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「一人芝居ミュージカル短編集vol.5」観劇(4/22 18:00、5/5 18:00)

本記事は「一人芝居ミュージカル短編集vol.5」のうち、2018年4月22日(日)【男性キャストプレビュー】(梶原航/塚越健一/金子大介)及び、2018年5月5日(土・祝)【男性キャスト公演8】(梶原航/藤尾勘太郎/伊藤靖浩)の2公演についての振り返り、雑記です。公式noteはこちら。

過ぎて気が付くプレビューのラインナップ

今になってみれば、プレビュー公演の男性キャストってすんごい組み合わせだったのねと。なんて言うか……化け物大集合みたいな。(※褒めてる)

お芝居で言うと、お三方とも「場の空気を支配する」というのではなく「場の空気と戯れる」というくらいに軽やかな印象なのに、作品としてこれでもかってほど、濃厚、骨太。想像を絶するくらい仕込んでいることは想像に易くて、ひとことで言ってしまうと「ゾッとした」なのです。

また、人数と構成、タイミングから推測すると、一人芝居ミュージカル短編集の「実質のお稽古時間」は驚くほど短いんじゃないかなと思っていて。役者の基礎体力(能力と鍛錬)が心底恐ろしい。土台になる部分に対しても、更に本番までメンタル面でもかなりの負荷をかけ続けているという部分に対しても、本当、舌を巻く。尊敬なんて言葉では表現しきれないけれど、ただただ尊敬する。

観劇した5作品、個別にちょこっと感想

プレビューと本公演とで5作品を観劇することが出来ましたので、少しずつではありますが感想……みたいなものを。見出しの記載は【出演「タイトル」(テーマ)】という形で記しています。

梶原航さん「Solitude Gangsta」(アル・カポネ)
梶原航くん。常々思うのだけれど、彼はなぜいつもあんなにも楽しそうなんだろう。演じているときも、歌っているときも。ボス、あんなに怖い顔してんのに。照明を活かした芝居もよくって、ああ、ライブの人だなと思いました。照明と言えば、明かりとお顔立ち相まって笑顔が怖い、寂しい表情の中に少年の儚さが垣間見える、それも印象的でした。彼の芝居の安定感とパフォーマンスの華やかさに関してはどんな演目を観ても毎度凄いなぁと思います。それから、今回に関していえば、彼の独特な声がどう響くかと思っていたのですが、うん。女性演奏家との間で非常に生々しかった!(※褒めてる)この作品に関しては、3~4年後にもう一度観てみたいと思いました。(4/22、5/5)

塚越健一さん「この哀しきホテル」(テネシィ・ウィリアムズ)
塚越さん、引き込まれました。しずかに、しずかに。耳を傾け、見つめるうちに、すうっと自分の内側に落ちる感覚。それは初めての感覚で、とても不思議でした。五感も思考も目の前で起きていることに向いているのに血が感じている、みたいな。血に揺さぶりを掛けられる、ゾワゾワする、みたいな。しんどくって、目を逸らしたいのに離せない。たぶんじわじわと染み渡って、しばらく残ると思う。なにもかもが衝撃的で「もう一度観たい!でも観たら崩壊する!」と悶絶しました。今後、テネシィ・ウィリアムズの作品を観る時にはこれがベースに来るのでしょう。(4/22)

金子大介さん「絞首台の上のジャーナリスト『絞首台からのレポート』より ユリウス・フチークによせて」(ユリウス・フチーク)
ユリウス・フチークと金子さんについての感想はTwitterでも多数見かけるけれど。金子さんとモスクワカヌさんの脚本との相性が良過ぎた、そこにもってあの曲とあの歌唱力だもん、そりゃ強烈。あと、金子さんのお顔立ちがね、世界を引き立てるんだ。かわいらしいお顔立ち、キラッキラの笑顔で抉られるんだ。それがまたエグいんだ、キツいんだ、刺さるんだ。今回私が拝見した5作品の中で、脚本・演出・音楽・俳優が最も合致していた印象。だからこそ、本公演(女性音楽家の音)でも観てみたかった。観てみたかったけれど、実際、予約までしたのだけれど、体調不良により観劇出来ず、非常に悔しい思いをしました。観たら観たで、立ち直れないほど打ちのめされたのでしょうけれど。ミュージカル俳優凄い……と思い知らされた一本。(4/22)

藤尾勘太郎さん「foufou」(藤田嗣治)
説得力!いや、もう、藤田嗣治、その人なんじゃないかと錯覚した。知らないのに。知らないのに、「あ!この人知ってる!」という既視感みたいな。いや、知らないんだけど。ちなみに、私、以前度々、いわゆる芸術家と接する機会もあったのですけれど、この感じ、知ってる……わかる……と思いました。リアリティ。そして、小憎たらしい感じが癖になる。だからこそ、時代に翻弄された生涯に悲しくもなる。達者で小憎たらしい印象の裏に見える、感情とか思いとか思考とか、そういう人間らしい要素がモザイクタイルのように。歌も動きもけして派手ではないのに、くるくるぱたぱたと変化してゆく様に魅了された。言葉も視覚も「白、白、白!」なのに、残る印象は色鮮やか。(5/5)

伊藤靖浩さん「千年の約束」(伊藤若冲)
情熱。伊藤さんだった。や、紛らわしい?若冲は靖浩さんだった。「一人芝居ミュージカル短編集はこの人の情熱によって産み出されたのだなと感じずにはいられない作品だった。」と言えば誰もが納得するだろうなという熱量。情熱。メラメラ。メラメラはギラギラだ、ギラギラは命だ、命はキラキラだ。そんな感じ。言葉も音楽も詰め込んでいる印象なのに嫌でないのは、突き抜けた印象が残るのは、俳優が馴染んで乗りこなしているからなのだろうな。伊藤靖浩さん、ご本人のフワッとしたやさしくチャーミングな感じからの化けっぷりに、多才さに、出てきた言葉は「神様は不公平」。30分間、嫉妬しっぱなし。(5/5)

演出・脚本・演奏・照明についてザッと

演出について
男性バージョンの演出は薛珠麗さん。演出に対しての印象はやさしさ、透明感、包み込む。私は今回の“vol.5”がはじめましてであって、他の演出家の時を観ていないので一概には言えないのだけれど。具体的な言葉には出来ないものの、男性に対しての女性演出家だからこその印象かな、と思ったり。母性とまでは言わないまでも、許容力・包容力みたいなイメージでした。どの作品も、観る側もとても安心して観ることが出来た。「転んで擦りむいて、泣いて帰ってきても大丈夫だよ」ってイメージ。うまく言えないけど。

脚本・演奏について

脚本や演奏に対してもそれに近い。脚本が女性、作曲が男性という違いこそあれ。脚本と音楽を並べたときに面白いのは、脚本が「母」であり、演奏が「女」であるということ。脚本がたおやかな印象である一方、演奏は色気があってセクシーな印象。女性って強い、本当にそう思います。あと、女性演奏家が入ると、男性の芝居はガラりと変わるなと。私が比較出来るのは先述の通り、アル・カポネ、梶原航さんだけなのだけど、生々しさ倍増でとてもよい感じでした。嗚呼、生々しい!(※2回目)(※褒めてる)

男性バージョンの脚本は、サカイリユリカさん(アル・カポネ)、薛珠麗さん(テネシィ・ウィリアムズ/伊藤若冲)、モスクワカヌさん(ユリウス・フチーク)、詩森ろばさん(藤田嗣治)。演奏は、岩崎なおみさん(Bs.)、輪月映美さん(Vl.)、furaniさん(Pf.)。

照明について
照明は松本永さん。すべての明かりを一手に。スゴい。作品ごとに印象がまるで違っていて驚いた。明かりの使い方(活かし方)が作品ごとに全く違い面白い。演出や俳優とのアイデアや掛け合いで無限に変化する感じ。しっとりからカラフルまで。ただこれは私の個人的な都合なのだけど、光の色や強さの変化に弱い(総じて刺激に弱い)タイプなので、あの距離で目まぐるしく展開されると酔う。平衡感覚が狂い、座っていてもフラフラ、クラクラした。芝居は見たい!でも目が回る!みたいなジレンマ。ユリウス・フチークの青→オレンジ(だったハズ)や、若冲の目まぐるしく変わる様は、正直キツかった。単に私がLED(だったのかしらん?)が苦手というだけかも。

Twitterにも書いたのだけど

今回、ゆるゆると皆様の感想を追いかけながら面白いなと思ったのは。日頃ミュージカルに馴染みのない人たちからは「うぉお!ミュージカル俳優スゴイ!」という声が聞こえ、日頃演劇に馴染みのない人たちからは「うぉ!なっ!お、おまっ!何者だ!」という声が聞こえてきたこと。そんな感想を目にしては「ああ、演劇…」と思う瞬間。好きよ。演劇をベースにしていると、この企画の顔触れが本当に豪華だと思うのですが、それつまり、どこを取っても演劇モンスターに当たる、というような話であり、そりゃあ「お、おまっ!何者だ!」ってなって不思議はないんです。それは形を変えて、なんだか自分にとっても誇りのようであり、とても嬉しく思っていました。ほんと、これがキッカケでミュージカル溺愛の皆様も、たまには演劇にいらしたらいいのにと思いました。怪物的なすんごい人から、珍獣的なすんごい人までザックザクよ、って。ね、くればいいのに。

さて、公演は5/6までとなりますが、私のひとみゅー、全体に関わる感想はひとまずこのあたりでおしまい。「一人芝居ミュージカル短編集vol.5」の公演前~公演期間中には個人的にも様々重なった時期でして、いろいろな感情が渦巻いたり様々な思考が働いたりしたのですが、それはまた別の機会に。

長文にお付き合いいただきましてありがとうございました。

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