「あたらしい船(物語)」①
好きで創作している物語です。
「船」とはありますが、ジャンルを当てはめるならば「冒険」でも「推理」でもなく、「純」になるのかなと思います。
誰かに批評・感想・アドバイスをしてほしくてnoteにあげる事にしました。お時間があれば、ぜひよろしくお願いします。
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わたしには到底広い大海原を、ただなんの目的もなく船を進めるだけではいけないのだと、ほんとうは当の九ヶ月前に気がついていた。しかし漠然としている事の、この湯煙のような何とも言えぬ心地よさと癖になる不愉快感から、わたしは人生の九ヶ月以上も抜け出せないでいた。
気がつけば、辺りは南極だ。
自分で自分の目指すべき場所を薄々と感じながらも、見て見ぬふりをし、この不愉快感を必死には振り払おうとしなかったそのせいで、今のわたしに一体なにがあると言うのか。
おい。おいおい。
どうしようもなく、気がつけば船は転覆しかかり、わたしは無力にもただ救命胴衣だけを身に着けて、この冷たい海に、ぷかりぷかりと浮かんでいるのであった。
いったい毎日、わたしはどれだけの仕打ちを受けているというのだろう。
二十歳の春、保育士の専門学校を卒業し、実家から徒歩と電車で四十分ほどの場所にある保育園に就職した。家を出たい気持ちはあったが、貯金をしたいのでまだとうぶんは実家から通うことにした。
毎朝家族の朝食をつくり、七時頃に家を出る時にはパジャマ姿のまま、母がとことことわたしの後をついてくる。
「行ってらっしゃい」
穏やかに目を細めた母に見送られ、わたしは家を出る。
夜、帰りが遅くなれば「迎えに行こうか?」と父からメールが届く。母からも心配の電話が何件もかかってくる。
夏には「軽井沢へ行くから、この日を空けておいて」と父にメモを渡される。
冬には「あそこの夜景が綺麗らしいから、週末に行こう」という父の提案に家族で従う。
すぐに擦り切れる私に靴を心配して、母はしょっちゅう、私に新しい靴を買ってきてくれるし、父はホワイトデーには必ずチョコをくれる。
いったい毎日、わたしがどれだけの仕打ちを受けているというんだろう。
わたしでもわからない、なぜ「疲れた」から帰れないのか。
「疲れたあ」
モリーとの関係も意図して始めたわけでは、決してなかった。その日わたしは相当酔っ払って、心配だから送っていく、というモリーと腕を絡ませ、線路沿いを歩いていた。
三月の夜中二時、辺りはうっすらと寒く、線路沿いの駐車場には猫さえいなかった。
モリーという男との出会いは、その年の二月から通うようになっていたお新香の美味しい海鮮居酒屋で、モリーの第一印象は「この人きっと浴衣をまともに着られない」だった。ウィスキーでまどろんだ瞳と、枕にできそうなくらいふさふさの髪、きれいな二重と、よれた白ティーシャツ。ティーシャツの上からでもわかる、少したるんだビール腹さえ男らしいと思った。
連絡先を交換するまでに時間も躊躇いもいらなかった。酔っ払ったわたし達は、すぐにふたりで飲み歩くようになり、その日はその三回目だった。
「もう歩きたくない」
終電はとうに逃していた。実家まで、そこからは歩いていて二十分ほど掛かった。どこが疲れているのかわからないまま、わたしはただ正直に「帰りたくない」と言った。
「どっか泊まっていく」
わたしの言葉にろくな意味はなく、結局それでモリーがどう解釈したのか、真意はさておき、気がつけばわたしの口内には太い舌が入り込んでいて、絡まった指がまたちょうど良い具合に乾いていて、すごく心地よかった。
わたし達はコンビニでチューハイとハイボールの缶を数本買って、そのまま、土地勘に優れたモリーに手を引かれ、イタリア語で「最高」を意味する名前の建物に入っていった。
シーツは乱れ、布団が湿った。
結局缶チューハイとハイボールは、チューハイを二分の一本飲んだだけで、あとは帰り際に流しに捨てた。
家に帰って、雑然とした自分の部屋のベッドに寝転がると、ぼんやりと天井を仰いだ。
夜七時を過ぎて、量販店で事務の仕事をしている母が帰宅すると、わたしは
「疲れた」
と言いながら身体を起こし、赤いポシェットを肩からさげて家を出るのであった。
家の定義とはなんだろう。寝床という箱でしかないのであれば、わたしにも家はある。
「お疲れさまー」
丸みのある声で、ケーコさんがお店に来たのは夜の九時過ぎだった。
「おうケーコさん、お疲れ様ですー」
ホッピーのジョッキをテーブルから少し浮かせて、マエダさんが言う。
わたしはアルバイトのミノちゃんにお冷を頼みながら、隣の空席に置いていた荷物を足元に下ろした。
九月頭の水曜日。焼き鳥屋のカウンターは、週半ばである事にこだわりのない気ままな常連客達が陣取っていた。
四十手前で花屋のオーナーをしているというケーコさんは、殆ど毎日、十九時に店を閉めた後、赤いリップをきちんと塗り直してやってくる。
「ねぇ昨日の夜、マエダさん日丸屋にいたでしょ」
狭い入り口を抜け、長身のサクマさんの前を素通りしながらケーコさんは言った。
「あぁいました、いました」
ケーコさんの言葉に、大きな身体で椅子に膝立ちをしてケーコさんのボトルを棚の上から降ろそうとしていたマエダさんは、腕を伸ばしたまま答える。
「いま日丸屋、トマト冷麺やっているじゃない。あれ、気になっているのよね。それでお店を覗いたら、見たことのあるストライプシャツの人がいるじゃない」
はっはっはっ。
いつも同じようなストライプシャツを着ているマエダさんは、ハーパーのボトルをケーコさんの前に置きながら笑った。
ケーコさんは綺麗にウェーブした髪の毛を片方の肩に手で寄せながら、わたしとマエダさんの間の席を引く。ケーコさんの指は水仕事が多いせいでささくれだっているが、その爪はいつでも丁寧に彩られていた。はーまだまだ暑いわね。ケーコさんはそう言いながら、シャツの胸元をつまんで仰いだ。ケーコさんのジャスミンがふわりと香った。
「社長、ハーパーのボトルっていま在庫あります?」
「勿論ですよ。サクマさんの為に常に二本入れてますから」
オーナーはサクマさんの前へ、ハーパーの琥珀色のボトルと、マッキーを差し出した。店には有線の昭和歌謡曲が、扇風機の音に半分かき消されつつ流れていた。
わたしがこの焼き鳥屋へ通うようになったのは、年が明けてすぐの事で、モリーと出会った海鮮居酒屋に通い始めるより少し前だった。去年までは月に一度、飲酒するかしないかだったのに、一年で行きつけの店を二軒見つける始末になったのは、色々なもののせいだ。色々な、別の存在のせいであるが、けっきょくそれらは遡れば全てとある原因に行き着く事を、わたしは脳幹を雷で突き刺したいほどにわかっている。
「やあどうしてマッキーもポスカも八色が主流なんでしょう」
サクマさんが緑色のマッキーでハーパーのボトルに「エス」と書くのを見て、マエダさんは言った。サクマさんは「エス」の横にピリオドを打って、その鋭い瞳をボトルからあげた。
「あぁどうしてでしょうね。十二色からでも良いでしょうに」
「八色で足りるからじゃないの」
ケーコさんの言葉にマエダさんは、やぁやぁ、と手を振る。
「それにしたって、同じような色が入っているじゃないですか。赤とピンクとオレンジが八色のうち三色を占めているんですよ。赤とピンクとオレンジなんて、そんなに使い分けますかね。赤一色でも足りそうじゃないですか」
「赤とピンクは違うわよ。ピンクじゃ赤は出せないもの」
「虹に一色足すと、八色ですね」
サクマさんが鋭い瞳を細め、にこにこと呟くように言い、その言葉にカウンターは一瞬鎮まる。
「八色から一色引くと、虹と同じですよ」
「虹ってでも、国によって色の数違うって言わない」
サクマさんの言葉にケーコさんが言葉をかぶせ、
「あ、社長。カシラサシ」
マエダさんは注文をした。
「やぁでも僕ね、面白いなぁと思うんですよ。名札ってものすごい存在感を放っていると思いませんか」
マエダさんは僅かに腰を浮かせて、尻ポケットからハンカチを出しながら言った。
「名札で店の雰囲気って作られると思うんですよね」
言いながら汗を拭う。わたしはケーコさん越しにマエダさんを見ながら、ミノちゃんの運んできてくれたお冷に口をつけた。カランカラン、と店の入口で音がし、カウンターに二名の客が通される。爽やかに短髪をたてた、スーツ姿の若い男達だ。その見ない顔の男二名には全く興味をくれず、このカウンターに毎日のように集う三人は話を続ける。
「たとえば居酒屋の店員さんって自分で名札を書いたりするじゃないですか。自分の名前と、人によっては似顔絵だったりキャラクターだったりを描いていたりするわけですよ。可愛い丸字で、ちさとー、って描かれた横に、絶妙にうまくないクマが描いてあったりするわけですよ。そういうのってまぁお酒が入っているのもあるかもしれないけれど、つっこみやすいじゃないですか。親近感が湧くっていうかね。なにか注文する時も、ちさとちゃんちさとちゃんホッピー白でね、とか。その日なんとなく入っただけのお店でも、手書きの名札をつけていたら呼びたくなりません?ちさとちゃん、ぼんじり塩でね、とか。店員さんも嬉しいと思うんですよね。名前を呼んでもらえるのって」
「まぁ存在を認識してもらえるのは誰だって嬉しいかもしれないけれど、あんまり仕事中におじさんに呼び止められるのもねぇ。それにちさとちゃんってどなたなの」
「ちさとちゃんって言うのは、前に一度だけ甥っ子に財布として連れて行かれたガールズバーの子なんですけどね。手書きの名札って親近感を覚えやすいのに対して、パソコンからプリントアウトされただけの無機質な名札って、視界には入っても、なんだか深く注意する気にはならない気がしませんか。よほど可愛い店員さんだったら別ですよ。でも例えばコンビニ。コンビニって大体印刷された名札じゃないですか。コンビニって人によっては会社の次によく行く場所なのに、中々店員と客の会話が生まれないと思いません?それって幾らか名札の問題があると思うんですよね。コンビニ店員の特にアルバイトは客に対して不満を持ちがちだなんて言いますけど、それって名札のせいだと思うんですよ。もっと客と店員のコミュニケーションが必要ですよ」
熱弁するマエダさんの前に平皿が運ばれる。はーいカシラサシでーす、とミノちゃんが言う。あ、どうぞどうぞ、みなさん食べてください。マエダさんがそう言い、マエダさんが言うより早く、もう運ばれてきた時点で箸を構えていたケーコさんが、マエダさんのカシラサシをつつく。
「コンビニ店員なんてでも世の接客業の中でも、特に人間の不誠実さに直面する職業のひとつよね。色んな人が来るし。人間嫌いにもなるわよ」
「まぁね。ストレスで張り詰めた現代人は、自分で箸いらないって言ったのに、いるって言ったつもりになっていてクレームを入れに来たりしますしね。でも」
カウンターの後ろに設置された、十二インチの小さなテレビ画面の中出は、声のないお笑い芸人達が大きく手を振っている。いやいや。ちょっとちょっとー。
「いい人間もこんなにいるわけですよ」
マエダさんは言って、項垂れるように両手を広げた。浮き輪のように張った腕がジョッキを掠める。
「ネットなんかでね、コンビニ店員だと名乗る人がいかにも面白げに、客くるな、とか言っているのを見るとね、なんとも哀しくなりますね。客が不誠実な事を怒りながらも楽しんでいたり、あまりにも真剣に憤っていたりするんですよ。いくら不誠実な客が相手でもね、接客業に自ら就いたんだから。たとえアルバイトでも、客の不満を面白げに話しちゃうなんて。もうこれは全て名札のせいとしか思えないわけです。名札がせめて手書きなら、せめて名札にくらいこだわれば、そのこだわりの名札を誇りに、もう少し志高く仕事ができると思いませんか。アルバイトが仕事に誇りを持つ箇所が、たとえ名札でも良いと思うのです」
あ、ナカもらえる?マエダさんは呼吸を整えるように、ミノちゃんに向かい手を挙げた。
「たしかに手書きって、その人がわかるところはあるわよね。いつもむっつりしている人が可愛い丸字を書いたりすることがあって、そういった時にそのギャップに親近感を覚えたりすることって、あると思うわ」
サクマさんの視線が、そう言ったケーコさんから逸れ、自分のポケットに移る。サクマさんはポケットからスマートフォンを取り出すと、それを耳にあてがう仕草をしながら席を離れた。
「ユカちゃんかな」
サクマさんがいったん狭い店から出て行ったのを見て、マエダさんは言った。カウンターの向かいは、焼き鳥を焼くオープンキッチンになっており、オーナーやミノちゃん越しに道端で通話をするサクマさんが見えた。その表情は見えないものの、サクマさんは時々照れたように口元へ手を運ぶ仕草や、髪を掻く仕草をした。その度にわたしは、隣に座ったケーコさんの濡れたグラスを見た。
スミマセン、お会計。爽やかな若い男性ふたりは、二時間もしない内にそう言って手を挙げた。わたしも彼らが出ていくのを見送ると、オーナーに向かい手を挙げた。
「すみません、お会計で」
もう二十三時半だった。店を出て駐輪場へ向かいながら、背後ではまだマエダさんが接客業の中の違いについて熱く語っている。ケーコさんはマエダさんの話を聞きながら、気怠げにハーパーのグラスをくゆらし、店の前ではサクマさんが飽きもせず一時間近くもユカちゃんと通話している。
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いまここに書き終えてから、自分で読み返してみて、なんだか頭が痛くなってきた。
部屋に置いといても、誰にも読んではもらえないので、これから5,6回に分けてnoteにあげます。批評・感想・アドバイスが欲しいです…!
よろしければ気軽にお願いします。
では、えいえいお。