酒と煙草と、催眠。意外な関係性

最近、面白い話を聞いた。

催眠療法を始めた方が、複数名、催眠と出会ってから酒や煙草をやらなくなった、めっきり減ったという。

こういう話自体は実は珍しい話ではなく、私自身も何度か聞いたことはあったのだが、実は私自身が全く酒煙草に縁がなかったため、そもそも「飲む・吸う」ということに理解ができなかったため、そんな話を聞いたところで当たり前のような気しかしていなかった。

私は元々煙草は全く縁がない。
…と言いながら、実を言えば学生時代、交代人格にひとりだけ、煙草をやっていた者はいたのだが、表に出る頻度も少なかったし、まあ縁がないと言って良い。
煙草の成分ではなく、ビタミンやら果物の香りのついた蒸気を吸うことのできる、電子タバコの類なのだろうか?そんなものがある。何かで手に入れ、家にあるという理由と香りに嗜好があるため、紅茶の香りを楽しむ感覚とほぼ同じ感覚において、ほんのときたま、楽しむことがある。

酒に関しても、ほとんど縁がなかった。
器の家族は昔ワインをたしなんでいたくらいで、この器が成長してからは一切やらなかったし、音楽大学時代、打ち上げでは飲み会だったが、そもそも夜出歩くことをしにくい環境でもあったしすすんでもしなかったので、打ち上げ自体半分以上行かなかった。たまに行っても、酒はやらず…しかも人の大騒ぎの中に入ることは好まなかったため、店内の端っこの方で、同じく酒を飲まない仲間と(ヴァイオリン科と声楽科に酒を飲まず騒がないという男性の仲間が1人ずついた。いつも一緒とは限らなかったが、大抵どちらかと)共にまったりしていた。

しかも、更に解離的事情を言えば、酒が入ると、解離しやすくなる。
実は、そんな意味においては、逆に自虐的意味で酒を入れていた交代人格たちはいた。だが、それは自傷行為自虐行為と同じような位置づけのものだった。
更に、私が最初交代人格として潜在意識の奥深くから確立してからは(今から3年程前)、私が一切アルコールを受け付けなかった。
ノンアルコールで0.01%以下などと記載のものであっても、交代人格が試して暫く後に表に出ると、まるで四方八方から押さえつけられたかのような息苦しさと苦痛で、その上、思考回路がおかしくなり、まさに自傷行為自虐行為をされたような感覚だった。
酒を飲んだ他人(外部の別個体)と話しても、アルコールが入っていることはすぐわかり、苦痛を感じた。
酒を飲む人たちは、酒を飲んで潜在意識が解放されると思っている人がいるが、少なくとも私の感覚では、潜在意識は閉じ込められるのだ。そして、自分もそうであるし飲んでいる他者と接しても、潜在意識が押さえつけられて閉じ込められようとしているように感じる。確かに、前意識(意識下、自覚をしていないだけで顕在意識には限りなく近い、図で表現してしまえば非常に浅い部分)は本人(顕在意識)は解放された”気に”なるので、自分の知らない自分やら自分の奥底が解放されたように感じるのかもわからないが…。
同時に、解離者はアルコールを入れると解離が起こりやすくなる、というのは、これをある意味裏付けていると思う。
解離をするというのは潜在意識が”解放されている”と言えなくはないが、これは”解放”ではなく、”解離”の意味であり、寧ろ狭められ小部屋にわけられた各小部屋のコントロールが利かなくなり、濃淡バランスとしては、海の水面に近いほうだけ嵐になっているような感じで、深層部とは寧ろ切り分けられたような感覚になるのである。
(言葉で表現することができる次元の話ではないので、私の感覚の表現も語弊があるのだが)

まあとにかく、そのため、私にとってアルコールは昔も今も自虐の道具でしかない。
しかし、私達もそれなりに大人にはなってきて、というよりシェアハウスなどにも出て、飲む人の話など聞くようにもなったからだろうか、飲む人の感覚というものは(つまり人によっては、アルコール=必ずしも自虐・拷問道具ではないらしいということが)わかってきた。

そのような方面からも世界が見えるようになってきてから、改めて、催眠と出会ってから酒煙草をやらなくなった、という人の話を聞くと、面白いと思う。
同時に、私は非常に同感である。
潜在意識と顕在意識の疎通を良くするのに、アルコールは邪魔にしかならない(寧ろ潜在意識への虐待とすら)と肌身で感じているから。

こんな言葉の使い方をするとまるで「顕在意識」というものと「潜在意識」というものが実態として身体の中にあるかのように、下手をすれば顕在意識と潜在意識の人格が違うかのようにイメージされてしまうかもしれないが、逆に(当然ながら)そうではないからこそ、これは自明なのだ。
顕在意識と潜在意識は本来一体である。トランス状態というのは顕在意識が眠って潜在意識が裏から出てくる…大げさな言い方をすればまるで人格交代かのようなイメージを持っている人が多いが(顕在意識と潜在意識を楕円の図で教えられそのイメージが植え付けられてしまうため、催眠療法士でさえも)、トランス状態とは、顕在意識も潜在意識も双方ともが(というより一体だからなのだが)、日常よりも鮮明・明晰に高まる状態である。
そのため、アルコールで無理やり麻酔をかけられたかのように(顕在)意識がぼやかされてしまう状態であったり、故意に「変性意識状態」にさせられてしまうことは、催眠状態とは違うものであるし、潜在意識と顕在意識の水門を開くこととは、また別のことが起きるわけである。


ところで、催眠と出会ってから酒と煙草をやらなくなった、という話を聞いてから、その次の日、隣室の住人から「昨日仕事から帰ってきて、洗濯をすっかり忘れて飲みに行っちゃって」という話を聞いた(私が朝洗濯をしようと思ったら洗濯機の中に大量に衣類が入っており、一時別の場所に中身を移して洗濯機を回したため、それに関する謝罪で声をかけてくれたのだった)。

この人、とてつもなく忙しくて、去年までは会社にこき使われて心身を完全に壊してしまい、その仕事から逃れて今年からアルバイトを新しく始めたが、やはり休日もなく働き通しという人で、せめて眠ることができる時には眠ればいいのにその折角の時間を夜通し飲みに使ってしまったりする人であった。
その名残もあるのだろうが、しかし、最近は飲みに行ったという言葉の声質が何やら去年までと比べると断然明るい。つまり、名残はあるだろうが、しかしながら本人の中では気晴らし、憂さ晴らし、羽目外しになっているのだろう。

だから、こういう人は(依存まで行っていない人を仮定して)、どうして飲むのだろう、と、目的を考えてみる。
・日常の緊張している意識(&緊張とリラックスをうまく使い分けられなくなっている状態)を、酒の力を使って筋肉を弛緩させ顕在意識をぼやけさせリラックスした気になる
・仕事三昧の日々で気晴らしに出かけることも旅行することもできない、だから短時間でできる「飲む」ということで気分転換した気になったり一時忘れたりする(逆にその後で眠ってしまったり後遺症が残ったりして尚更時間をとっていることが多いが、本人それには気付かない傾向があるようだ。もちろんそうならないよううまく使っている人たちもいる)
・普段出せない(出してはならない)と思い込んでいる自分を出してしまいたい。これは解離者がアルコールを入れると交代人格が交代またはポップアップしやすくなるというのも似たような理屈かもわからない

そんなところではないだろうか。

ちなみにここで、しばらく忘れていた煙草のことも書いておくと、
・煙草の成分で快楽や気分転換を感じた気になる
・煙草を吸うという短時間でできる行為によって、そして成分によって、疲労回復や気分転換や憂さ晴らしをしたような「気分」になる
・煙草に依存することで、煙草に居場所、安心感や安全基地を求め、一時的に煙草に守ってもらえているような(もしくは恋愛をしたり拠り所を得ているような)気になる

こんなところではないだろうか。私達自身は煙草に全く縁がないが、ヘビースモーカーとはだいぶ関わったことがあり、完全にこれは共通していたように私は感じる。
そして、それならば、酒の目的とほぼ同じでもあるといえる。

こう見れば、催眠と出会ったら酒も煙草も卒業することは、自明であることに気付く。

〇催眠療法を継続的に受けるだけにしても催眠療法を学び身につけるにしても、催眠誘導によって催眠状態に行き来する経験を重ね深めれば、まずは「顕在意識と潜在意識の疎通ができるようになっていく/交感神経と副交感神経の働きが正常に戻っていくので緊張と弛緩がちゃんと自然かつ流動的に使い分けられるようになる/つまり頭も心も筋肉もリラックスできる、そして必要な時に必要なだけの緊張と集中を発揮し能率も良くなる」

そして、
〇催眠誘導を体験するということは、
「短時間で深いリラックス状態を体験し、疲労回復・リフレッシュ・気分転換、場合によっては本当に小旅行か温泉にでも行ってきたくらいの感覚を味わうことができる/更にはネガティヴなものを全て外に流し去って戻ってくることができるため、やる気・活気に溢れエネルギー充填して帰ってくることもできる」
しかも…多くの場合(催眠を使ったよほど深いセラピーでない限り、リフレッシュ用の催眠である限りは)酒を飲むより、圧倒的短時間である。
いや、…深いセラピーであったとしても1回4時間程度であるので、やはり酒を飲むより短時間かもしれない…

〇既に書いたが、催眠誘導によって顕在意識と潜在意識の疎通を円滑にして行けば、一体感を取り戻し「自己一致」してくる。つまりは、今まで「解離」によって自己の中で認めずにフタをしたり壁を作って切り分けていたパーツたちが、どんどん統合されてひとつとなり一体化していくわけなので、(そしてここで解離者として特に言いたいのは、これは「ひとつにまとまる」ということではなく、いわば「全てが出ている」)なだらかに全てのパーツを自分である、あるがままで良いのだと悟った状態になるため、わざわざパーツを切り分けたり出したり交代させたりする必要すらなくなってしまうのだ。

〇催眠誘導によって催眠状態を体験し、誘導体験やセラピーの体験を重ねると、自分自身と本当に繋がり、自分自身の宇宙を知るので、そして本当の、真の愛着形成に繋がる。安全基地、安心、安全であることを知る。居場所も拠り所も、「今ここ」なのだということに気付いている状態になるため、何物にも何事にも依存する必要がなくなるわけだ。


要するにここまで来て敢えて単純な言い方をしてしまうと、
酒・たばこよりも催眠は断然便利なツールなのである。

私であれば、そんなことをしている暇があれば即刻眠るか自己催眠を深めると思っていたが、そういう意味ではある種、目的は重なっていたわけだ。

その上で、酒や煙草は心身を傷め歪ませるが、催眠は寧ろ心と身体と頭を繋ぎ自己回復力を高め歪みを戻していく。つまり自身を健康にしていく。

酒煙草は、喧騒の中で耳や目を傷めながら、しかし見聞きしているのはヒトのがなり声や居酒屋の汚く狭い空間、もしくは独り寂しい景色である。
催眠は、どこにでも行くことができる。どこまでも深い潜在意識のエネルギーに繋ぎ、エネルギーそのものになり、自己にすら想像を超え驚くような美しい景色、しかも五感すべてを使って体感し、そしてどこまでも広い空間を感じることができる。それでいて、五感は回復し、戻ってくれば更に鮮明にアップデートされる。

酒煙草は、時間や金が永続的にかかり、しかも依存すればするだけ増えていく。
催眠は、上記したように1回のセッションは酒を飲むより短くて済む。
確かにセラピーのために定期セッションを受けたり学んだりしたら当たり前ながら時間や金はかかるが、どちらも卒業したら金銭的にはかからなくなる。どころか、それだけしっかり学んだ場合は、仕事にして財産を増やすことにも繋げることができる。

酒煙草をやる人は、金がないから、時間がないから(酒煙草に費やす時間は実は自分で作っているからあるのだが)、どんどん底をついていくからとのめり込んで、それでいながらどんどん時間もお金も注ぎ込む量が多くなっていくという人が多いが、催眠は学べば学ぶほどその財産(技術も人間性や人間力も)を活かして仕事に活かせば財産を増やすことに繋げることができるし、そもそも催眠自体、時間のコントロールがうまくなっていくので自分の人生の時間をどんどん切り回せるようになり寧ろ時間は増えていく。

しかも、リソースは自分自身の中のものなので、何一つ消費するものはない。(新陳代謝は良くなるし腹が減ったり喉がかわいたりはするので、自然治癒的な消費はあるが)

酒煙草はゴミは生産するが何一つ生産的なものはない。
寧ろ自己も周囲も環境も含め、全てを破壊していく。
催眠は、これの体験を重ねるだけでも自己向上、心身人生を向上させ、人間関係や社会生活も円滑にし、自分がどんどん整っていき可能性がどんどん拓き、周りにも派生していく。何より、自分自身の中にとんでもない勢いで財産が貯まっていく。


脱したい人、切り替えたい人、酒煙草以外の方法もあったらと少しでも思っている人は、ぜひとも試してみては如何だろうか。

受けてみたい方も、自分で自己催眠をしたい方も、とりあえず入り口を知ってみたい方も、本格的に学んでみたい方も、ご興味をもたれた方は、ぜひ一度、お気軽にお声がけください。
お問い合わせフォームから送って頂くと私に直接繋がります。ぜひ、この記事に興味を持ちここまでお読み下さったあなたのお話、聞かせてください。


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