に必死で吸収していたのかもしれない。
しかし、目の前のものに対する反応は非常に遅かった。
例えば中学の時、母親と歩きながら中学の先生が前から来て、すれ違い、母親は挨拶をしたがこの子(私達)は挨拶をせず通り過ぎてしまった、などということが度々あった。ちなみにこの時は、母親に「なぜ挨拶しなかったのか」という聞かれ方をするので、「挨拶しようと思ったら、通り過ぎてしまっていた」というような答え方をしていたようだ。しかし恐らく、母親とちらりと軽く挨拶を交わし合う先生の声(もしくは母親が挨拶をした雰囲気からこの人かな、というような判断)によって先生だと判断をでききるまで、恐らく目の前から歩いて来る人物を認識していなかった。
他、友人や家族に何か物を指さされても、わからないことが非常に度々あった。
これらは、家族には、とにかく「認識と反応が遅いのだこの子は」と思われていた。(認識に遅延があるのはその通りなのだが)
社会人になってからも、「これが、それが、あれが」などと指示語を使われながら数名で仕事内容の説明を受けている時など、自分だけ明らかに理解できていないことが多かった。

・羞明、夜盲、視野
これははっきりと視覚の問題であると言えるのだが、当時、特に羞明という言葉や現象は知られていなかった(今でもそうだろうか)。
家族も覚えているところでは、幼いころから、とにかく横断歩道の白い線を眩しがったという。
今から説明すれば、これも以下の記事などにも載せているのでよろしければ参照いただきたいのだが(一つは公開していないためこのURLからでしか見ることができない記事)、

https://note.com/preview/n747c0c403da9?prev_access_key=c7a0d6281e9da94c11879728b3870434

光が散乱している(要するに明るい)場所であると、見えているものが白く飛んでしまう。要するに、これは多くの人にも当てはまると思うが、とてつもなく眩しい場所に行くと景色が白っぽくなって見えないものが増える、とか、太陽光を直視した直後に周りを見ると、真っ白でしばらくほとんど何も見えなくなってしまうとか、そういう「目が眩んでいる」状態、この水準が他の人より低い、という方がわかりやすいと思う。

このため、私達は学生時代から、携帯電話やPCは白黒反転や輝度を落としたり、黒いメモ帳に白字で書くことができるペン(これがまた点字図書館くらいにしかないのだが)、触読時計などを使っていた。
ただし、今現在の私はこれよりも更に水準が下がっており周囲から見ると全く違うように見えるため、後程追記する。

夜盲は、暗い場所で見えなくなるという状態である。
一定以下に暗くなると、一気に周囲の状況が判別できなくなる。
しかし羞明と夜盲、両方があると(夜盲だけでもそうだろうか?)、暗いからと言って明るくすれば見えるかというと、これがまた違う。
例えば少し広い歩道を夜、歩いていて、コンビニエンスストアが端にあるとする。この光で道路は確かに照らされているのだが、この明暗の差が他の人に比べ非常に激しく感じられているようだ。一般的には、どうやらこれで道が照らされ車道の方まで見えやすくなるらしい。
が、店は先ず眩しいので見えない。そして店の周りも逆に白く飛んでしまい(これは夜の街灯の近くや車のライトも同じなのだが)、光が視界に縦横無尽に舞っているかのようになってしまう。更には、車道に行くにつれだんだんと光が弱まってくる。そうすると見えやすいかというと逆で、このだんだん暗くなり方が、一般の人より格段に一気に暗くなっていくように見えているようだ。
これは昼間の道路での照らされている道から木や建物の影に入った時、出た時や、店の中の配列棚の光やレストランの照明などでも同じで、とかく、この世の中には明るさが一定のところがない。我々にとっては。

ちなみに視野という点においては、この器自体どうやら他の人より視野が狭いと言われるが、これも上記すべてに繋がり、よくわからない。それに、何にしても、私達は昔から「物を見る」ためにはそこに集中して時間をかける必要があった。そのため、その物を見るために集中すれば周りで何かが動いても気付くことはできないわけであるから、視野の問題はあまり論じても意味がない…。

・そもそも視覚にあまり頼らない
そもそも自分自身の視覚情報を信用していた時期はなかった。
そのため周りの人にはわからない(目に見えない世界の)気配を感じたり聞いたりするようにもなったのかもしれないが。実際の人への気配恐怖などもあった。
そして、何をするにも、自分が見えているつもりであれそうでなかれ(つまりそれを自身で判断する以前に)、とにかくまず触って確認、認識する方が早かった。
その上、目で見ても(見ているつもりでも)それをなぜだか信じられない、という、言葉ではとてつもなく説明しにくい不思議な現象が常にあった。

解離との複合問題

私達は、上記までのような誤魔化し技術とともに、どうやら解離も使って、日常的に問題が発覚することを必死で避けていたということがわかってきた。
ちなみに解離自体は、かなり幼いころからあったということもわかってきている。更にはこれは恐らく生後1年ほどまで脳波がゼロで現実世界のものを認識していなかったからと推測しているのだが、戸籍の名前を名付けられた人格状態がいない。そして、そもそもこの器の記憶システムの確立自体かなり遅かったように感じる。

現実に、外界に、我々は適応しなければならなかった。
そのため、ここからは仮説ではあるが、どうやら、光に対する敏感さも解離していたのではないかと感じている。
羞明状態を解離していたのだ。だから、交代人格達の中には、ある程度視覚優位の者もいた(ただ今思えば、やはりかなりの部分本人無自覚のうちに誤魔化しており、あまり認識はできていなかったようだということもわかってきているが)。
そして、我々は多い時は120名を超えたが(判明した限りで)、代々主人格は、弱視・視野狭窄・羞明・夜盲が非常に多かった。羞明を解離して誤魔化して見えているフリをするにも、やはり限度があったのかもしれない。
そしてそのため、学生時代から拡大鏡や点字の使用も訓練し、慣れてきていた(但し拡大鏡は苦手である。なぜなら、拡大する分、動かさねばならず、そうすると視界が飛ぶというループが発生する)。

かなり話を端折るが、今は、解離自体はかなり統制できるようになっている(解離という現象自体は人間に備わっている当たり前の現象であるので、解離がなくなるという言い方はできない)。
そして、交代人格という概念はほぼ溶け去り、交代もない。
しかし、精神状態がひとつの大きな海のような状態になってきたら、視覚の角度からどんな変化が起こってくるか。
「羞明の解離」という無理を、しなくなってくるのである。そして、どうやら動くものだとかに対しても、無理をかけてある程度適応するようにしていたようだ。
もしかしたらこれまでかけてきた無理のツケもあるのかもわからないが。
とにかく、もはや一言で表現してしまえば、光に酷く不適応になっている。
外側から見れば、精神的にどんどん寛解しているはずなのに、同時にどんどん「視覚障碍」が出てくるように見えるのだから、非常に複雑でわからない話である。寧ろどんどん強烈な交代人格が出てきているのではないかと、解離がひどくなっているのではないかと疑われても仕方ない。
(ちなみに今の軸となっている私、個人の元々の交代人格時代は、状態的にいえば弱視であった。)


現在の具体的な状態

では、現在の状態は具体的に説明するとどうなのか。
記事の一番最初に書いた、クライアントさんに聞かれた時、どう答えたのか。

まず一言で答えるとするならば、扱いとしては
「ほぼ全盲に近いと思って接していただいた方が良い、いずれにせよ間違いがない」というところである。これには理由があるので追記する。

私(というより今現在、というべきか)の一番の特徴としては、光を直に眼痛、頭痛として感じる。
そして、動く物に拒否反応を起こす(これは幼い時の感覚に寧ろ戻ったに近いかもしれない)。
そのため、視力如何に拘わらず、日常の大半を閉眼状態で過ごす。閉眼でも眩しい。外出時はもちろん、室内でも光86%カットの遮光グラスを多用する。
そして、やはり無理をかけるとその分、一気に激しく体力的な消耗、体調不良に直結する。昔からそうなのだが、しかし今の私はそれにも増してとにかく早く身体の営業終了をする(早く寝る)。

多少、無理をかける(解離を使う)こともできる。
少々、羞明をどこかへ追いやって(ややこしいので今はこういう書き方をする)、事務作業をするなど。
そのため、元々の交代人格時代は寧ろ弱視でほとんど文字を扱う作業をすることはできなかった(しかし他の交代人格が解離していたのでその分負担は大きかったのだが)のだが、今現在は、非常に時間は限られるが、そして休憩を多く挟むが、無理のぎりぎりの境界を見計らいながら、私自身が事務作業を行うことが可能となっている。
その代わり、
・認識には時間と負荷がかかる
・視覚的な情報を後でほとんど覚えていない
・図や絵や遠近、日常においても、物の認識や空間把握はやはり困難
・PCにせよ携帯電話にせよ(携帯電話の扱いはどの道そもそも困難が伴うのだが)、輝度は周囲の人間が「暗い」と驚くほどに下げる(PCは100のうち10)。その上でも画面は眩しく、しかし画面の暗さで文字が同化してどの道読むことは困難なことが多いため、遮光グラスや拡大鏡、音声操作を併用することも多々ある。
・視覚認識を使うだけでかなりの集中力を要し、その分負荷もかかるため、オンラインセッションを行う際も音声のみ、もしくは遮光グラス着用の閉眼で了承いただいている。(因みにZOOMは音声操作で簡単な機能は扱うことができるようになった)
・SNSなどで動く画面を見たり、ランダムに現れる投稿を探したりすることはかなり困難(投稿することは大分できるようになってきた)。
・視覚認識を扱う時は、かなりの時間制限があるため、基本的に日常の決まった時間だけ、しかも午前中など早い時間に済ませる。要するに他の時間は全て視覚認識は閉ざされた生活(しかも大半閉眼状態)をする。
・疲労度は激しい。
というような条件、特徴が伴う。
それに、これは視覚やそれ以外にも「健常」と言われる使い方ができない人たちに共通であると思うが、その場で目の前のものを認識しさえすれば他何を犠牲にしても良いわけではなく、個々には当然その一日を生きる、生活する必要がある。そのためのバランスは常にはかっておく必要はあり、更にちなめば、このバランスを(私はだんだんととれるようになってきたが)うまくとれずに一気に体調不良に陥ったり逆に過集中となったり(私も未だにあるが)して後でツケがきてしまうような日常であると、精神障碍など二次的障碍にも繋がってきてしまう。
(それこそ視覚障碍の場合は、少し無理をすれば物を判別できることはあっても、それを続けることによって一気に失明のリスクが高まってしまうような事情を背負う場合もあるそうである。)
私も少し負荷をかけて結果一日の大半頭痛と眼痛で結局寝ていることとなったり、次の日などにまで影響が残ったりするようなこともあるので、普段からバランスは身て負担はかけないようにしておく必要がある。

そのため、ごく限られた時間、事務作業をしている以外は、ほぼ全盲(光覚)の状態として認識して接していただくことをお願いすることになるのである。
(ちなみに事務作業をしている間も、結局、よほど集中している対象以外の認識力がほとんどなく、例えば作業中横から話しかけられたり何かを渡されたとして視線はそちらに例えゆっくり向けたとしても、先に手と耳で探ることになるので、外側から見れば弱視や視野狭窄の認識が一番近くなる)


どうでも良い個人的感想だが、ここまで言語化することができたのは、初めてであろうと思う。
そして恐らく、これ以上言語化できることはほとんどないのではないだろうか。

他、障碍理解の側面や、私自身の状態に関して、こちらにも記事をまとめているので、ご興味をお持ち下さる方は、ぜひ。

また、その人の特性がどうあれ理由がどうあれ、
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