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海外ノマド、ベトナムを離れる日、ベトナムを振り返る。そして、リアル海外ノマドワーカーになる

海外ノマド(ライフ)中の私は、現在ベトナム、ハノイの現地法人で委託業務として働いていたが、結局労働許可証がでないということで急遽
「家に戻って良い。」
ということになった。というか、いつでも決定が急だ。委託業務と言う形で。交通費も宿代も自腹。それで、急にこういうことを言われても、飛行機代も高いし良いことは何もない。結局、仕事をしても、その給料はこういう経費でなくなっていく。なんとも虚しい。

それにしても、現地採用、現地雇用の大変さ…。けれどそれを自ら


現地の中で現地の子たちと暮らす日々

大変なことは多かったけれど、私は海外にいるなら、その国の生活や文化を知りたいと思う。だから、本当に現地の人たちと一緒に過ごせられたのはラッキーだったと思う。なんだかんだ言いながらも

ベトナム人の方のこと
ベトナム文化

色々少しは理解できたのかなと思う。

現地採用でも日本の方が対応してくれるとこんな状況にはならない。けれど私はあえてどっぷり現地の環境にいて、たくさん辛い思いをした。自分で選んだのだから仕方ない。だからこの3年間は人生の中でもとにかく

忙しくて
辛くて

その中に
楽しさ1割

という感じの日々だった。その中で、最終的に感じたことは
たくさんの裏切り行為
たくさんの方々良い加減な言動

があった。そして、お国柄、この国帆の人たちは決して悪きがない。けれど悪気はないなら何をしても、人を傷つけても、人が苦しんでも良いのだろうか。なんて何度も考えた。

HSPには合わない国かも、しれないがとにかく頑張った

3年いて、いや3年もいて感じたことは、いくら頑張っても、私はHSP なもんで、こう言うアバウトな環境には合わないのかもしれない。アバウトが良いこともあるが、私にはちょっとダメなことが多かった。この国では私は考えすぎる、弱い人間でしかなかった。

それでも頑張って、「先生」を演じて、自分の好きなものもやりたいことも全部忘れた。

何の為にここに来たんだろうと何度も思った。
私は他人の国に来たら、何かしらの形でその国側からその国の役に立ちたいと願う。だからここでも同じ思いで、「自分はここで何ができるだろう」と自問自答していた。

そして日本人としてここにいる私は、日本語学習者の人のために自分の時間をなるべく使うようにしていた。

結局人は自分が一番大事

そんな中で、頑張ってきた全てのことからあっさり切られ、なんだ、こんなものかと本当にびっくりした。ちょっと前なら自己肯定感も低かったし、すごく落ち込んだと思う。けれど、ここ最近は諦めにもなっているのだろうか、何があっても、「どうでもいい」と思えるようになった。

でもきっとまずは自分を大事にして、自分優先じゃないといけないんだって思う。自分を大切にしないと他者を大切にはできない。今はそう思うことにして、これからはもっと自分がいしたいことを考えていこうと思う。

3年間でのベトナムお金事情

ベトナムに来る時、現地採用だし、待遇もそこそこだし、お金を貯めても仕方ないから、もらったお金は全部使い切ろうと思っていた。それなのに、コロナ禍で何もできず、お金も全然使えなくて、少し貯めることができたら、貯めることが面白くなってしまった。

投資や運用とかできないけど、定期預金はとにかく日本に比べても金利がすごく良いので、それで残っているお金は少しでも定期預金にして、少しだけ稼いでいた。そして、少し節約じゃないけど、お金を貯めることが面白くなってしまった。ここまで来たら7桁がんばってみようと目標を立てたら面白くなってしまった。

生活がつまらなくなるくらいの節約はしないけれど、ローカル店に行けば安いし、買い物も市場に行けば安い。そいういうところで少しずつ節約することが楽しくなってしまったのだ。節約ってゲームみたいなものだ。いかに得していくか、を考えるだけで、楽しくできる。

例えば、grabタクシーは同じようなアプリを2、3使って、料金比較して安いのを乗り,さらにプロモーションを使って安く乗った。バスは基本時間が読めなくなるので乗らず、結構歩いていた。 歩く人が少ないこの国で、少し珍しかったけど、15~20分くらいの散歩距離は結構歩いて移動した。なかなか来ないバスや交通渋滞を考えたら、時間が分かりやすいので便利さった。

お金がすべてじゃないと悟った


私は昔から、お金と知識は裏切らないと思っている。けれど今回銀行も凍結されかけて、急遽全部おろした。 お金そのものは裏切らないが、そのせいで色んな嫌なことあるし、お金のせいで壊れる関係などもある。

急遽おろしてみると、vndは日本円やユーロに比べて札が多くなり、なんだかすごくお金持ちになった気がした。何かそのお札を見て、価値はあるけど、ただの紙だよなあ、なんて思ったら虚しくなってしまった。お金で買えるもの、得られるものは多いけど、全てじゃない。

この紙が私に与えてくれるものはなんだろう?

使い方によっては何の価値のないものにもなる。この紙は使い方によっては本当に木の葉のように散ってなくなるし、そこで得た物資にどれくらいの価値があるんだろうって思ったりする。そんなすべての価値を決めているのは人間だ。

ベトナムの3年間でお金よりも大事なものを見つけた気がした

でも、この不平等な世の中でたった一つ誰にでも平等に与えられたものがある。それは

時間だ。

どんな人でも1日は24時間、そして1年間は365日しかない。それ以上にもそれ以下にもならない。大金を払えば徒歩よりも車の方が早く行けるとか、電車の方が早いとか、飛行機の方が早いとか、あるけれど、例えば直行便の飛行機は快適さでは料金が変わるが、早さはいくら出しても変わらない。直行便か、経由便かで料金に差があるし、そういう意味ではもちろんある程度の金額を払えば時間の短縮はできるがお金で時間を買うことはでない。

そしてこの自分の時間をどう過ごすのかによって、結局はここで人の価値が決まると思う。同じ20代、30代、40代、50代をどう生きるのか、それが自分の中でかけがいのない価値になると思う。

人生をどう生きるのか…何をして生きるのか。それはお金を多く稼げたら価値があるんじゃなくて、その稼げるアイデアや能力が自分の価値だと思う。

お金で買えるものだってたくさんある

もちろん、お金は必要だし、お金があれば色々人生は楽になる。そして、そこで得られるものもたくさんある。
お金があれば得られる教育や教養も異なるし、お金があれば心に余裕もあるから、時間にも余裕ができる。でも結局その教養や知識、そして経験はどれだけそこに時間を費やせたかだと思う。

いくらいい環境が整っていてもそれだけ勉強に時間を費やさなければ、結局は知識は得られない。お金がなくても努力だけである程度のところまでは行けると思っている。でも、大人になると知ってしまうことは

努力は必ず報われる
わけではないということも知ってしまう。人はもっと非条理で、人は他の人の運命をある程度決められることがあるので、努力よりも権力や財力でできてしまうことだってある。それでも、努力というのは何かを突き詰めて、費やした時間のことだと思う。だから、時間だけは平等に誰でもに与えられているものだと思うのだ。

時は金なり

だから、お金と同じくらい時は大事なのに、時間は平等だから、そしてこの価値を人が決めることができないからか、時間の大切さを忘れられている時もあると思う。

仕事をお金を稼ぐだけの術にしてしまったら、人生は無駄になってしまう気がする。仕事は仕事でお金を稼ぐものと割り切って、余った時間を家族のために過ごしたり、友達と遊んだり、趣味に費やしたり、ということもあるだろう。

けれどそれですら、仕事ばかりで家族との時間がなかったり、好きなことをする時間がなかったりすることも多い。仕事が大事だと思うと、結局優先順位は仕事が1番になって、気が付けば夜中まで働いていることもある。

ベトナムでは家族が大事で、そこまで残業もしないと聞いている。確かに家族を大事にするし、今の仕事先では8時間労働の中で

2時間働いて6時間遊んでいる
とか
6時間働いて2時間友達と話している

なんていう人もいた。けれど私は本当に忙しくて全然そんな余裕がない。お昼休憩だけは1時間ちゃんと取るけれど、それ以外はなぜかずっと仕事をしている。締め切りの資料作成などもあって、週末や夜も働いていることもある。

じゃあ、やりがいのある仕事か、というと…実は今私は転職して、やり甲斐のない、自分の能力を活かせない、大きな組織の中の必要なコマでしかない、という気持ちが強い。
まあ、安定を求めればこれが普通のあるべき姿かもしれないんだが、やっぱり私にはちょっと違う気がするのだ。

私がいたいのはここじゃないかもしれないなあ。と思い、結局今週ベトナム離れることになった。
けれど、この3年間は本当にありえない経験もたくさんできて、これはプライスレスだって思う。

色んなご縁に感謝しつつ…

臨んだわけではないがオンラインの仕事を得た

今の仕事は結局オンラインでの仕事で、契約などを変えて、今後しばらく家から仕事を継続することになった。ということは私がそれを求めていたわけではないが、海外ノマド生活から、本当の海外ノマドワーカとして暫く生きていけることになってしまった

けれど私はそれを望んでいるわけではないし、オンラインとオフラインでは実は効果は全然違うことを身に染みて知っているので、自分の意志には反した仕事ではあるので、またいつか次の自分に合う仕事や場所を探していくのかもしれない…

けれど、ある意味また得た大きな自由。仕事はあるし、時間の拘束もある程度あるけれど、企業に属したオンラインの日本語講師なんて、安定しかない。(これは私があまり好きではないものでもあるんだが)
安定はあるが、固定の時間は仕事があるので、なかなか自由がない。けれど、しばらくこの生活で自分が本当にしたいことを改めて考えて、そして、どこにいても仕事ができる、この自由な時間を有効活用できればと思う。


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