「あたらしい船(物語)」③

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昨年に書いた作品なのですが、部屋に置いていても誰にも読んでもらえない為noteにしました。書いていた頃と今では考え方はだいぶ違う箇所があったりしますが、それを今の感性で変えてしまうと、また別の作品になってしまう気がしたので、日本語があんまりにおかしい箇所だけ手直ししました。

びしばしアドバイス、感想、頂けるととても嬉しいです。


「あたらしい船」①へは→https://note.com/cosm0s/n/n9ab39431ec25

「あたらしい船」②へは→https://note.com/cosm0s/n/n91001061afc9


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 近いようで遠く、遠いようで近い場所の話になるとその人の育ちが明るみになるもので、私にとって海はまさに近いようで遠く、遠いようで近い場所だった。それは実際的な意味でもあったし、抽象的な意味でもあった。

 わたしは車の免許は持っていないが、船舶免許は持っている。それは間違いなく、父の影響だった。それを否定するつもりはない。

 父は船が好きな人だった。洗車は滅多にしないのに、船を磨くためだけに毎週末二時間かけて港まで車を走らせた。ほんとうに幼い頃はわたしや妹もそれについて行き、昼前に港に着くと父が操縦する船で沖へ出ては、小さな船の上でコンビニの弁当を食べた。午後には父と妹と三人で釣りをし、ひとりで読書をする母は時々飛んでくる飛沫に眉を顰めた。

 その頃はまだ良かった。それでもやはり、その頃から特に父はわたしと妹に対する態度や関心が明らかに違った。それは周囲にもわかるほどで、父がわたしに微笑まないのを、周囲は口を揃えて

「最初の子だから、慎重になりすぎるのよね」

と微笑んだ。母もそう言ったし、妹は父がわたしに素っ気なくするのが戸惑うほどの愛情ゆえだと大人たちに言い聞かされたせいで、わたしを妬んだ。

 「おっとっとっとっと」

釣りをする時、いつでも父は妹を手伝った。びくともしない妹の竿を時々わざと震わせては、妹がこれまた素直に

「かかった?かかった?」

と甲高い声で言うのである。父はそれに機嫌を良くして、

「おっきなデンキナマズだ。ほら。美味しそうな子供がいるぞ、とこっちを見てる」

大げさにそんな事を言っては妹を怖がらせた。

 わたしはそんなやり取りを、一、二メートル離れた位置から見ていた。わたしの竿にはよく魚が掛かったが、最後には全てなにも言わずに父が海へ返してしまった。「よくこんなに釣れたな」「ひとりでよく頑張ったな」、そんな言葉は一度だって掛けられた覚えはない。

 悪い記憶は残りやすいと言うが、わたしの場合、あまりに悪い記憶は全て濃霧と化し、数少ない美しい記憶はあまりに質素に、ありもしない感慨を夢の様に招くのだった。

〜〜〜

 「綺麗な海が見たい」

モリーが言った。わたし達はモリーの家から徒歩十分ほどの場所にある居酒屋に、隣り合って座っていた。その居酒屋の造りは少し変わっていて、適度な広さの店内に四人がけのテーブル席が四つほど店の中央にある他に、キッチンに面したカウンターと、階段下の壁に面したカウンターが一辺ずつあった。そこまで混雑しているわけではなかったが、夜八時頃に入店した私達は壁に面したカウンターに案内され、わたしはモリーの右に座った。

「なに色の海が好き?」

わたしが聞くと、モリーは「色?」と鼻で笑った後、

「澄んだブルーサファイアみたいな色の海かな」

とどうでも良さそうに言った。

「ふぅん、どうしてよ」

わたしが聞くと、

「どうしてって言われましても。きれいじゃん。ブルーサファイアの海」

「まぁ。そりゃね」

でもブルーサファイアの海なんて、今のわたしにはちっとも面白くない。わたしは壁に貼り付けられた日本酒のメニューへ視線をやると、そのうちの一枚を指さした。

「ねぇ八海山」

わたしが言うとモリーは手を挙げ、店員に「ハッカイサン、グラスで」と言った。

 壁にはほかにも幾十枚もの日本酒のラベルが貼り付けられており、それがそのままメニューになっているようだった。日本酒の銘柄を表す、その太かったりしなやかだったりする独特の筆の入りを、わたしは端から端まで舐めるように見た後、モリーの肩を小突いた。

「ねぇそう言えばモリーの字ってどんなの」

モリーはセブンスターに火をつけながら、壁へ視線をやり目を細めた。

「あぁあれだな」

そう言って「梵」の丸っこく、大胆なようで形の整った一枚を指差し、わたしはモリーが領収書に「森敦彦」と肘を張ってペンを握り、殴るように書く姿を想像した。

 ブ、ブ、カウンターの壁に沿って裏返しに置かれたモリーのスマートフォンが振動する。モリーはすぐさまそれに手を伸ばすと、髭の生えた口元を僅かに緩めた。わたしはそれを横目で見ると、運ばれてきた八海山のグラスに口をつけ、舌の上で少し転がした後で飲み込んだ。

 夜、モリーの部屋へ入ると、出かける前からカーテンは締め切っていた様子で、電気をつけると外界を遮断した乳白色のカーテンがやけに分厚く見えた。八畳ほどの広くはないが一人暮らしには程よい広さの部屋だった。ガラス張りのローテーブルを挟んで、壁沿いにはテレビとベッドが置いてあり、テーブルの足元には無造作に醤油やみりんのボトルが置いてあった。

 ベッドに腰を下ろしてテレビの電源を入れる。モリーは冷蔵庫からチューハイの缶を一本持ってくると、プルタブを引きながらわたしの隣に腰を下ろし、一口飲むとその缶をわたしに寄越した。

「部屋くさい?」

モリーに言われ鼻を動かすも、そもそもアルコールが回ってしまって五感じゃ飽き足らず六感まで鈍っている。

「くさくないと思うけど」

そう言うとモリーは、ポケットからスマートフォンを取り出し、すばやく指を動かした。

 わたしはそんなモリーを横目に、首からさげたロケットをこっそりと外した。モリーがトイレに立ったすきにそれを鞄にしまう。鞄にしまう前、そっと中身を確認する。まさか写真が逃げるなどとは思っていないが、そうせずにはいられない。ロケットに収められているのは、九歳の少女だ。その少女の必死に取り繕った左の笑窪は、鏡のわたしによく似ている。

 薄い唇を攣りそうなほどに引き伸ばしていた。着ているのは、当時気に入っていた「87」と数字の入った赤いトレーナーで、みつあみに憧れて髪を伸ばしている最中だった。そんな事は、よく覚えている。

 ほんとうは人の家で目覚めるのは嫌いなのだ。ただでさえ起きるのは嫌いなのに、目覚めた場所がわたしの事をよく知らない男の家となると、尚更虚しい。なんのために目覚めているのかと疑ってしまう。

 それならば、やめれば良いのに。

 わたしはモリーを拒まず、またいい加減に布団を濡らして、床に散乱する空き缶を喘ぎながら蹴散らして、モリーに指をさされるまま、そこへ舌を這わせて気がつけば眠っている。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜続く〜〜〜〜〜


「あたらしい船」④はまた明日か明後日に更新します。

話は変わりますが、ついに非常事態宣言がされましたね…。どう予防をしても罹ってしまう時は罹ってしまうのだろうと思うと不安にもなりますが、どうか気持ちだけでもコロナには負けず乗り越えましょう…! 

えいえいおー!

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