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第4話:深く濁った藍の記憶──卵の殻が乗った卵かけご飯

特に何も特別なことのない日でも緊張で早朝から目が覚める。目が覚めると、また始まる一日に対する不安に胸が締め付けられる。寝に戻ることができなくて、暗いうちから目が開いて、手足は冷えているのに體の内側は熱い。時には乾咳が止まらない。そんな一日の始まり。
小学校に上がった私は、ひとりでは登校できなくて近所の二つ上のなみえちゃんに連れられていく。必ず家を出て3分で、泣きながら足を止めるわたし。なみえちゃんは「どうしたの?」と聞く。「教科書忘れたかもしれない。」
「何の教科書?」と聞いてくれるのだけど、何の教科書なのかもテンパっていて分からない。パニクって家に戻る。家の玄関でもう一度時間割を確認して必要なものが全て入っているのかランドセルをひっくり返して見る。全部入っていると確認してから、走って一人で学校に行く。息が切れて咳が止まらなくなる。そんな毎日が続くのだ。ちなみに、前の晩に忘れ物がないかどうか十回は確認しているにも関わらず、こんなことをしていた。小学校1年生。六歳の子がこんな状態で、何故、母親はそんな私がただの「泣き虫」とか「神経質」で済ませることが出来たのか不思議でならない。どこからどうみても不安神経症とか何かの強迫障害としか思えないだろう。
かちこちに固まったまま、学校では一言も喋らなかった。給食も食べられなかった。食器の音と、話し声と、食べ物の臭いが混じって、その「慣れない」環境に存在しているだけで精一杯で、吐き気に耐えることに必死だった。
新しいクレヨン。新しい文房具。最新のサンリオからのキャラクターで揃えたし、学校は楽しみだったような気もしたけど、不安が全てを打ち消した。授業の内容は耳に入ってこない。何を言われてるのか分からない。何をしなくてはいけないのか分からない。周りをみて、皆がしていることを真似するのみ。そんな中、担任の若い男の先生が家庭訪問に来た記憶がある。とても困った様子だった。喋らない、食べない、勉強できない。そんな私の扱いがよく分からない新卒の先生。ただその先生の表情を覚えている。カルロス・トシキみたいな顔の先生だった。カルロス・トシキを知ったのはそれよりずっと後だけど。
いつも胸が押し潰されそうな不安を爆弾のように抱えていて、それが発作的に酷くなることがあった。特に夕方と朝。でも、ある朝その不安は最高潮に達していた。胸騒ぎの原子力発電所版のような激しさだった。所謂、胸騒ぎというやつだと後で知る。涙を流しながら、その日も登校した。何日間も調子が悪くて寝ていた母が「学校に用事があるから行かなくちゃ。」と言っていた。水曜日だった。水曜日は黄色い日。もうすぐ七夕だ。梅雨がまだ明けず、とてもムシムシして暑かった。きれいに整備された新興住宅地の間の並木道の間の光が朝から暑くて、結んだ髪の毛は首にぺったりと着いて気持ち悪かった。水曜日はピアノのレッスンがある日だった。学校に行くよりはずっとよかった。音楽がとても好きだったから。それを少し楽しみにして、一日をやり過ごしたけど、いつもは少し気持ちの軽い帰り道もその日は鉄板を背負っているようだった。
ピンポーン。家にいるはずの母は出なかった。具合が悪い日はベッドから出てこないからそれ自体は不思議ではなかった。ランドセルにゴムで結びつけてある鍵を使って玄関を開ける。母の気配がなかった。テーブルには、ひらがなだけで、メモ書きが残されていた。

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