世の中は便利になったけど、ストレスは増えている。
こんにちは!
こしあんです。
最近、沸点の低い人をニュースなどでよく見かけます。
ちょっとしたことで怒鳴る、威嚇するといった行為で攻撃する人たちがいます。
あなたの周りにもいないでしょうか?
つい最近まで、テレビでよく煽り運転の映像が流れていました。
そのため、令和の時代になってよく起きている出来事のように感じますが、「瞬間湯沸かし器」なんてあだ名が付く人は昔からいるので、急に増えたわけではありません。
ただ、1つの可能性として、高齢になり認知症の影響によって、性格が変わってしまったかのように暴言や暴力を振るってしまう人もいます。
それは性格というよりも脳に関係することなので仕方のない部分もあります。
でも、そうでない若い人でも短気な人が増えてきている印象があります。
それはなぜなのか?
というお話です。
【私たちの置かれた状況】
現在、私たちはいろんな不安の中にいます。
地政学的、経済的、そして精神的な不安です。
この精神的な不安は、社会的階層、知的レベル、職業などに関係なく襲ってきます。
簡単に言えば、お金があっても無くても、地位が高くても低くても関係ありません。
ちなみに米国立精神衛生研究所は、どの12か月をとっても5人に1人のアメリカ成人が、不安障害に悩んでいたという統計を発表しました。
10代になるとさらにこの数字は高くなり、25%が病的な不安障害を抱えているそうです。
しかもこの数字は、不安症と診断された人だけを取り出したものなので、実際はもっと多いと予想されています。
日本でもなんらかの不安障害を有するものの数は、生涯有病率で9.2%あります。
これほど多くの人が悩んだり、ストレスを抱えている背景には何があるのでしょうか?
ジョージ・メイソン大学教授のトッド・カシュダンと「ジャーナル・オブ・ポジティブ・サイコロジー」誌編集委員のロバート・ビスワス=ディ-ナーは、現代の私たちは快適さを重視するあまり、逆にストレスを増やしているのではないかと考えました。
確かに、私たちは日常を快適に過ごせるようにいろいろと工夫しますよね。
私たちの生活を見てみると、いたるところに快適グッズが置かれています。
空気清浄機からウォーターサーバーまで、少しでも日常生活が楽になるように便利グッズが集められています。
とても良いことのように思えますが、私たちは単に基本的な衣食住の快適さを楽しむ段階を超えて、「快適中毒」になっているのではないか?とこの二人は考えました。
そうはいっても、「快適さを求めることでいろんな物が便利になったし、そんな悪いことはないはずだ」と考える人もいるでしょう。
あなたも、快適になることでの「デメリット」を答えなさいと言われても、パッとは思いつきませよね。
でも、なぜ快適さを求めることが問題になるのか?
1つ例として、殺菌作用のある石鹸を使うことがあげられています。
あまりに強い殺菌作用は”私たちに必要な菌”も殺してしまいます。
そのため、身の回りの細菌の数が減った現代の人間は、かえって細菌に対する抵抗力を失っていると言われています。
また、程度にもよりますが、不便だった時代があったので精神が鍛えられたという面もあります。
徳川家康の「不自由を常と思えば不足なし」ではありませんが、不遇の時代を乗り越えたという自負もあるでしょう。
そのため、「これくらいの苦労は気にならない」といった考え方をできる人もいるかもしれません。
ただ、この考え方は「苦労を知らないから、我慢ができない」という思考に陥ってしまうことがあり、注意が必要です。
そして、「本当」の問題点はそこではありません。
問題は「快適さを追求すること」ではないんです。
本当に問題となるのは、快適さが簡単に手に入るにつれて、不快感を避ける傾向を強めていることにあります。
例えば、「退屈」という不快感を避けるために、一人になった瞬間スマホを取り出したり、「待たされる」というイライラを避けるために、渋滞している道路で一番早い車線に割り込んだり、家の静かさに耐えきれず、「とりあえずテレビをつける」という行為をしていないでしょうか。
実は、この安楽さを求めるという行為は、本当は「不快感」を避けるためのものなんです。
でも、そのことに気づいている人は意外と少ない。
上の記事でも書きましたが、とある実験で一人で考え事をして過ごす時間に耐えきれず、自分に電気ショックを与えるボタンを押してしまった被験者がいます。
しかも、実験前には「電気ショックを受けずに済むなら、金を払うほうがいい」と言っていたにもかかわらずです。
何かを避けるという行為は、現代の構造的問題ともいわれています。
では、いったい私たちは「不快感」を避けるためにどんな回避行動をとっているのでしょうか。
【2つの回避行動】
問題になる回避行動は2つあります。
「喜びを避ける行為」と「苦痛を避ける行為」です。
「喜びを避ける奴なんていないだろ!」と言われるかもしれませんが、「面白いことを楽しめない人」というのは確かにいます。
こういう人は、楽しいことがあっても他にもっと有益な時間の使い方があるのではないかと思ったり、会社で自分の昇進を祝ってもらっているときでも、自分本位で他人を蔑ろにしているように思えて心配になったりします。
心理学ではこういう心理状態を、「マイナス化思考」と呼んでいます。
簡単に言えば、プレゼンなどが上手くいった場合でも「これは自分の実力じゃない、運が良かっただけだ」とか「これはまぐれだ」といった感じで、良いことがあってもなかなかそれを信じられません。
最悪な場合、良いことを悪いことにすり替えて考えてしまいます。
この心理状態では、素晴らしいことがあったとしてもすべてマイナス方向に考えてしまうんです。
もう1つの「苦痛を避ける行為」は、普通の怒りや不安などのネガティブな感情に背を向けることです。
誰もがやってしまうことなので、あまり気にかけることはありませんが、度が過ぎれば大変なことになります。
このネガティブ感情に背を向けるという傾向は、古代ギリシャの快楽主義を反映しているそうです。
快楽主義は禁欲主義の反対で「最高の人生は楽しむことにある」という考え方です。
とってもいいフレーズに聞こえますが、もちろん問題点もあります。
それは、「ネガティブなものの価値を信じない」ことです。
実は、この傾向は現代において顕著に表れています。
「元気を出して!」「絶対大丈夫!」「つらい時ほど微笑んで!」とあなたも言われたことがないでしょうか。
自分の周りがこんな人たちばかりだとちょっと危ない気がします。
ドイツの心理学者フリッツ・シュトラックの研究によれば、実験参加者に鉛筆を上下の歯の間にくわえたまま(こうすることで、微笑みの筋肉がつかわれる)自分について記述してもらったところ、鉛筆をくわえなかったグループに比べ、より明瞭で前向きな文章を書いたそうです。
幸福コンサルタントたちは、この研究をお墨付きにして「幸せなふりをしていればそのうち本物になる」と説きましたが、こういうやり方は人々をネガティブな心理状態から遠ざけようとしているにすぎません。
だって問題は何も解決していないのですから。
問題を避けるという行為は結局、問題解決の道を避けることになります。
もちろん、私たちは逃げることが大切な時もあります。
でも、ネガティブな状況を避け続けていたら、人としての成長と成熟が妨げられ、冒険の機会を逃し、人生の意味や目的を掴めなくなります。
私個人の意見を言わせてもらえば、もしかしたら、煽り運転をするような人はネガティブな状況を避け続けた人たちなのかもしれません。
いつも自分の思い通りに事が運ぶ快適な人生を、他人を押しのけてでもしてきたのではないでしょうか。
そうやって「不快感」を避け続け、ちょっとしたことで怒りをあらわにする沸点の低い人間になってしまったような気がします。
私は、こういう人を見るたびにジョージ・カーリンという人が言った言葉を思い出します。
とても考えさせられる文章なのでここに紹介しておきます。
歴史の中で、私たちが今いる時代の矛盾。それは、
ビルは高くなったけれど 人の気は短くなり、
高速道路は広くなったけれど 視野は狭くなったこと。
お金をたくさん使っているけれど 得るものは少なく、
多くの物を買っているけれど 楽しみは少なくなった。
大きな家を持っているが 家庭は小さくなり、
より便利になったけれど 時間は少なくなった。
多くの学位を持ってはいるが 知恵は少なくなり、
多くの知識を持ってはいるが 判断することは少なく、
多くの専門家がいるが 未だ多くの問題が残っており、
多くの薬があるが 元気な者は減った。
我々は 飲み過ぎ、吸い過ぎ、浪費し過ぎるが、
笑顔は少なくなり、スピードは出し過ぎるし、よく怒る。
夜更かしをするため、目覚めた時にはすでに疲れており、
本を読まなくなり TVばかり観て、そして祈ることは滅多にしない。
我々は多くの物を所有しているが、我々の価値は減った。
たくさん喋りすぎるが 愛することは滅多にせず、たびたび人を憎む。
我々は どのように生計を立てていくかは学んだが、人生については学んでいない。
長生きをするようにはなったが 今を生きてはいない。
月まで行って帰って来れるようになったというのに、道で新しい隣人に会ったら トラブルばかり。
我々は 外世界を征服したけれど、内世界は違う。
大きな事を成してきたけれど、それ(大きな事)=良い事 ではない。
空気を綺麗にしてきたけれど、魂は汚染された。
原子力さえも支配下にいれたが、偏見(差別)は無くならない。
多くを書いてはいるが、学びは少ない。
計画は多く立てるが、 成し遂げたことは少ない。
急ぐことは学んだが、待つことは学んでいない。
多くの情報を取り扱うためにコンピューターを作り、多くのコピーを生産したが、我々のコミュニケーションはどんどんと少なくなっていく。
ファーストフードだが 消化は遅く、
身体は大きいが 人格は小さく、
利益を追い求めるが 人間関係は浅い。
共働きで稼ぐが 離婚は増え、
派手な家だが、家庭は崩壊している。
手軽な旅行に、使い捨て紙おむつ、モラルは捨て去られ
ワンナイトラブが売られ、太り過ぎの身体、そして死に急ぐための薬を多用する。
ショールームの窓ガラスには物が溢れるが、倉庫には何も無い。
テクノロジーは貴方の元へ手紙を届けてくれるが、それを読むも読まないも、消しさるのも、ただキーを打つだけ。
忘れないで!
愛する人と多くの時を過ごすことを。何故なら それらは永遠に続くものではないのだから。
忘れないで!
貴方を敬ってくれる人に対し、優しい言葉を掛けてあげることを。
何故なら、彼らはすぐに成長し 貴方の元を去っていくのだから。
忘れないで!
貴方の側にいる人に 温かいハグをしてあげることを。
何故なら、これが貴方が心に持てる唯一の宝だし、これをする為のコストは1セントもかからないのだから。
忘れないで!
貴方のパートナー そして 愛する人に、心を込めて「愛してる」と伝えることを。
キスと抱擁は、傷ついた心を 内深くから癒してくれるから。
忘れないで!
相手の手を握ること そして いつかの大切な瞬間を。
その人は貴方の前に二度と現れない。
愛するための、話しあうための、そして 貴方の心の中の思いを共有するための 時間を作って。
そして、常に忘れないで!
「人生」とは呼吸の回数ではなく、どれだけ息を呑む(心が感動で震える)瞬間があったかで決まるということを。
今回はここまで
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最後までお読みいただきありがとうございます。
それではまた次回お会いしましょう。
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