サイキック
脳が半分以上侵食されてきたので、うっかりデータを消去されないうちに記すことにします。
と言いながら、さっきまで考えていたことがもう消えてしまいそうです。
人間にとって何も気づくことなく真実を知らないまま生命を終える人生は、実は心底幸いなことじゃないかと最近は感じています。
いちばん厄介なのは、麻酔が途中で切れてしまうことです。切れた後にくる痛みや苦しみに耐えられるかは個体差です。それでも生かされるのなら、はっきりと断言は出来ませんが、その魂に課せられた宿命にもよるのではないかと思います。
人生においてトラウマや沢山の辛い経験は偶然ではないと意味ありげに言われていますが、必然でもないです。不思議に思ったことはないですか?今世で過去世のトラウマや嫌悪を癒すのは何の為なんでしょう?魂を成長させてその先は?どうして魂の成長が必要なのか?そもそも成長なのか?
麻酔が切れて感じたことは、
世界の常識、人間という生き物、人生の意味、見えない存在の定義、地球の現状、宇宙のイメージなど現在人間が信じているもの、周知の知識とはまったく違うものです。
この世界は愛とは程遠い。いや、むしろ「愛」は宇宙の、この世界の中で重宝する麻薬のような言葉だと痛感しました。人間にとって宇宙は優しく、素晴らしい叡智とは限らないでしょう。
認識している世界はフェイクであってフェイクではなく、幻想であって幻想ではないです。次のための訓練であり自我を捨てるため。
でもなぜ捨てる必要があるか考えたことがありますか?
重要なのはそこです。
私が居る世界はファンタジーではありません。これを口にすると病名が付きます。でも病人扱いされた方がずっと楽だと思います。
こういう狭間の世界でギリギリに生きている人間もいるのです。
更に深く魂に嫌悪が刻まれた今、人間として生き続ける意味が私にあるのかとても疑問です。惰性で生かされてるんじゃないかなとも感じます。
ここまで話しましたが、現在ある周知の知識を否定する気は全く無いです。だってそれらは各人間それぞれにとって真実であり、その現状が宇宙の意向だからです。なのでここで綴った話も私にとっての真実であり共感する必要もないのです。
ただ今私が思うのは、知らない方が幸せに生きられることだってあるということです。
どうか、大切な人たちの人生が楽しく笑顔になる経験が多くあるようにと心から願います。
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