金銭的な土台を固める「仕事」と、人生の中で与えられた「仕事」

確かに、私(セラピスト)にとっては、「仕事」ではあるかもしれない。

しかし、クライアントにとっては、それは自分自身の人生自体に深く深く食い込むものであって、クライアントが楽になること、症状がとれること、人生の呪縛を解き放ち本当に自分の人生を心地良く謳歌すること、自分自身の在るがまま、本当に自分の価値、自分の能力が対等に世の中に発動し発現していくことは、クライアントにとっては、クライアント本人にとってこそ「人生を賭けた大仕事」なのだ。

それに、セラピストが”セラピスト生命”を賭して寄り添うのは、当然のことだと思う。

逆に、それがなければ、クライアントは、自分の人生を受け入れ自分を内側から解き放って行くこと自体、結局しない方を選ぶであろうと思う。

自分を解き放って良いのだと自分に許可できるだけの愛情を、自分の殻を破って新しい世界に出ても放り出されない、寄り添ってくれる安全基地があるのだという、その自信と安心感を、(それを自分自身の中から確かに見つけ掘り出し育てることを、)クライアントは必要としているのである。



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私は、時に、やはり大分無理が利かなくなってきているところがある。と、最近殊に感じる。
交代人格時代と比べて、という意味であるから、交代人格時代はそれこそ解離現象で他の交代人格部分にツケを回していたり、器にそれこそ負荷を大きくかけながらもそれに気付かないということになっていたわけであるから、無理が利かなくなってきている、というよりは、それをちゃんと自覚できるようになってきている、本来あるべき形におさまってきている、というべきなのであろう。
私のセッションは長いものが多いが、それこそどんなに少なくとも現段階、一日に何人もはこなせない。
一気集中はできても、その後、器の営業時刻ははっきり定まっており、しっかりと睡眠時間を確保する。その前に本日は切り上げた方が良いと判断し、布団に倒れ込むこともしばしばある。
算段、というのか、少々顕在意識で驕り高ぶり無理をかけると、翌日、激しくツケが来ることをここ最近特に痛感する。
”私”がこんなことを言うようになった、それ自体すら己で信じがたいが(交代人格時代の私はそれこそ内部一、心身共に強靭で知られ器の解離まで操作してものともせず負荷をかけることができた1人であった)、しかしながら、視覚状態を何とか使えるようにして事務作業をするにも午前中にまとめるし、セッションも例え音声のみで閉眼状態で行っていたとしても、PC画面の前で長時間行うこと自体なかなかきつくなってきた。
本当にこれは調子によって、時としてだが、本当に長くなったカウンセリングセッションでは、マイクスピーカーの前で少し体位を変えて、首を支えて上を向いたり少々横になりながらカウンセリングを続行させてもらうこともある。
いや、横になるようなことはまず滅多にないが、しかし実は先日、カウンセリングにおいて、予定外にかなりの長時間セッションとなった。
私は実はその前日と当日の朝、妙なパニックのようなものに近い発作を起こしていた。それらも重なり、午前中からして目を使うことが困難であった上、セッションはカウンセリング、しかも音声通話によるものであったから閉眼のまま行ったが、それでもPC画面から来る光など、眼痛、頭痛が酷く激しく起こり、予定外に長時間も要した中で、カウンセリングをより安全に着実に行うために、短時間、マイクスピーカーをPC画面から離し、少し首をもたれさせて支え横になるような体制で行った。

しかし、これが「無理」をしているかというと、全く別次元としか言いようがないのだ。
そもそも、前述したように私は(この器は、というべきかもしれないが)「無理が利かなく」なってきた。
つまり、無理であればできないのだ。

それこそ、クライアントは文字通り”人生を賭した””大仕事”に立ち向かっている。
それに寄り添い、共有させていただき、共に在ること、クライアントがその大仕事に少しでもかかりやすく、道筋を感じやすくすること、
これは、光栄なことでしかない。としか、現段階の私の拙い語彙と表現力では、言いようがない。
もちろん、セラピストが使う熱量は、クライアントの自分自身のセラピーに対する熱量とイコールである。常にイコールに持って行かねば、シーソーのようにどちらかが高くどちらかが低かったりすればセラピーはうまくいかない。
だが、クライアントがそれこそ”命がけの大仕事”に向き合おうとしている時、自分の”人生”を本当に形作ろうと、この世界や自分自身を本当に本当の意味で感じよう(私はセラピーの中でしばしば「”本当に”この世界に生まれる」「全身麻痺から脱皮して世界を感じる」というような言い方をする時があるが)としている時、そこに立ち会っている、それ自体が、ただ、「あるがまま」そして、光栄なこと、としか、表現のしようがない。

そして、無理をしたり己を犠牲にしているどころか(これは時々”フィルターを持った”クライアントさんに言われることであるが)、それであってこそ、私のセラピストとしての持ち得るものを、本当の意味でクライアントさんが余すことなく使ってくれる、受け取って本人自身の力を内側から呼び覚まさせていると感じる。
「存在」そのものが、セラピーとしてクライアントさんに作用している、利用していただいている、とでも言おうか。

そしてそれは、無理でも犠牲でもなく、まるで逆で、クライアントさんの希望と繋がり、それこそが「あるがまま」であり、「生きていること・生かされていること・発揮されていること」そのものであり………なんというのだろうか。


ミルトン・エリクソンではないが(いや、こんな方面で彼の名を出すことはあまりに烏滸がましいしあまりにほど遠いが)、しかしセラピストのセラピーというのはセラピスト自身が外側から身につける技法より何より、セラピストの「生き様」こそが、まさにセラピーとして、その器を通して現わされるのだと、感じる。
天才心理療法家でも魔術師でもなんでもなく、ただ、その生の「在り方」が、見事に余すことなく全てがセラピーとして現れていたのだ。
ごく僅かながら、この巨匠と重なるような生い立ちを背負ったからこそ、彼と似たような性質、理念、方向性を持つようになり、そうしてその手法と似たような系統の手法を幼い頃からいつの間にか編み出し使うようになっていったのかもしれないと、感じている。
同時に彼は、その上で、表に現わされてきていたものを更に徹底的に計算し尽くされた理論と手法、確固としたものとして”身につけ”、その上あくなき探究心で外側からも学び続け組み込み織り上げ巧みに使いこなしてまでもいたわけだが。

エリクソン催眠に関係する記事が最近多いが、念のため、私は全く、エリクソン研究家ではない。
寧ろ、エリクソン催眠を本当に知ることができたのは、本当にここ最近である。
それまでは、催眠と言うものに初めて出会った10年弱前から、師に私の苦しんで来たこと(私自身が行ってきた人間関係で起こっていたことと、他者や養育者や大人たちから異端・異常扱いされていたもの)を打ち明け、「ああ、それはエリクソン催眠と同じことをやってしまっていたんだね」と言われ、それからも、上級講座中の上級内容であるエリクソン催眠は学ぶ機会が一切なかった。
せめて自分のそれを裏付けてコントロールするために、エリクソン催眠を僅か学ぼうと調べたこと自体はあったが、その頃は若年でもあり、更に誰にも教えてもらえない状態で日本語翻訳された専門書をいきなり読んでもまるで理解できるものではなく(読解力やハングリー精神の不足の問題もあったかもしれないが…)、そのまま、師の催眠や心理療法は習ったが、エリクソン催眠自体には次第に興味はあれど遠ざかっていた。と同時に師はエリクソン催眠をかなり組み込んだやり方でセラピーやセミナーを行っておられたので、この師からは随分体で体に伝えられた…つまり今までコントロールできずに自らから発現してしまっていたそれを、更に受け継いでしまったような気はしないでもないのだが。
しかしその師からも離れざるを得なくなり、悩みが悩みのまま、しかも私の場合エリクソンと決定的に違ったのは、その私の持ち得るものを、不安や生きづらさの楔、生きてはならないと自分で解釈し思い込むほどのプログラムとしてしまっていた。
これがエリクソン催眠を本当に学ぶ機会が満を持して訪れ、それと共に解けていったのは、本当にここ最近の話であった。
エリクソン催眠、私は、私の日常会話でまで行ってきてしまったことやセラピーの中で縦横無尽にあまりに多岐にわたる手法をとってしまう、顕在意識の声と潜在意識の声を聞き分ける訓練だけは己でやってきたがそれでも潜在意識(クライアントの内なる医師の声)の指示に従ってしまう(それ自体はセラピストに必要なことであるはずであったのだが)、これを何とかして裏付けるため、そのためにしか興味がなかった。
そもそもエリクソン催眠自体が、「エリクソンが行っていた手法」という意味以外の何物でもなく別に「エリクソン催眠」というものがあるわけではないので、エリクソンの行っていたことと私の行っている物は別物であることはわかっている。生き様そのものから体現されているものであるから、エリクソンの手法は彼の手法でしかない。ただ、己の手法に後ろ盾もスーパーバイズを頂くことのできる環境もなかった(彼自身ももっとそうだったはずなのだが…そこは本当に底抜けの尊敬でしかない)。そのため、少しでも裏付けるものが欲しかった(ここまで類似点があり次々裏付けられるとも思っていなかったが)。

これが、今ここに至って、なぜだか全く興味も持っていない実家から、図書館で何冊もエリクソン関係の書物を見せられ、その内数冊を持って帰ることになり、同じく実家から、英語のエリクソン関係の文献のPDFを3,4冊もいただくこととなろうとは。

そして、それをとりあえず折角だからと開いてみて、非常に遅い文字の認識の仕方で僅かに読み始めてみた(実は完全に最初のページから開いたわけではなかった)ら、突如その目に入ってきた文章によって、更に人生が救われることになるとは。

エリクソンの生きざまは、物分かりの悪い私に生きる許可を与えてくれた(私が私に存在する許可を与えることを与えてくれた)、そんな存在かもしれないと、ふと、気付いた。
そして、独りというものが、あまりに怖かったのだと、今になって、良くも悪くも気付いてしまった私に、「まあ、もし私から何か得られるものがあるなら、役立つものでもあるのなら、とっていきなさい」と、声をかけて頂けているような、そんな気がした。

一億分の一にも一兆分の一にも及ぶものではない。
しかし、せめて、ミルトンと同じように、全身全霊の細胞において、生きることの喜びをひたすら感じていよう。いや、感じている存在が、ここに、在る、ということに気付く、ということ。
いつの間にか、今ここに、在る、ということ。
「生きる(生かされる)」「活きる(活かされる)」というのは、呼吸をすることでも仕事をすることでもなんでもなく、ただただ、これだけなのである。
そして、たった一筋の光であるこれが「在る」(気付いた)時、既にいつの間にか、他の全てが完全についてきて全てが発揮され全てが目の前に広がっているのである。

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