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スーツを着て就活をする自分には、なりきれなかった

わたし、根暗だったんですよ〜(笑)学校のクラスで、誰とも話さない。
それがすごく嫌でした。

Co-Satenスタッフの小沼ゆいちゃん(こぬま・ゆい、以下、ゆいちゃん)から飛び出したビックリな一言。明るく、飾らないコミュニケーションで、人との関係を築くのがとても上手な印象のゆいちゃんが、子どもの頃にそんな悩みを抱えていたなんて、とても意外でした。

今回はそんなゆいちゃんに、嫌だった自分とどんなふうに向き合ってきたのか?どうやって変化を起こしてきたのか?新卒でCo-Satenに関わり始めて、これまでどんなキャリアを歩んできたのか?といった話を聞かせてもらいました。

Co-Satenのまわりで、自分のやりたいことを追求する“カッコいい大人”たちに、はたらきかたと生き様を赤裸々に語ってもらうキャリアインタビュー第二弾。
その模様を前編・中編・後編の3回に分けてお届けします。

理由もわからずスーツを着るのも、
自分を偽るのも嫌だった。

「就活のときに人生グラフ描いてたんですよ〜、なんの役にも立たなかったけど(笑)
でも、あらためて描いてみると面白いですね。」と話しながらインタビュースタート。

ー今日はよろしくお願いします!まず、自分の収入でゆいちゃんが生活を始めたのはいつかというのを聞かせてください。
今も実家住まいなんで超甘えてるんですけど、ちゃんと働き出したのは一昨年かな。

大学4年生で 1年間休学してから、卒業したんです。卒業してからも、すぐに働いたわけじゃなくて、卒業した年の8月ぐらいからCo-Satenに関わりだして、そこから社会で働き始めた流れです。なので、実質3か月ぐらいはニートみたいな状態でした(笑)

休学中は有給インターンをしていて、大阪にしばらく住んでいたので、そのときから考えたら社会人歴はもうちょっと長いですけど、Co-Satenに関わり始めた頃から考えるなら、今年で3年目です。

今年リノベーションを予定している市原のまちづくりの拠点Co-Saten

ーインターンは、なにをしていたんですか?
親子関係のことに取り組んでいる会社に関わりたいなと思って、いろいろ探していたんです。

高校3年生の頃に、両親の仲があまり上手くいっていないことがあって。そのときまでは、わたしはめっちゃ幸せな感じで暮らしてたんですよ。今も幸せなんですけど(笑)

子どもの頃に、なにか我慢した記憶もないし、妹含めて4人でよく旅行にも行ってました。そんな感じで過ごしてきたので、離婚とかではないんですが、突然のことに打撃を受けて。今でも家族のことは大好きですし、悪いように捉えられたくはないんですが、でもだからこそ、そこから家族のことをすごく考えるようになりました。

そのときからずっと、家族や親子について、なにかやりたいという想いが漠然とあったんです。

ー休学したのは、そういう親子関係のことに取り組んでみたかったからですか?
それもありましたけど、それだけではなかったです。大学生は大体3年生くらいで就職活動を始めるんですけど、私はスーツを着たりするのがほんとに嫌で。

なんでみんな同じ格好で、ほんとにやりたいこととかじゃないのに、ウソついて面接用の回答をつくったりするのかわからなかったんです。すごい鳥肌が立つというか、なんて表現したらいいのかよくわかんないんですけど、それがとにかくすごく嫌で(笑)

だから、当時流行っていたスーツを着なくてもいいカジュアル面談に行ったりしてました。でも、いろんなことに興味を持つタイプなので、会社の人の話を聞いたら全部面白いと感じてしまうから、別に就職なんてどこでもいいじゃんと思ってしまって。

そうなったときに、そのまま就職するべきか悩んで、大学4年生の夏前ぐらいに休学届けを出しました。とはいえ、そのときは休学して何をしようかを決めていたわけではないんです。だから休学し始めてからは、親子関係の会社を調べたり、活動している人に会いに行ったりしてたんですけど、なんか違うなとモヤモヤしていました。

そんなふうに調べていたときに、親子関係のことに取り組んでいる大阪の会社をみつけたんです。とりあえず連絡してみようと思ってメッセンジャーで連絡したら、話を聞きに来ていいですよと言ってもらえました。

千葉に住んでいたのでどうしようかなと思いましたが、休学してるし「なんかしなきゃやばい」という焦りもあったので、学生団体で出会った1番仲がいい子を誘ってヒッチハイクしながら大阪まで行きました。

ーえ、ヒッチハイク!?
そうなんです。前からその子とヒッチハイクしたいねって話してたんで。ただ、途中のサービスエリアで人が全然いなくて大変だったりしたので、京都からは電車で大阪まで行きました(笑)

ー電車(笑)
それで、2人で大阪に行って串カツを食べて、USJに行って、最終的に私だけ残って延泊して、会社へ話を聞きに行きました。

USJにて

話を聞きに行った会社は、私が思ってたことをそのままかたちにしている感じでした。やっぱりビジネスチックな要素が絡むと、どうしても親子のためと言いつつも、ちょっと違う要素が入ってるなと感じる会社が多かったんですけど、そこはほんとに親子のために、純粋に思いをかたちにしていて「ここいいな」と思って。そんなふうに感じたのは、初めてだったんです。

でも当時、その会社はインターンや採用を行っていなかったので、お話を聞きに行ったときにインターンをつくって受け入れてくれないか聞いてみたんです。そうしたら、そこで半年くらいインターンをできることになりました。

成果をあげていないのにお金をもらうのは、
つまらなかった。

一度千葉に帰って、年明けからすぐ大阪に行きました。月10万円ぐらいのマンスリーマンションを借りて、そこの会社が新しく立ち上げる子ども向けのアパレルブランドと、会社が運営や企画に携わっていた「なら国際映画祭」に関わって、半年くらい週半々で大阪と奈良を行き来していました。

インターン時代のゆいちゃん
立ち上げに関わったアパレルブランドの店舗

ーじゃあ、そのときは結局、ゆいちゃんが思ってたような親子関係の事業に関する経験はできなかったんですか?
内容的には違います。ただ、すごくいい経験になりました。わたしは、服にはほんとに興味がないので、こんな機会がなければアパレルに携わることもなかったと思います。しかも少人数の会社だったので、社長と直接話すことも多くて、社長の生き方や考え方、お金の回し方をすごく学ばせてもらったし、今でもその人には、よくしてもらっています。
 
そのとき感じたこととか、考え方とか、学んだこととかは、今でも生きている気がします。 自分でお金を稼ぐってどういうことなんだろうとか、お金をもらって「毎日同じ時間に、同じ場所に行く」という経験をインターン時代に得られました。

インターン最終日に、お店の前で。

そのとき、自分が成果をあげていなくても時給的にお金をもらっていたので、すごくつまらないなと思ったんですよね。

ーつまらない?
アパレルは立ち上げの段階だったので、全然お客さんも来ないような状態でした。でも、そこで圧倒的に自分たちの行動が足りていなかったなと思う日があっても、給料としてお金をいただいていたんです。

そのとき、成果を出せるような仕事をやっていないのにお金をもらえるって、つまんないなと思っちゃったんです。ただ、初めての1人暮らしだったし、生きていくためにお金が必要で、給料をいただけることがありがたいということも生まれて初めて感じました。

だからインターンが終わってからは、お金を稼ぐほうにとりあえず振り切っちゃおうと考えて東京で何社か面接を受けたなかで、プログラミング事業をやってる会社に行こうと決めたんです。

そのタイミングで小川さん(Co-Satenを運営するオープンロード合同会社の代表)と出会いました。

文・写真:Mizuno Atsumi

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