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自分を受け入れるのに「理由」はいらない。

こんにちは!

こしあんです。

突然ですが、あなたは自分の事が好きですか?

それとも嫌いですか?

自分の事が「大好き」な人もいれば、「嫌いだ」、「そんなことは考えたこともない」といった人もいることでしょう。
もし「自分の事が嫌いだ」と思っている人がいるのなら、その背景に何があるのか?と考えると面白いかもしれません。
しかし、多くの人がなんだかんだ言いながら自分の事を受け入れているのではないでしょうか。

「私は絶対に自分の事を認めない!」なんて人はあまりいませんよね。笑

”自分のありのまま”を受け入れることを自己受容と呼んでいますが、やり方を間違えて自分自身を追い込んでしまう人がいます。

今回は、自分を受け入れるときにやっていはいけない「条件付き自己受容」のお話です。



【自己と不安】

さて、このような自己に対する問いは古くからありますが、それを考えていたのは哲学者のような”小難しいことを考える人たちだけ”のようなイメージがありませんか?笑
しかし、最近では学者のような人たちだけではなく、一般の人たちも自己を見つめることが増えてきたのかもしれません。
本屋に行けば「自己肯定感」と言った書籍もよく見られます。

何年前になるのかわかりませんが、「自己」とついたもので連想する言葉と言えば、自分勝手な人のことを指す「自己中」といったものだけだったような気がします。笑

さて、この「自己」に関してですが、ふと疑問に思うことがあります。
それは「私たちはどのようなときに自分を見つめ直すのか?」です。

あなたはどのような時、自分を見つめるでしょうか。

これは私の憶測でしかありませんが、人生が順風満帆なときあまり自らを省みることってありませんよね。
どちらかと言えば、壁にぶち当たったり、人生に対する不安や対人関係で不満があるときではないでしょうか。
そのとき「自分はこのままでいいのか?」、「私が間違っているのか?」などいろいろ考えてしまいます。

このような「不安」は多くの人が抱えるものではありますが、それを感じる人は世界中で増えているようです。

2013年にワシントン大学が44か国のデータをまとめたメタ分析によれば、不安障害を患う人の数は全世界で13人に1人という割合に達しています。
日本でも不安障害の数は15年で約2倍にもなっているそうです。

2017年にWHOが世界26か国で行った調査では、不安障害の患者数はほぼ各国の近代化のレベルに対応していると言います。
つまり、地域差はありますが近代化によって国は豊かになりつつも、人々の不安は減るどころか増えてきていると言えます。

しかし、「なぜ私たちはこんなにも不安を感じるのか?」と考えたことがありますか?

確かにお金、健康、子育て、老後と悩みは尽きないかもしれません。

しかも今の時代、”高すぎる理想””求められるスキル”といった条件を満たせず不安を感じるている人もいます。

だからでしょうか、私たちは不安や自己嫌悪を少しでも減らそうと自分自身に目を向け、「自己肯定感をあげる」といったことを重要視し始めたのかもしれません。

しかし、悩みの原因を考えていくと私たちは自分でそれを増やしていることがあります。笑

他人と比較たり、「こうあるべきだ」といったルールを自分で決めつけ、そこからはみ出さないように一生懸命です

まるで綱渡りをしているような心境ですね。
少しでも踏み外せば”自分の人生は終わってしまう”と感じているのかもしれません。

ここまで自分を追い込んでしまう人は、自己受容のやり方を間違えてしまった人に多いような気がします。
「何かができるから自分を認める」という考え方は自分を苦しめるだけなんです。

【二つの自己受容】

私たちは自分を受け入れるとき、実はどちらかのパターンを使っています。
一つは条件付き自己受容で、もう一つが無条件の自己受容です。

条件付き自己受容とは、「ある特定の条件下でしか自己を受け入れない」ことを指します。
たとえば、自分にとって重要な人から認められたり、社会に貢献した場合にだけ自分を認めるといった感じです。

あなたも「ありのままの自分を受け入れる」と言いながら、条件付きで自分を受け入れようとしていないでしょうか。

シグムント・フロイト、カール・ロジャースと並び称されるアルバート・エリスによれば、条件付き自己受容は人類最悪の病の一つであり、非常に危険だと言います。
多くの人が「ありのまま」、「そのまま」を受け入れていると自分では思っていますが、いつの間にかある条件が「自己価値」を獲得するために絶対必要であると考えてしまうことがあります。
そのため、決めた条件が満たせなかったとき「自分はダメな人間だ」と感じてしまうわけです。

あなたは会社の人間関係や家族間での付き合い方で、上手く立ち回れない自分を責めてしまうことがないでしょうか。

しかし、なぜそんなにも自分を責めるのか?

これは結果にだけ焦点を当てている場合によく起こります。
「成功したとき」のみ、「人から認められたとき」のみ、「人の役に立てたとき」のみ自分を受け入れることができる。
といった条件を自分に課している可能性があります。
このような”条件を満たしたときのみ”という考え方が自分を追い込んでしまいます。

エリスによれば、そうではなく「ものごとを行なう過程自体を楽しむことを主な目的とすれば、はるかに少ない不安しか生じないし、むしろその方が成功率が高まる」といいます。

あなたも目標を達成できない自分を責めることがないでしょうか。
子育てでも「良い母親」、「良い父親」になろうとして、これができたらなんて条件を自分に課していないでしょうか。

たとえば、子どもの習い事や塾などの送迎を面倒くさいと考えたことはないですか?
しかし、「これは親の役目だ」と考えている人もいることでしょう。
もちろん子どもが楽しく通っていて、送り迎えが苦にならないのなら問題ありません。

ここで問題になるのは「送り迎えは当然だ!子どものためにそれができない親はダメな人間だ」といった意識です。
しかし、「送迎ができない親はダメな親なのか?」と考えるとそうではありませんよね。
家で学習できるように環境を整えている人もいます。
「送り迎えができる・できない」といった条件を満たせなくても特に問題はないんです。

「○○して当然だ」、「こうあるべきだ」という意識に囚われている人は、自分の事を「良い」人間、または「正しい」人間だと思っていることがあります。
そのため、その人はいつでもどこでも「良い人間」、「正しい人間」であり続けなければなりません。

私からすれば息が詰まりそうな生き方です。

また、どんな状況であっても「良い・正しい」行いができると考えている人は、たとえ今まで上手くやってこれたとしても心配ばかりすることになります。
それは失敗すれば自分は無価値な人間だと自分で決めつけているからです。
そして、同じようにそれができない他人を責めます。

一見、高い志を持っているようにも感じますが、100%良い人間、100%悪い人間なんていません。
そのため良い人間であり続けることに疲れ、誰かの役に立てない自分を責めることになります。
そもそも、自分の人間性を評価するといった行為は意味がないのかもしれません。
「○○ができる私はすごい」、「これができないから私はダメだ」なんて評価を事あるごとにしていくなんて疲れませんか?笑

私たちは自分に対し、清濁併せ吞む器量が必要なのかもしれません。

私も以前、子どもがフリースクールに通っているとき、夏休みにそのスクールのキャンプに参加するかどうかを聞かれたことがあります。
その時、子どもも特に参加したいという意志はなかったので”不参加”という形を取りました。

しかしその後、そのスクールから「なぜ参加しないんだ?」、「参加しないのはおかしい」、「子どものことをちゃんと考えているのか?」と責め立てられました。笑

しかし、キャンプに行かせない私は極悪人なのでしょうか?

もしかしたらそうかもしれませんが、子どもが行きたがらないのに「あなたのためだから」と言って無理やり参加させる方がよっぽど怖いと思います。笑

このような「~ねばならない」、「みんながしている」といった意識はとても強力です。
そのため、つい「こうあるべきだ」といった条件を他人や自分に付け加えてしまいます。
このような条件付き自己受容は自分が作った条件を満たせなかった場合、自分を無価値な人間だと思ってしまうので注意が必要です。


【自分を受け入れるとは?】

「自分を評価しない」と心に決めてもその波は何度も訪れます。
そして、いつの間にか条件付き自己受容に陥ってしまうこともあります。

エリスによれば、その解決策として「生きていること」、「人間であること」この二つの理由だけであなたを「良い」と定義してしまうことだと言います。
こうしてあなたが設定する自分の「良さ」の必要条件は常に満たされることになります。

多くの人が「そんなことで?」とか「たったそれだけで?」と感じるかもしれません。
しかし、自分を受け入れるのに条件は要らないんです。
あれもこれもと増やしてはいけません。笑

ビートたけしさんの詩集にこんな言葉があります。

「夢を持て、目的をもて、やれば出来る。こんな言葉に騙されるな。
何もなくていいんだ。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。」

つまり、生きてこれを読んでいるあなたはそれだけで素晴らしい。


今回はここまで

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それではまた次回お会いしましょう。

※この記事は主に私のアウトプットを目的に書いているものです。
参考にした資料(主に読んだ本)をもとに考察したもので、私の主観が多分に含まれています。
そのため、参考にした論文とは結論が異なる場合があります。
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