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私の昭和歌謡

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昭和は遠くなりにけり(おばあちゃんがいつも「明治は遠くなりにけり」って言ってたっけ)私も歳をとったもんだ。 でも、昭和歌謡を聞けば、そこに私の青春がよみがえるの。 だから、昭和人…
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2023年10月の記事一覧

私の昭和歌謡49 或る日突然 1969 

私の昭和歌謡49 或る日突然 1969 

トワ エ モアお洒落なデュオの歌声は耳障りのよいニューミュージック

🎵ある日突然、二人黙るの あんなにお喋りしていたけれど🎵

ある日突然、ほんとに突然、白鳥さんのまろやかな歌声が聞こえた。日本の若者のほとんどが、こうした友達から恋に変わる経験をして、結婚していた時代だった。

思わず、私は周囲の男子を見回してしまったww
中学生じゃ、ね。思い当たる相手はいなかった。

中学時代は、サイモ

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私の昭和歌謡48 夜明けのうた 1964

私の昭和歌謡48 夜明けのうた 1964

カンツォーネはたまたシャンソン語るよう心に沁むは夜明けのうたよ

なんでこんな繰り返しの童謡みたいな歌を、父さんも母さんも叔父さんも叔母さんも「いい歌だー」と聞いたりするのか、小学生の私には理解できなかった。

この曲を私が認めたのは、66歳だった。
この年の秋、私はGISTの開腹手術をした。全く不安もなく「手術して2週間ぐらいで職場復帰」なんて、超アマアマな考えだった。

手術後、なんと、ヘタレ

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私の昭和歌謡47 愛は不死鳥 1970

私の昭和歌謡47 愛は不死鳥 1970

稀にみるディーヴォの歌に酔いしれる昭和歌謡のダイヤモンドよ


1970年の紅白歌合戦は、感動のパフォーマンスがあった。

布施明の「愛は不死鳥」

今見ると、学芸会のようだけれど、それはアニメーションだって同じだと思う。その時代のできる限りの工夫のパフォーマンスは、心を打つ。

🎵 ごらん 不死鳥 愛は あ、あ、不死鳥
  愛は 愛は 永遠にー 死ななーい 🎵

この時、テレビの画面いっぱ

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私の昭和歌謡46 二人の世界 1971

私の昭和歌謡46 二人の世界 1971

脱サラもふたりの愛があればこそ父の想いを知ったのは今

昭和はテレビドラマの時代だ。TBSの木下恵介アワー、スポンサー日産一社。すごいね。

1970年のドラマは山田太一脚本の「二人の世界」。
テーマソングは、あおい輝彦の同名曲。

竹脇無我と栗原小巻が、一目惚れで結婚して、サラリーマンの家庭で幸せに暮らすはずが、脱サラしてスナックを経営する、昭和っぽいドラマだった。

あおい輝彦は、この夫婦の奥

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私の昭和歌謡45 霧の摩周湖 1966

私の昭和歌謡45 霧の摩周湖 1966

この歌で摩周湖という湖を初めて知った小学5年

平尾昌晃は歌が上手だ。その彼がのど自慢のように作曲した歌は、もちろん布施明にピッタリだった。

布施明ののどは、歌うためにある類稀な日本の歌謡曲の宝物だ。

この二人をレコード会社が引き合わせたのだとしても、「おもいで」のヒットは、平尾さんの”自分が歌手として活躍する夢”ではなく、”作曲家としての人生”を決めるきっかけとなったんだと思う。

なぜって

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私の昭和歌謡44 夕陽が泣いている 1966

私の昭和歌謡44 夕陽が泣いている 1966

GSがロックじゃなくてしっとりと心に染みるフォークバラード

ザ・タイガースはもちろん好き。でも、その他にも個性あふれる魅力的なグループがたくさんあった。

ザ・スパイダースもその一つ。

「夕陽が泣いている」を聞いた時、民謡のような歌い出しのメロディーと、不安定なサビのメロディーが、ものすごく気になってしまった。

短調か長調かわからないような民謡風のメロディーで始まる。ちょっとだけ「遥かなるア

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私の昭和歌謡43  新聞少年 1965

私の昭和歌謡43  新聞少年 1965

食卓の父に新聞手渡していただきますと朝ごはん

かぁちゃん、早く元気になっておくれよ。
おいら、やっと新聞配達に慣れたんだ。
でも、やっぱり夜明け、眠たかなぁ。
よぉし、おれ、ひとっ走りいってくらぁ。
帰ってきたら、あったかい味噌汁つくってやるからなぁ。

この歌には、1番のあとに、このセリフがある。

このセリフからもわかるように太郎くんは母子家庭である。
最近は「一人親家庭」とか言うらしい。く

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私の昭和歌謡42  弾厚作(加山雄三)と岩谷時子 

私の昭和歌謡42  弾厚作(加山雄三)と岩谷時子 

歌もよしスポーツもよし顔もよし若大将のようになあれ!

前回のラストショーに続き、またまた若大将。

加山雄三だったら「行きたい」と思うディナーショー。
30年以上前に行った。テレビで見るのと同じ爽やかさで十分満足する。

歌も上手で、スポーツもできて、顔もいい、性格がなによりまっすぐ。そんな若大将は、昭和の女性の憧れだったし、だから息子が生まれたら、そう育ってほしいと願っていた。ま、うまくはいか

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私の昭和歌謡41   若大将ラストショー 2022 

私の昭和歌謡41  若大将ラストショー 2022 

ラストショー私の昭和また一つ笑顔で消えた蒼い星くず

加山雄三のラストショーを観た。

2022年9月9日東京国際フォーラムホールAで開催されたものだ。

そのコンサート映像は、オープンリールのカウンターを活躍の年代にしてレトロ風に始まった。本番でも流れたのかなぁ。ほんとオシャレ。

そして登場は85歳の加山雄三。なんと!座ってる(笑)
いや、いい。座ってていい。そういう気持ち。

たぶん、往年の

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私の昭和歌謡40   また逢う日まで 1971

私の昭和歌謡40  また逢う日まで 1971

あの人は遠い昔の夢の中また逢う日まで逢える時まで

「また逢う日まで」には、びっくり!

ド派手なブラスのイントロ!
突然オクターブのメロディー!
日本人とは思えない揉み上げルックス!
歌唱力ーーー!

参りました。

そして、毎日、そう、昭和の子供は歌いました。
🎵また逢う日まで 逢えるときまで 別れの そのわけは🎵
🎵はな・・・・しぃーー

ここでオクターブ跳躍するんやーーーww

走り

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私の昭和歌謡39   シー・シー・シー 1968

私の昭和歌謡39  シー・シー・シー 1968

CCC何の意味かもわからずに呪文のようにノリノリ歌う

小学生だった私の思い出の曲は、加山雄三とタイガースだと言っていい。

このグループと歌手の曲は、全く毛色が違うにも関わらず、同世代のほとんどの友人知人が歌えるし、好きだったし、今でも懐かしく思い出す。

さて、そのタイガーズの曲に「シー・シー・シー」がある。

すぎやまこういちから、安井かずみ&加瀬邦彦への移行である。

歌謡バラードも嫌いじ

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私の昭和歌謡38   小指の思い出 1967

私の昭和歌謡38  小指の思い出 1967

子供にはあなたがかんだ小指とは?意味はわからずちょっと恥ずかし

小学生の私は、もちろんテレビのヒット曲は、すぐに歌えることをモットーに生きていた。

曲によって、正々堂々と歌えるものと、恥じらいで戸惑いつつ歌うものとあったけれど、「小指の思い出」は、相当恥ずかしかったのを覚えている。

「伊勢崎町ブルース」の喘ぎ声より、こっちの方が数倍も感じるものがあったんだろう。

🎵 あなたがかんだ小指が

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私の昭和歌謡37 さそり座の女 1972

私の昭和歌謡37 さそり座の女 1972

週刊誌星占いの流行にノッて流行ったさそり座の女

「柳ヶ瀬ブルース」美川憲一120万枚のヒット曲である。

この曲は、岐阜柳ヶ瀬で、作者の宇佐秀雄が自ら流しで歌っていたのを、日本クラウンが美川に歌わせた。

優男の美川憲一は、艶っぽい低音で歌う。

「柳ヶ瀬ブルース」の1番の魅力は、最初のフレーズだ。もう歌い始めの言葉とメロディーで、メロメロになる程出来がいい。今でもカラオケでは人気の歌である。

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